ツムツム

 

 

 

22:01から。

 

 

もはや全く見習いじゃねぇ実践量。反芻できないくらい詰め詰めで経験も積む積む。

フィードバックはしておこうと思うから、すぐあとでもう少し書く。

 

本日は満月さんが実家に帰っている。別居ではなくて、車検の車の回収と名古屋でライブ。僕が出勤する時に、全然準備してなくてすぐ出なきゃって言っていたのに、洗い物がされているという素晴らしさ。こういった気付きは順風満帆な共同生活にも必須だし、きっとお仕事でも必需品。

 

日記が書き終わったら電話タイムなので、その時にお礼を言っておこう。

 

 

さておき。

 

本日も相変わらず彼岸花の土手を通って出勤。季節ものだから景色を味わっておく。白の比率って100分の1以下なのかな。赤も良いが赤の中に白があるのも良い。

 

色々したかったことがあったから、1番目に出勤。初っ端の出勤ですべきことってあんまり把握していない。空調と有線を付けてロッカー類の鍵を開けるくらい。本日出勤してきた店長に電気を付けようかと言われた。

 

お仕事時間は、ほとんど事務作業する間もなく、応対やら遠征やらをしていた。忙しかった割に成果が出なかったのがほんのり悔しい。知識が無いからどこを動かせるのかとかどこをが最低限なのかが分からなくて、いまいち踏み込めなていないところがある。発話数を増やせば踏み込めるのかというのも微妙なところで、無理矢理こねこねできるくらいになっている店長はともかく、相手の条件の中でも動かせない部分はあるだろうし、あとはもはやハンター×ハンターで言うところの印象値くらいしかなかろうなと。

 

営業スキルというより、知識がもっと欲しい。細々したところは仕事で経年したら勝手に身に染みるから良いのだが、抽象的で良いからマニュアル事項が無いとどう動いたら良いか分からない。この点、店長も先輩女子も具体的な実体験派だから、抽象的な説明が苦手っぽい。たしかに現実のお仕事では具体が全てなのだが、脳内に格納される情報は結局抽象化してデータ量がカットされているのではないかという感じ。何年か経っても具体的に語れることって、もはや具体的な記憶から離れている。

 

もちろん、印象値を上げるための発話スキルも大事とは思うのだが、発話量を無駄に増やすと、僕の陽だまりっぽい人柄と齟齬が生じる気がするんだよな。実際今のところ成果が出ているのはごりごり話しているときではないし。まぁ、もっと成果の領域をオールラウンダーにするためには必須か。

 

ただ、発話量を増やすためには経年的な浸透が全てという気もするし、ここは勝手に向上していくのだろうなと気にしていない。なんだかんだ何にも話せない人でもないし。合わせずに話した方が良い気もするが、今のところまだ様子見。

 

ここでごりごりし出すと、自分の顧客でない人についてもちょっと見かけたら色々残っているということになりそう。

 

まぁ、まだ3ヵ月弱にしては良くやっているのではなかろうかと勝手に自賛しておけばよかろう。自尊したところで一般で言うところの向上を辞めることは無いし。社会的にこのままで良い訳ないという相対化と、個人的にこの自分で良いという絶対は普通に両立可能。

 

 

この両立可能性って、割とラカンさんの精神分析とか、変な話、シュールレアリスムの世界観にも通じている気がする今日この頃。

 

というのも、僕はこういった心理学とか文学とかを学習する前からずっと、一般に言われている人格の統合化がなされることで個人が確立されるという世界観が胡散臭いと読んでいた。マズローさんの人格のヒエラルキーみたいな話も初めて見たときほんまかと思ったのだが、社会的に相対化された人格の段階に限定すれば正当だとは思う。

 

安部公房さんの「壁」もそういう人格の実は全然絶対的に確立したものではないふにゃふにゃさというのがテーマになっているような。

 

要は、正常な人格というのは、社会に迷惑をかけないようなフィクションとして設定されているのだろうなと。所有権の設定とやや似ている。どちらも自由で在るという触れ込みだが、その自由はあくまで枠内での話。もちろん、自由の概念って壁がないと在り得ない。ホップスさんが言うところの自然状態がもっとも自由だと思うが、そうなってくると、個々のより強いものが勝つという弱肉強食なだけで、自らの由みたいな世界観は起こり得ない。

 

だから、社会契約として自然ではないけど自由であるとして国家に壁を作ってもらうことにしたのが、理性的な一般意志みたいな世界観を前提としているのが現在の世界。日本にはそもそも社会契約はなかったような気がするが、西洋の世界観を輸入しているからそういう感じになっている。

 

個人的には、こういう前提からすると自由という概念は胡散臭いから、むしろ自在であるべきという感じ。自由自在でセットになっているけども、自在だけで使う語用はきっと無い。自由でなくても自在であっていいくらいな感覚。

 

自由は身動きとして自由を設定した上位にお伺いを立てないといけない。

浮気をしても良いですかとか、人を退場させても良いですかみたいな。回答としては、これらは禁止ですとなる。禁止されていることを飛び抜けるのは、自由でも自在でもないような。

 

あえていうなら、不自由的な行動でしかない。自分が不自由になる為の行動というのは一瞬の快楽があるのかもしれない。

 

こんな自由の世界観はともかく、僕はもっと需要供給と関係ない感謝の世界観で生きた方が自在だなと思っている。縁に対する感謝という世界観で発する言葉に誰かを傷つけてしまう棘はなさそうだなって。

 

はい、本日も見解が雑い。

もともと言葉で自分を固めようという意識がないのもたしかなので、ゆるゆると読んでいただければ重畳です。

 

おやすみなさい。

 

良い夢を。