読解

 

 

 

 

22:03から。

 

と思ったが、洗濯物干してなかった。

 

 

改めまして、22:12から。

 

 

僕が昨日パンを買い忘れたもんで、昼ご飯の鶏ハムサンドウィッチがなくなった。

本日は買ってきたから明日の昼ご飯で食べられるかもしれない。

 

本日の夜ご飯はピリ辛豆乳サラダうどん。リクエストだが、炭水化物が最近やや足りていないからちょうど良かった。仕事日は朝も夜も炭水化物は食べていないし、昼もだいたいローソンの300円くらいの小さい弁当で生きている。タンパク質とか野菜は夜にまぁまぁ食べていると思っているが、最低限の食は空腹を満たすというより身体のメンテナンスだから、ちょっと整えないといけない気がする。

 

しかしながら、僕より絶対食べる時間ないだろうという店長のお腹がよく見るとぽっこりしているのは何故なのか。だいたいコンビニのサンドイッチとおにぎりしか持って来ておらず、本日はサンドウィッチ1個だけ食べていた。早食いは太るというけれど、サンドウィッチ1個をどれだけ早食いしても太るのは難しい気がする。夜にドカ食いしているのかというと、通勤が2時間半かかって睡眠時間を考えると、食べる物理的時間がないような。

 

僕より店長の方が体をメンテナンスすべきなのか。

ここ最近邪気にやられていて、時折不機嫌の風が吹く。教えることとか指示とかは問題ないのだが、ふわっと今不機嫌の波が来ているなというのが匂う感じ。別に他責の不機嫌ではないから、お構いなく質問できる。

 

本日は2人で仕事だったため、教えの項目が多くて助かった。

1回も教わっていない項目はどうしようもないが、1回きちんと教わったことは2回めには確認にしていく所存。

 

ただ、店長の中で流れている時間がやたらと速くて、1個の指示をこなしている途中に次々と指示と教えが飛んできて、ミスが誘発されそうだなとは思った。あと3ヵ月待ってくれたらもう少しスピードが馴染むとは思うが、もしかしたら、これをパワハラと解釈してしまう人も居る可能性はありそう。言われ続けると、自分ができてないと思い込んでしまう。

 

僕は、いまできていないのは自覚しているから、特に問題ない。

聞けば答えてくれる上司って稀有だろうと思う。色んな職場を転々として来たが、できることを順を追って言語化する能力と、その仕事で有能なのは別の話だし。大学教授で言えば、研究者として有能なのと、教育者として有能なのは必ずしも一致しないみたいな。

 

結構駄目出しばかりだが、褒めるところはきちんと褒めてくれる。

この駄目出しばかりなのは、僕がマルチタスク的な事務作業が苦手だからもっと大きなミスをする前に、時間というか次元の感覚を常識化させなきゃという教育意識があるのだと解釈すれば、とても部下想いの優しい人物となる。

 

「優しい」の定義が「甘やかす」の人であれば決してこういう解釈にはならないだろうが、どちらも「優しい」という言葉に集約される。日本語固有なのか、他の言語でもそういう多義性があるのかは知らない。

 

 

個人的な中の素朴だと、重かろうが軽かろうが、未來の約束とか未来にしなきゃならないことは荷物になる。荷物はなるべく持ちたくないし、荷物があると中での重力が強くなって動きにくくなるから、荷ほどきするなり、その荷物をコンベア的に次に流していくという作業が必要になる。これがお仕事。もう少し慣れてくれば、もっと流せるようになってくるはずで、そうなるとちゃんとまた公私が分離できてくると思われる。

 

今は未だ未分離な感じ。

分離すれば、残業があっても仕事が残っていても、仕事時間でやれば良いやとなる。

 

どうでも良いおせっかいだが、店長の公私時間ってどうなっているのだろうなというのは気になるところ。家族とは仲良いっぽいけど、一緒に過ごす時間がほとんどなさそうな。

 

この前、「満月さんとは休日の時間合っているのか」と聞かれたことがあった。別に僕は満月さんとの不和とか話したことはないし実際ないから、この質問は店長の中から出て来たものだろうなと解釈するのは不自然だろうか。これを聞かれたことによって、店長自身がこの仕事であんまり家族時間取れていないのではと穿ってしまう質。僕がもう少ししっかりしてくれば、店長も休日にきちんと休めるのかもしれない。

 

店長と2人の仕事日は、若干ピリピリするけども締まっているし、仕事したくないみたいな転移がないから、適切な疲労感になる。店長から転移するように意識すれば、もっと有能になれるかもしれないとか。

 

 

やれやれ。

 

 

時間の感覚とか、世界へのものさしとかって、実は結構主観的で良いのだろうなという逆説が起こってくる。たしかに対人において主観を全開にするとずれた人になってしまうから調律は必要なのだが、調律された世界を中にまであえて馴染ませる必要があるのか。

 

例えば、今日思ったこと。

 

パートナー関係において、「この人は自分でないと駄目だ」みたいな言が結構ある。これって、読み味的には自分には他の人との組み合わせもありうるけどという余白があるような気がするのだが、実はこの発言って、「自分はこの人でないと駄目だ」という認識の鏡というか、裏返しであって、選択肢は他に無かったのではないか。

 

満月さんは、満月さんにとって僕のことをとても好いていると言いながら、稀に元カレさんの名前と混同する。これに対して僕は特に何も思わない。もう、嫉妬はしんどいからあんまりそういう市場には乗りたくないなって。

 

満月さんに対しては、「この人とは離れたくない」ではなく、「この人とは離れることはないだろうな」という感じであって、奪い奪われの世界では無い。

 

これが良いのかどうかは解釈による。

 

 

こんな感じで。

 

おやすみなさい。

 

良い夢を。