雑味

 

 

 

 

22:23から。

 

 

本日はちょっと早く帰れる日だったが、PCを使わない仕事が残っていて残業になった。全然気にならないのは当たり前になっているからではなく、気にすることでもないから。とはいえ、もっと効率化すれば早く帰られる訳で、ここは意識していく。

 

本日のリクエストはお刺身ととろろご飯と新玉ねぎとひじきとツナ缶のマヨサラダ。とろろご飯の味付けが分からないから、すりおろしただけで放置。マヨサラダは美味い。お互いひじきも新玉ねぎも好きだから、好きなように作れば美味しくなる。ついでに、木綿豆腐をレンチンして、もやしと卵のあんかけを作った。薄味で美味い。

 

あ、帰ってきた。

 

さておき。

 

お仕事に戻る。

 

懸念事項がなんだか気にならなくなった。別に能力が上がっている訳でもないし、ちょこちょこ抜け漏れもあるのだが、知識と経験的にいまは無理だなとある意味自分に諦めがついている感じ。いつまで経ってもできないという絶望までは至らないし、そのうちできるようになれば良いだけ。

 

だって、知らんものは注意しようがない。

社会的に知っておかないといけないでしょうと言われればそれまでだが、社会だって細分化され過ぎていてまともな頭を持っていても把握するのは不可能。どれだけどこかの社会で研ぎすませていたとしても、他の社会に行ったら新参者というか、お客様みたいなことになる。

 

自分を許容する範囲が増えているのだろうな。そのままの自分で良いという現時点の自分を赦すことはなく、過程というか未來も加味している。もちろん、進歩しなければ自分では居られないみたいな強迫観念もなく、放っておけば勝手にやるのだろうなというくらいの他人事観。

 

執着無く単に歩いている。

人の怒気に対して悪気を感じなくなったのが相当な歩み。怒った理由が僕の落ち度だったとしても、その過去は変えられない以上、改善すれば良いだけであって、怒気自体を気にする必要が無い。

 

自分によって他人が怒ったのだというのは、真面目な考え方だけども、それで世界観は楽しくならない。

 

この仕事になって良かった。

人との関係にひやひやしなくて良くなっている。やっぱ全ては慣れ(馴れ)なのか。

馴れ合いは嫌だけど。

 

世界が苦しくて良いなんて、楽しくない。

 

 

 

やれやれ。

 

このニュアンスがポジティブな世界観で捉えられるのもちと違う。

良いことは勝手に起こるのではなく、起こるべくして起こるとか言い出すとスピリチュアルになるのか。

 

悟った人は執着しないという動画を見たのだが、僕はもともと執着しなかったから、悟りに至った訳でもないという。人間味が薄いとか、考え過ぎとか良く言われて来たから、自衛のために埃を被った10代から20代まで。埃は常識に言い換えてもあんまり変わらない。

 

 

そんなことより、村上さんの多崎つくるさんの小説、なんだかうるうる来る。

 

この話をすると絶対無いと思われそうだが、僕はずっと実際的な意味でアカがシロを退場させたのだろうなと解釈していた。別に推理小説ではないから登場人物の中に犯人が要る訳でもないのに。観念的な意味で退場させたという意味なら登場人物は全員シロを退場させただろうし、シロも全員を退場させたとも言える。

 

うるうるするのは、関わりがなくても関係が繋がっているという感じとか、主人公に対してこうするべきというガイドの言葉が優しいところ。人生劇場における主人公ってこういう主観で生きるよなって。

 

前読んだときとは全然違う読み方になっている。

もちろん、過去の読み方が拙かったとは思わない。

 

自分の過去を否定したら未來から今の自分が否定されることになる。

みたいな警句ではなく、特に自分を区切る必要もないなというだけ。

 

ここでまで。

 

おやすみなさい。

 

良い夢を。