ものぐさ

 

 

17:54から

 

ほんとうはもう少し早く始めて18時終わりの満月さんを書き終えて待つつもりだったが、どうなることやら。

 

 

さておき。

 

本日はお休みなのだが、満月さんと同じく7時半くらいに起きて朝活で本を読んだ。物権と担保物権の本。一昔前より読めるようになっている。ついでに来年の宅建用に宅建六法という法律集が発売されているのを発見した。需要に合っている本だが、ネットで調べると合格が遠のくから読まない方が良いという見解があった。たしかにその通りではある。短期合格のためには基本テキストを読み込んで過去問集をやり込んだ方が効率的。

 

ただ、その後に他の法律資格を取るのであれば、条文に馴染んでおくのは良いことかもしれないという注釈もあり、これもたしか。僕は逆からなので、むしろ今となってはこちらの方が近道になりそう。法学の醍醐味は解釈の結論を収集するのではなく、過程を味わうことにある。

 

結論だけだと情報量が少ないから楽そうだが、その断片の量が無数にあるのだから、脳の容量が足りなくなる。少なくとも僕の脳はそういう容量は足りなかった。過程まで含めると一見1つ1つの情報量が多そうに見えるが、類推とかで流用できるようになるし、情報は断片より塊の方が残るから、長いスパンで考えれば遠回りした方が効率的になるのかもしれない。

 

資格を取っておしまいで、実務とあまり連動していないのであればともかく、宅建は結構実務と直結している。宅建業法自体、実務が先にあってそれを規制するために生まれたものっぽいし。民法のルールは対等な私人間を想定しているから、情報格差がある専門家との取引をカバーできなくて、悪用した業者が居たのだろうな。だからクーリングオフとか手付の上限とかのルールを作った。消費者契約法も同じ筋。

 

行政書士だと試験に問われる問題と実務は結構乖離しているような気がする。試験は合格したが、実際どんな業務をするのかは全く知らない。行政機関に提出する申請書を代行できるのかなという想像。

 

さておき。

 

いや、さておかず、もうちょっと細かな法律の話。

 

物権の本が面白いのは、現実と法の世界のラグの実感ができて、無理なく読めるようになったからだろうな。ここ数カ月というか1年くらいかつかつで新しい本をあまり買えていないのだが、本はいくらでも書庫にあるし(物権の本も段ボールから発掘してきた)、本を読む時間が物理的になければ、今まで読んで来た本で内容が頭に残っているのを遊ばせれば良い。自家発電。

 

結論から書くと権利は人工物。厳密には物体ではなく物体めいたものだから現実に着地するまでにもラグがある。

 

人工物と書くと自然権とか人間にはもともと価値があるといったオーガニック的な考え方の人に反感を買いそうだが、人工物と自然物に優劣はない。違いがあるとすれば、人工物にはもともと機能があるけれど、自然物の機能は見つけたり見出したりしないと人間にとっての機能にならないというくらい。

 

土地とか物とかは自然物で、それに権利として個別に使用・収益・処分できる機能を付けたのが所有権。所有権という人工物が無ければ暴力による奪い合いになるとか言われるが、いまや暴力は国家が制限している訳で、物の機能ってもっと流動的にできそうな気がする。

 

というところから考えると、現代国家での法律は秩序より経済に重点が置かれているような。経済って物の流動だと思っているのだが、権利ももちろん、精神という人工物も流動の対象になっているような。

 

あぁそうそう、ラグの話。

 

民法は、私人間の法律関係を規定している。叙述しているとも言える。

そもそも法律世界自体が現実と微妙にずれているのが、特に現実で動きがない限り、法律が意識されないというところ。所有権だって、相続とか固定資産税とかがなければ現実的に特に気にならないし、債権債務も、厳密に意識しなくても物は移動するし、サービスも享受できるから、普通に現実に生きている限り、民法の世界に行くことはあまりない。

 

ある意味仮想空間めいてないか。アカウントが物理的な個人だから現実空間だと捉えられているだけであって、自然な世界ではない。

 

で、民法が最も現実化するのは裁判であって、民法を学習していると判例がセットになる。実際裁判が起こった時の事実関係と、裁判所が民法の特定の条文をどう解釈したのかという実例。

 

これも、民法民事訴訟法の間にラグがある。

民法は問題が起こったときを問題としているというより、

 

 

 

はい、19時前にでかけて、23時に帰って来て、寝るので強制終了です。

 

 

おやすみなさい。

 

良い夢を。