遅々
22:14から。
随分と寒くなってきた。社用車のエアコンの調整をお勉強しないといけない。防寒具はまだもう少し大丈夫そう。体温の高さは暑さ寒さにも強いのではという説。暑いときは体温との差が平熱低めの人よりあるから、外気より相対的に高い温度が中にある。寒い時はもちろん保温効果。知らんけど。
さておき。
起床すると、グーグル先生恒例の去年の10/22に何をしていたか振り返ろうと、画像が出てきた。満月さん視点から取った、江坂の某ドイツ料理っぽいお店でビールの飲み比べを嗜んでいるシーン。カーディガンを着ているみたいだから、それほど外気は変わっていない模様。いや、去年の方がもう少し暖かった気もする。
去年は遠距離で、僕が新幹線で行ったり、満月さんが高速使って来たりとなかなかの移動距離だったのを振り返る。今は毎日一緒の床に着く。何が良いかというと、諸々ある。一緒に居ればそれぞれで良いというところではなく、共同生活をしていることで新たな手法が生まれているのが楽しい。
例えば、リビングを綺麗な状態で整えるためには、ある時間では動かせない物でも、そこの空間は特に他に使わなくても、移動させて片付けた方が良いということ。そんなの当たり前じゃんという思う人はもともと共同生活が備わっているに違いない。1人だけの時空で考えれば、他に使わないのであれば、その空間を定期的に使う物が占めている方がむしろ合理的だと思うというのが、ぼっち思考。
個人的な物体としては、アイロンとパソコン。これらは毎日一旦片付けることにして、リビングの視覚的空間を拡げるようにした。倣ってくれているのか、満月さんも本日は置きっぱなしをしていないような感じ。まぁ、持ってくることには1分もかからないから、視覚的・可動的空間の拡張と天秤にかければ、そこが他にあまり使われない空間だとしても、片付けることの方がメリットにはなるだろうなとなった次第。
本だって、僕の空間では手に取れるところにあれば良いのだが、共同生活においてまで生活空間が本だらけにするメリットはない。僕が取りたい本が相手の取りたい本でもないし。
と、ここからお仕事の話に繋がっていく。
ここまで書いた部分は、結構同じ次元の天秤であって、どちらかを取るのであればどちらかは捨てるしかないという話だと思う(もちろん疑義は認める)。
ただ、お仕事上で関わっているお客様の天秤は、質が違うもの無理矢理天秤に乗せて合理的に判断していると思い込んでいるような乗せ方をしているのかもなという解釈が起こる。
もちろん、これが人間だというのは当たり前であって、批判も否定もない。ただ、村上さんの小説ではないけれど、数値化して比べられないことを数値化できていて、その数値を合理的に判断できているという感じがあるなというだけ。
この感じって、ベルグソンさんの「時間と自由」みがあるなと。
質を量と捉えて比べることができるとしてしまう。たぶんまだ最後まで読み切れていないけから読み直そう。
何かを取ったら他が捨てられてしまうというのは選択の概念に必然的に付着しているものだけども、ほんとうに選択しているのか選択されているのかが微妙な商品を扱っている。
ほんとうに人間が合理的に選択できる動物なのかというのは、哲学的にも科学的にも答えが出ていなかったような。行動経済学が好きなのは、人間が完全に合理的に動けないことを前提としているところ。重大な選択であって、どれだけ時間があってもここは動かせない。
この考察が仕事にどう生きるかというと、条件よりも縁の方が大事なのではという感じ。僕も縁の一部として機能できれば。
少しずつ昨日できるようにはなっているとは思うが、一生完全に把握できることはない。
そういう世界観。
やれやれ。
「羊をめぐる冒険」の影響か知らないけども、そういえば、ここから退場する夢を見たのだった。どこかのホテルで満月さんと起きたあと、フロントに連絡したら、「貴方もう退場してますよ」と言われた。満月さんには見えているみたいだし、受話器を普通に上げていたし作り込みが甘い(夢に駄目出し)。
そろそろお仕舞。
明日の現実のテーマは「元気」かな。
おやすみなさい。
良い夢を。