提唱しない提唱者
22:00から。
昨日の日記をnoteに貼れていなかったから、noteの人からすれば2本立てみたいな感じになるが、昨日と今日では随分違う。
本日は満月さんが帰って来てから桃鉄をする予定があるため、手早く書いていく。
書かなきゃいいという選択肢は無い。なんで無いかというと、書き物は平日の1部だからという感じ。
さておき。
お仕事は少しやらかしつつ、成果にはなった。
世の中の薄情さというか、売上至上主義みたいなところを実感。たしかに民法の世界ってほとんどが慈善事業ではないから、賃貸借契約において一定の条件を前提にするというのは分からんでもない。
そもそもなんで慈善事業の世界にならないのかというと、取引の対象である相手の潜在的人数が多すぎて、いちいち人柄を面談して把握するコストをかけられないから、誰でも分かるような証拠で見るしかないということ。いや、これは資本主義って利益を生まないと存在意義が無いという話であって、特に慈善事業とは関係ないか。
慈善事業にできないのは人間の本性みたいな世界観だと思うが、別に利益を生まなくても問題無い関係のモデルは民法の世界もある訳で。分かり易いのは贈与。贈与には利益として換算できない利益っぽい物が背景にあるという話だが、この契約自体には利益は含まれない。
と、考えると、何故贈与税が発生しないといけないのかってよく分からなくなる。消費税が国家が消費経済が恙なく回るように環境を整えている場代みたいなものだと考えれば、贈与税とか相続税もそういう財産の移動ができるようになっていることに対する場代と言えるのかも。贈与も親族間で行われる方が他人間よりも遥かに多いだろうから、セットみたいに考えられているし。
租税法にあまり面白みを感じないは、そもそもの存在意義があまり腑に落ちていないからなのかもしれない。別に消費税が上がることが憤りになっている訳でもないし、消費税は他の税(法人税とか所得税)との組み合わせの国家の収入問題だから、法学というよりも経営学とか政治学の話なのかもなとか。
お仕事の話がいつの間にか逸れた。
楽しんでいるのだが、なんとなく理不尽性を感じなくもない。これは単に歩合が付かないのに歩合が付く人と同じような動きをしないといけないのはちょっとおかしくないかということ。勉強の為にやらせているという感じではなく、もはやメンバーの1人として稼働させていないかと。仕事していればずっと勉強し続けるのは当たり前。人生劇場だってそう。
まぁ、これはせいぜい年内で終わる話。
でもこのお仕事というか、正社員だからなのか定かではないが、こういう仕事をし出して、身に付いて来たことがあって面白い。
外から設定された時間軸で過ごすのではなく、時間は中で割り振っていくものだということ。もともと感覚的にはあったのだが、現実的にこうやって過ごして良いのだとなると、日常にも応用されてきている。時間割のリストを自分で作るということではなく、時間とされている区切りの中で何をするか、何ができるか。ここにやる気とか気分は割り込んで来ることは無い。「したい」だと時間が外から来ている感じになって、時間に扱われることになってしまう。いや、こう生きたところで楽しさはあんまり変わらない気もするが。
やれやれ。
昨晩、満月さんに性格診断をやってくれとURLがLINEで送られてきた。
やり終わってから気付いたのだが、やったことあった。その日記もどこかで書いていたはず。
16タイプの生活に分類するやつ。
分類は世界を簡略化する為のツールであって、例外がとか言い出すのであれば分類する必要がない。決めつけは良くないが、ツールによって世界が分かり易くなるのであれば問題ないと思う。
日本人なのか、全人類なのか定かではないが、もっとも稀なINFJとのこと。
まぁ0.5%って、100人の中には少数点になって存在しなくなるが、1000人になると5人だし、日本人口で言えば6万人くらいになるだろうし(計算間違っていたらごめんなさい)、この類型に対するコンテンツがあったとしても充分マーケティングとして成立するだろうから、それほど孤独では無いような。
説明の中に自分が理解されないと思っているというフレーズがあったのだが、たしかにそうだと思う。ものさしが一般常識を基準としていないから僕の中の当たり前で話そうとすると、話がずれてしまという感覚はずっとあった。
だから黙ったり、空気を読んで相手にものさしを合わせたりして自失する時機があったし、今でも結構迷子になる。
そろそろ、自分で在ることは諦めて良いかなとなっているから、多少ずれてもいい。文章では完全にそんな感じ。
思いやりがあるとか、つながりを重視するみたいなフレーズもあったのだが、厳密に言えば、きっとそういう風に一般から見えるだけであって、当人の中身ではそういう感覚は無い気がする。他のINFJの人と関わったことが無いから想像でしかないけれど。
人と接するのにエネルギーを費やすというのも、たしかに。
ただ、僕の場合、HSP傾向もあるからエネルギー消費が余計にある。人と接することに苦は特にないし、案外好きなのだが、消費量が2重にあるのだなと。
いちいち人を固有に捉えてしまう。
人をモノとして、消費できる存在として捉えないとできないことっていくつかあると思う。
例えば、営業もそうだろうし、他は、夜の営みとか。変な話、これって相手を侵食するという攻撃的な性質があるから、劣情対象にできるということは、自己という人としての存在とは別物に捉えているということになる。
こういうことを実際関係している人に話したら、あんた考え過ぎで頭でっかちなだけと言われるから話さない。ちなみにずっと言語として思っていた訳ではなく、最近の自分の動きを言語で解釈しただけ。
はい、ここまで。
おやすみなさい。
良い夢を。