めりくり

 

 

23:20から。

 

聖夜を大事にするくらいなら、日々の名前が付かない日を楽しんだほうが人生が面白くなる。

 

こんばんは。

 

なかなか酔いどれ。職場の忘年会で飲み放題だったものだから、一番搾りの生中を5,6杯いただいてきた。その後に近所のコンビニで友達の店長さんと雑談しつつ、ケーキを買う。かならずしもケーキを食べたい訳ではなかったのだが、店長さんへの労いを兼ねて2種類かった。きっと満月さんも喜んでくれる。

 

飲み会で、正統派な感じと言われたのだが、僕がそう見えると言う事は、なかなか目が曇っているというか、歴戦の営業マンをごまかすような擬態ができているということ。利益度外視で哲学しながら仕事している営業マンはなかなか居ないと思われる。

 

自分のアピールなんてしたくないとうか、しなくて良いと思っている。

これがもう少し擦れたら、お金をどう循環させるかというところに持って行くとは思うから、結果的に利益を重視するのと同じことにはなりそう。

 

 

今日はお仕事の話、別にどうでも良い。

 

さておき。

 

昨日の日記に恋愛の記事を書いている人が印をつけてくれていて、そんな話書いたっけと。一般化できるような恋愛論は書いていないような気がする。

 

そんな感じで、本日はちょっと恋愛の話を書こうかなという気分。

クリスマスで浮ついている訳でもなく、恋愛が人間関係のどの程度なもんだという話。

 

「人並みの幸せとはスケベだ」という見解をついさっき読んだのだが、こちら方が僕がこれから書く話より真理だと思う。誰も言わない暗黙の了解として、子供が授かっているということはスケベしていることだし、ここにスケベな視点を当てるのは不謹慎だという空気がある。無垢な子供ではない大人でさえも割と禁忌としている視界。

 

スケベ非公然は、日本人の慎ましさなのかもしれないけども、非公然にすることって、かつての禁酒法みたいに、商売になること。もっと大人があっけらんかんにした方が子供の性教育も進むような。

 

僕は基本的に表現物に年齢制限を付けるのは意味無いだろうという立場。蓋をすればするほど外から見たくなる好奇心を煽るだけだから、そんないたちごっこをするより表現物は全開放で良くて、あとは表現をどう取り入れるかという教育の手腕の領域だと思っている。

 

これはスケベ方面以外の全方向であって、表現者は受け手の気持ちを伺う必要なく好き勝手やったら良いという感じ。嫌だったらそれを見なくて良いし、団体がその表現を気にするのであれば、表現元に表現しないようにするような圧力をかけるではなく、その団体内で、その表現を見ないように規制すれば良いだけ。

 

スケベをすると表現に腐臭がするという言はちょっと分かる。

ちょっと甘ったるい匂いだと思う。

 

スケベの話はここまでにして。

 

やれやれ。

 

本筋の恋愛劇場。

 

個人的に満月さんのことは恋愛劇場に現れた人ではなく、僕の人生劇場で一緒に居る人なのだろうなと見ている。このニュアンスが通じるのかは不明だが、岡田斗司夫さんが男女の恋愛感情の推移を語っているパートがあって、なるほどなと思って自転車を漕いでいた今朝の出勤道中。

 

曰く、女性の恋愛感情のピークは付き合い初めで、そこからやんわり下がっていくのだが、男性のピークは別れた後にやってくるという。僕は肉体的にも精神的にも男性だから、この気持ちはとても分かる。恋愛感情で言えば、たしかに満月さんより、昔の恋人さんの方が強いかもしれない。

 

ただ、恋愛感情とは別の世界線でみたとき、ただまぐわえる可能性なんてどうでも良いから、仮に昔の恋人さんが再来して、2人で飲みましょうって提案されたところで、絶対断る。もうその時の自分とは変わっているから、今更世界線が交わったところで面白くないもの。

 

ここで、満月さんは嫉妬するかもしれないが、だとしたら、男女の世界線の一致において恋愛感情が最上級だという世界観だから。

 

岡田斗司夫さんが言った恋愛感情の男女ピークの違いって、結局のところ、性愛にやんわりフィルターをかけているだけかもしれないなというのは穿ち過ぎな気もするが、ありうるところ。女性は恋愛感情が薄まったくらいに子供を授かるから、次の関係性が生まれて問題ないし、男性の方は子種を蒔き散らかす本能があるから、蒔き散らかせなかった過去の恋人に恋愛感情が生まれる。1回関係があるから、もう1回みたいな。

 

スケベではないけれど、いや、結局ここってスケベの話なのか。

 

個人的には世界線から離れた、1回関係があった人は恙なく生きて居れば良いと言う感じなのだが、いかんせん、誰もネット世界に生きていなくて、僕には感知できない。まぁ、関係ってそんなもんだなと思うから、どうでも良いちゃどうでも良い。ここに囚われて実生活に不具合をきたすわけでもないし。

 

昔はそれはもうかなり不具合をきたしていた。

 

 

恋愛市場の話で、男性から女性に「料理しますか?」と聞くのはアウトらしい。

曰く、発話者は料理をする気がなくて女性に押し付けている感じがあるからとか。

 

マッチングアプリは未経験なのだが、いったい何を調整している世界なのだろう。

自分に足りていないものを他人に求めている限り、良き関係は一生醸成できないと思う。

 

他人は家電みたいに条件で選ぶものでなくないか。

 

条件ではなく、一生過ごす人生劇場の中で登場人物ではなく一緒に人として居られる人かどうかのような。

 

この土台に立てるのが、証拠がない自信とか自在の領域。

 

お酒が終わったのでここまで。

 

おやすみなさい。

 

良い夢を。