動き

 

 

22:08から。

 

 

本日はもやしとほうれん草と卵とシーチキンの中華炒めと、短冊マグロを買ってきて漬けにした。ついでに洗濯して、明日久々にスーツを着るとのことの満月さんのYシャツにアイロンがけも。

 

主夫スキルが上がっている。

 

満月さんは朝に強いから、お弁当のおにぎりを作ってくれる。

本日は頭痛で断念していたが、こういう外的条件は仕方ない。

 

僕にはあんまり体調不良という外的条件が出てこないので、全てはやる気とか気分と観測されるところに収束される。二日酔いは外的条件ではなく、刑法で言うところの原因として自由な行為であって、自分で決めたこと。何かをしない理由にはできない。

 

んな感じで、本日も朝活はした。

 

正直、あまり回答への道筋が回答を読んでもしっくりこなかった。要復習。理屈に適っていないのではなく、理屈の道筋をトレースできない感じ。もうちょっと知識があればなんとかなるのかも。知識というかじっくり法令を読み込む時間かもしれない。そのうちやろうとか思っているといつまでもできないから、2日以内には復習しよう。

 

この2日というのは脳科学忘却曲線とかではなく、単なる気分の話。

 

 

さておき。

 

お仕事。

 

かなりうまくいっている。歩合になっていたらなんと良かったことかだが、外的条件なので仕方ない。

 

ただ、うまくいっているときには、だいたい落とし穴があるという悲観的観測がデフォルト。実際思い当たるところがある。というか、思い当てようとすれば、いくらでも悲観的観測ができるのがこの世の中。これを確率論というかゲーム理論というか、期待値みたいなところで現実の濃淡を観測しているのが人間であって、実は量子力学の方がニュートン力学より人間の素朴に近いのだなと何かを読んでいて思ったのだった(細かな数式は知らない、直感として)。

 

起こり得るという意味で言えば、やらかしてお客様と店長から怒られるという事柄と、地震が起こって、隕石が落ちてきて退場するという事柄はいずれも確率上はありうるはずだが、今のところいずれも起こっていない未来の話。なのに、起こりうる確率が高い方があたかも現実だと認識されがち。

 

いや、そんなの普通の未来予測というか読みじゃないかと言われそう。たしかにそうだとは思うのだが。物理現象さえ突き詰めていけば原因と結果が完璧に連動されていない。これはともかく、人間は原因と結果の直線を捻じ曲げることができる存在だという認識。

 

いやいや、仕事ではもっと一般的因果の世界を認識しないといけない。

例えば、お金が減るというのは一般的に悲しいのだとか。だからお金の計算にはシビアでないといけない。ここの甘さが仕事でのやらかしに繋がりそうな予感。まぁもうちょっと計算方式とか、どういう言い回しをすれば良いのかを学習できればここでも通常にはなれそう。

 

書類整理の雑さも改善されてきているみたいだし。何回も確認してやっとだから、お金の計算も何回も確認すればなんとかいけそうな。

 

どうなるだろうな。

やらかしになるのか、外的条件として仕方ないとなるのか。お金をもらう前の話だから、どう流れていくのかは不明。まだ失敗して良い段階(その分対価もない)だから、失敗譚を増やして糧にした方が良いような。

 

というか、人って一生失敗して良いよな。

失敗よりその後にどうしていくのかが醍醐味。

 

乞うご期待(違う)。

 

 

人の感情の動きって、何で測るのかという指標として、分かり易いのが言葉とか行動とか態度。自己が感情を示すのも、この三種で表現すると思う。

 

ただ、この三種以外の空気感が読めることってなくないか。

 

店長は結構先輩女子にピリピリしていることがある。言葉上は淡々と怒っているのだが、特に感情的に怒っている訳ではなく、感情で怒っているようなポーズを示しているだけなように読める。自分の感情が動いて荒れているのではなく、叱って改善した方が良いところを指摘しているだけ。だもんで、居心地が悪くならない。

 

思春期時代、家庭に嵐が巻き起こっていて、居心地が悪い世界で過ごしてきたから、ほんとうに感情が荒れているのか、荒れているというポーズなのかというはなんとなく読めるような気がする。感情が荒れているときは、世界(人も含む)を、自分の都合良く誘導したいが為の三種の動きがあるのだが、なんとなくこれが一致することはなく、矛盾が出てくるような。

 

誰も操作しないような感情の動きは、もっと言動も態度も荒げないように起る。

 

やっとこさ耐性が付いてきたのかも。

いや、学習が進んでいるだけか。

 

人は一生失敗しても良いのと同じで、一生学習しても良い。

失敗も学習も人生劇場の舞台が移動するだけ。世界線ともいう。

 

ん、何か啓発系みたいな話になっている。

僕はこれを誰かが読んで、舞台を変えようが知ったことではない。薄情であるというのは念の為書いておかないと。

 

勝手に動いた結果、縁があったら面白いだろうなと思うけどもそれは僕の舞台の話。

 

 

やれやれ。

 

「女のいない男たち」って、どういう読者層に向けての物語なのだろう。

いや、もともと誰に向けても書いていないのが村上さんの作風なのか。この押し付けがましくなさが個人的には好きなのだが、嫌いな人はきっとGくらい嫌いかもしれない。

 

あと、この人の物語って、社会的には関係は薄くても、個人的には深い人達ばかりなところ。

たまたま出逢っただけなのに、深い話ばかりしてないか。

 

はい、ここまで。

 

おやすみなさい。

 

良い夢を。