ゆらぎ

 

 

 

21:59から。

 

 

本日は仕事が終わった後、系列店舗の新人さんの歓迎会めいたラーメンがあるとのこと。僕は昨日ちゃんぽん食べたし、ラーメンに魅力をあまり感じない質だし、マーボー茄子を作るから辞めておいた。

 

実際はこちらの店舗の店長が仕事し過ぎてなんとなく流れてしまったのだが、マーボー茄子の下りは、先輩女子に言ったら、「硯さんが作るんですか」、「はい」、「良いなぁ」とのやり取りになった。料理をする男に特に何もないニュアンスなのはいかにも若者っぽくて良い。

 

そして本日のマーボー茄子のクオリティはかなり高い。厚揚げも加えてハイブリットだし、冷蔵庫に余っているニラを使ってはという満月さんの提案を採り入れたのだが、なかなかバランスが取れている。

 

ひき肉を買い忘れてチャリ1分の閉店間際のスーパーに駆け込んだにしては早く書き始められたとも言える。当然、洗濯もしている。

 

 

お仕事。

 

成果にはならなかったが、個人的な感覚として言葉が回るようになってきたような感じがあった。別に相手の心理を誘導しようという意図はなくても、言葉ってどういう意図であれ揺らぎレベルであれ相手を動かすものだから、相手を動かしたくないのであれば、黙るしかないし、何かを喋る以上、そこは仕方がないのだなと。

 

なるべく誘導しないようにしながら、仕事上の成果に繋がるように動かすのが営業なのかな。変な話、ぱっと選択できない人はより良い物を選びたいという目的がありつつ、深層には多少操作されても納得できれば問題ないという心理がありそうだし。

 

提案側も当たり前だが、される側だと余計に情報量が不足しているのではという感覚が否めないだろうし、どんな選択においても情報が完全で在るなんてことは無いのが真理だし。

 

だって、思考実験しなくても情報が完全な時、選択という概念は発生しない。

 

店長が良く言う、「お客様も営業されに来ている」という言葉には含蓄がある。

選択を後押しするとか、選択させてもらいたいという深層心理。もちろん、表層の心理では自分が選んだという納得がなければ後悔が残ってしまう。

 

本日のお客様で決められそうな感じだったのだが、いったん保留っぽくしたのは納得が残らないだろうなという感じだったから。という、後付けの理由。実際はここで無理やり決めても何か違和感が僕に残るなという感じだった。店長に説明したら、きちんと理由がある保留だから問題ないと言われたから、筋としてはズレて居ない模様。

 

 

毎日発見があって楽しい限り。

 

 

やれやれ。

 

少し書き休めみたいな感じで法律云々について書こうかな。

 

民法民事訴訟法の近そうで以外と近い関係の続き。

 

民法が問題としているのは民法市民社会としての現実ルールだから、裁判になったらどうかの前の話。それに従ったら良いという国家的な強制がある部分は意外と少なくて、契約で特にルールが決まっていなければ、バランス取っているルールが文章化されていますよという感じ。現代社会だと他人に何かを依頼して委任契約を結ぶとそこに報酬が発生しないということはないのだが、民法上は無償が基本になっているとか、契約に関するルールについては結構現実離れした規定が多かったりする。

 

ただ、債権の緩さとは違って、所有権とかの物権のルールはかなりお固め。物権法定主義というのだが、所有と個人の価値を結び付けることによって個人主義を浸透させようという目的があるのだと解釈している。現実に場所を取る物に対するルールだから、個人間の契約でてきとーに決められると第三者が迷惑するという一種の道徳観もありきだろうけども。

 

で、民事訴訟法になってくると、緩くは言ってられないから、裁判上で認められるような社会的現実が問題になる。裁判をするのも人だから、変な表現だが、効率的に事件を裁いていかないといけないから、ある程度類型的に事実を裁判劇場の事実に展開していかないと人材が過労死してしまう。だから要件事実という道具概念が生まれて、民法上の要件と微妙にずれてくるという。

 

 

あと、刑法上の過失の概念が面白い。昔は過失って端的に言えば注意不足みたいな意味合いだったのだが、人の活動範囲が拡がり過ぎて、主観的な注意不足だけでは処理しきれないというか、注意したところで危険を回避しきれなくなった。そのために、結果を回避し切れたのかという判断に移行しないと、世の中のうっかりを適切に処理できないことになるという。専門用語だと予見可能性とか結果回避義務とか言うのだが、たしかに、あまりに不注意な人に過失犯を起こさないようにするためには、その自体はあらかじめ想像できたでしょうって言うより、具体的な状況の中で、こうすれば結果を回避できたよねって言う方が現実的なような気もする。

 

 

なんだかざっくりにしか書いていないが、書けているということは結構良好な精神状態な気がする。あと、書ける時間があるということ。

 

 

何か別のものを否定することで自己を肯定するという感覚はないから、自己主張するときに他への否定が入る表現はちょっと苦手なのかもしれない。法律談義も、法律に対して不自由だと思っているから書いている訳でもなく、僕がそこだけに生きている訳でもない。

 

最後、話が飛んだ気もするが、もう寝るのでここまで。

 

 

おやすみなさい。

 

良い夢を。