響き

 

 

21:59から。

 

明日から二連休。ついでにもう一日行ったらもう1回休みらしい。ほんとはこのタイミングで休みが積まれるのはあまりよろしくない。研修項目解除の関係で。ただ、ここについては何故かグループのお店から助けてもらえたから、もうちょっとで解除されそう。

 

ほんとありがたや。会う機会があればお礼を言うしかない。店舗の雰囲気も良さげで、先輩女子が戻りたがっているのもなんとなく分かる。ただ、店長が先輩女子にあっちに戻ったらダメになってしまうというのも分かりみだし、僕は特にこの店舗に行きたいとは思わない。

 

こっちの店長の凄さをもっと吸収したいというのがあるから。結構突き放すタイプで、研修項目上は全然扶けがないのだが、その先のことでは為になることしかない。応対好きじゃないと雑談の流れで冗談交じり、ぼそっと落ちた言葉は、本音であったとしても分からないことはない。仕事で仕方ないからやっているというスタンスの方がまともな人っぽいと思うのは、僕がこの意味では陰寄りだからかも。

 

道徳的に優しくない人(言い過ぎ)でも、きちんと人を見て距離を取りつつ教えてくれる能力が高い人が好き。前職の先生もそんな感じだったが、先生の方が店長より少し年上な分、人当たりがマイルド。これを淡白と捉える人も居るが、ほんとの淡白は雑談が盛り上がっても人の話を全く聞いちゃいない人だと思っている。こういう人はなんとなく情が厚いと評価されそうだが、儀礼的な技術でしかないような。

 

 

そういえば、昨日書かなかったのは、タイミングがズレたから。絶賛寝不足中だし外食になったし、外食をするタイミングも思ったより遅かったからもう寝入るしかないって。

 

ついでに、仮に昨日書いたとしたら、仕事の若干愚痴っぽくなった可能性がある。

結構店長に駄目出しされてしまったなというお話。満月さんに話すと、それは駄目出しではなくて教育なのではという返しに遭った。まぁ、別に駄目出しした店長に向いた愚痴ではなく、できなかった自分に対する愚痴であって、一言にすると「悔しい」がぐつぐつされていた。

 

悔しいも愚痴めいたものから向上心めいたものまでグラデーションがある気がする。

僕のは自分に対する憤怒っぽかったな。自分に対する憤怒は相手に怒って良いことにならならないから、寝不足だからとて誰かに怒って良い理由にはならない。

 

 

慢性的寝不足は世界を恨む栄養素の筆頭。感情の閾値がちょっと低くなっている感じがある。別に分かり易く怒りを露わにするような子供じみたことはしないけれど、内側でマグマがぐつぐつされているなぁという感じがある。

 

基本的に僕は世界に怒らないのだが、ぐつぐつしていると世界に対して閉じる傾向はある。

無駄というか、離脱するしかないというか、言葉が出て来なくなる。

 

理由が無い怒りが存在しないのって、正義とちょっと似ているような。

ルサンチマンと繋がってそうなのだが、まだ知識が足りていない。

 

感動には理由がないこともあるし、理由なく笑顔になってしまうこともあるのは、社会の視点で言えば不合理だから、あんまりスポットライトを当てたくないのかなって。

 

ここで言う理由とは言語化に他ならない。

満月さんは結構言語化の人だから、僕の動きに言語的な理由を求める。もちろん、社会的な所作としては正しいと思うのだが、僕はいちいち言語的な理由付けによって動いている訳ではないのだよな。そこに齟齬があるとかではない。念の為。心臓がきゅーんと収縮するから、性欲とは別なところできちんと愛している。

 

肉体的に欲情するから、相手のことが好きなのだとしたら、言語的に交換可能になるし、この概念を言語化すると「好き」ということになりそうな。

 

あぁ、本日すっきりしているのは、昨日駄目出しされたと思っていたことを、店長が自らお手本を見せてくれて、なるほどとなって昇華されたから。ほんとスゲェあの人。同じことをできることは人が違う以上無いのだが、見倣うべきところはいっぱいある。

 

ラカンさんの精神分析の本で、知っているということを知っているというのは、超越的他者の視点であって、これが言語的な知であるみたいな話からの流用。自分の知識とかこれを越えた自分自身が客観的になる為には、言語による相対的な認証が必須になる。

 

僕は人の自己紹介の記事を読むのは好きなのだが、自分では全く書く気にならない。誰かに認証されるような事務情報を書くことは可能だけども、それを書いて、読まれたところで僕が読まれたことにはならないというか、事務情報の前置きがないと読めないような人に特に読まれる必要が無いというか。

 

自己紹介って、誰かに認証される為に書かれている訳ではなく、自分が言語化として自身に認証される為に書かれているような。だから美味しい。

 

言語=感情≒世界認識みたいなことだとすると、話したり書いたりすることは他人との疎通というより、自己がどう在るのかという自己を確証するための所作であるような。

 

とりあえず、この辺りでおしまい。

 

村上春樹作品の世界観にそうとう影響されているなという感じがあるが、影響は環境に選ばれているのではなく、選んでいる。

 

おやすみなさい。

 

良い夢を。