はばつ
22:15から。
本日のご飯担当は僕。貧乏生活で進化している満月さんと言えど、22時のラストからご飯を作るのは不可能。お弁当のおにぎりが常態化してくれると嬉しいのだが、強制することはできない。コンビニのお弁当より遥かに美味しいおにぎり。
マーボー豆腐丼以外は自由でということで、大根サラダとえのきのナムルを作った。土日の残業後だとご飯タイム30分も無いから、まぁまぁの出来だと思われる。
マーボー豆腐は、僕1人では作らないくらい辛い。豆板醤入れ過ぎた分、本格的な痛みを伴う旨味があるようなできあがりになった。アレンジとしては冷蔵庫に残っていた悪くなりそうなピーマンをみじん切りにして一瞬茹でて加えたくらい。辛味の中に苦みのアクセント。大人のお味。
(明日のお尻にダメージを与えそう)
さておき。
お仕事。
クレームをいただいた。
満月さんに説明したらそれはいちゃもんだと言われたが。
理屈が全く理解できなかったからかもしれないが、なんというか何のダメージも無かった。僕は人の怒気ってめちゃくちゃ苦手だという認識。怒気が過ぎ去るまで待つしかなく、 何も考えられなくなる。
今回は、怒気に当てられずに俯瞰していた。
何かを主張するために怒るという選択肢を使うって、結構子供じみているというか、言葉という世界の場外戦術なのだろうなと。
なんだかすごく勉強になる。
その人にとって何か蟠りを怒気として解放することが必要だったのだろうなと。
ある意味他人事だが、怒ってくれる人ってお仕事上ありがたい存在だよなと。
その人の怒りは発動する前に収められなかったけども、今後のお仕事で怒りが出る前に火消しするという意味で勉強になる。
1回体感で通れば同じ轍は踏まない気がするから、大丈夫なのだろうな。
お仕事が安泰なのかというとそうでもなく、毎日暗中模索している。
前後不覚な状況ばかりなのだが、店長は半年越えたらもう新人ではないという感じだからもっと自由演技すれば良いのだろうなと。
自由演技できる場の方が自分を発揮できる感じがするから、この人生劇場で退場するのは忍びない。
自由を求めている人って、ほんとにそうなったらどうするかって聞いたら、だいたいは社会条件における自由だと思う。それが悪いとは思わないけども、そこで過ごすのを決めているのは成人したら当人だし、自己責任というか自己人生劇場。
もちろん、僕も社会で生きているから、社会的にこれで大丈夫なのかという不安感は拭えない。自由の概念は不安とセット。
ふと、言葉は社会を越えることはできるのかということを考える。
言葉って基本的に社会条件の中で扱われる方言みたいなものであって、万人に通じるようなものではない。ただ、そういった社会条件を超越しても残る言葉(表現)がある訳で、整合性があんまりないよなと。
社会を越える言葉は何かしら普遍性を持っているという説。
社会に淘汰されない言葉を扱えるって天才の所業。
誰かが扱う言葉も、社会性だけだと面白くない。
具体的な関係性においても、そこでしか使われない言葉があって良い。
満月さんのあだ名は「もっちー」だったのだが、あんまりもちもちしなくなっているから、呼称を更新しないと。なんだか知らんけど絶賛痩せていっている。
僕の世界は順次更新されている。
この世界観について来れる人って満月さんしかいないという意味で、とても相性が良い。
惚気ではないつもり。僕も満月さんの創作意欲に付いてく為に更新しないとけない。
こういうヒリヒリした安心感の方が楽しい。
おやすみなさい。
良い夢を。