ともかく
22:23から。
合理的残業。いや、単なる人員不足な気もする。会社としては事務作業専門の役職があるのだが、我が店舗には居ない。ある程度全体像を把握するためには必要だけども、細々したところまでやる必要があるのか否か。
なんとなく全体像が見えてきた感じ。
当事者意識で本日は動けたと思う。ただ、如何せん、確保したと思った作業時間が減っていくから、結局のところ、物理的な作業スピードの話ではなく、スケジュール管理の話だと思われる。だって、店長ですら物理スピードが追い付いていないように見受けられるし。
まぁ、見えきただけで登れていける訳でもないから、ここは登ってから考える。
別にキャパオーバーになっていないのは確信できた。
覚えていなくて抜けているような項目はほとんどない。抜けていると思われていることは、そもそも何をすれば良いかが分かっていない項目。初めては流石に無理。類推できるようになった項目は初めてのことではないから、まぁまぁやれていると思う。
認識が変れば世界の見え方も変わる。
店長のやり方の見え方も。割と強引にやっているのではという感じだったが、本日見ていると、相当繊細にバランス取ってやっている細部が分かる。当事者意識のお話。本音を捉えて迷いがないように誘導している。見倣うべき先生。
さておき。
経年と関係あるのか知らないけども、物事の見え方とか自分の動き方がまったりというか、柔軟というか、臨機応変になってきた。
職場では書類整理ができない男とされているが、あんまり気にしていない。だって、家では満月さんの友人が来る前日に、綺麗にリビングを調えることが、料理しながら30分程で終えられる。根本的な整理というよりはスペースを確保するだけなのだが、掃除機もかけてトイレも掃除して。この感じの方が良く動けて気持ち良いと満月さんが言う。僕の素は全然気にしないのだが、満月さんが良く動けるのであれば、維持しようかなとなる。
独り暮らしのときも、誰も来られるような部屋ではなかったのだが、シンクはちゃんと自炊できるように洗い物を残さないようにしながら毎日作っていたし、必要だと認識すれば維持することがしんどいというエネルギーの漏れは無かった。
不要なことをするというのは、それが道徳的ないし一般的に正しかったとしても、エネルギーが漏れる。不要でもしたいことであれば漏れない。
お風呂読書もこの文章時間も何かに必要だからやっている訳でもない。
したいからというより、毎日することと既定されているくらいの意味合い。ある程度抜けても困らないけども、抜け過ぎると調子が悪くなるというニュアンス。実際調子が悪くなるのかは不明だが、代謝が滞るのだろうなとは思う。
やれやれ。
言語化と非言語についての個人的考察。
お風呂読書に村上さん枠を入れたくなって、「風の歌を聴け」の次は「羊をめぐる冒険」の下巻にした。面白い。数値化することが物事の正確な把握になるというのはきっと誰しもの理想だろうなとか。数値として表現できれば、その数値は客観になりうるのだし。正確な性交回数を把握することがパートナーとの関係の数値化になるというとかなり微妙なところ(ここは数えるものではないようなという立場)。
まぐわいの表現は、「寝る」より「性交」の方が、たしかに情緒というか可能性があるような読み味がしないでもない。僕がまぐわいを使うのは、同衾でも交わっているでもなく、食べ合っているニュアンスが剥き出しだから。足りない部分を共食いして、なんなら新たな生命が生み出されることもあるという生生しさがあるような。
ちょっと逸れた。
言語化できることが世の中的には良いとされているけども、言語化って物事を食べきってなくてもできるよなって。言語化ばかりしていると、腑に落ちる非言語の煮物みたいな時間ができない。個人的な感覚でしかないかもしれないけども、ほんとに腑に落ちたことって一旦は言語化できなくなる。これは言語という出口を求めていないところであって、むやみやたらに蛇口をひねったところで言葉としては現実化されない。
いずれ言語として形になるかはともかく、ちゃんと認識したことは腑に落ちるラグがあるというだけ。
大昔、いや今もか。
僕の会話の速度にラグがあるという弄られ方をされる。仕事では特に無いし、今はだいたいその前に会話を繋げようと思うのだが、ちゃんと届いてちゃんと送るのであれば、レスポンスが早いというのはむしろきちんとしていない気もする。
いや、もちろん仕事だと現実的な客観というか時間が大事だからパンパン言語化しているし、それが全てだと思うのだが、プライベートを仕事化している人も結構居るかもしれない。
私的時間に時間は特に無いから、反応なんてどうでも良い。
自分が何を言語化するのかに納期もないし、もちろん相手にも納期はないし。
納期が無いと動けないような人格だったら、この自分にはなり得なかったな。
自分を発見するということは世界を発見することに連動しているので、一生楽しいのだろうな。
はい、ここまで。
おやすみなさい。
良い夢を。