不明

 

 

 

分からないことが多すぎる。たぶんこうやって分からないまま僕の人生は終わるのだろうという危惧感。知るという観念は深すぎる。まぁ自分がかつて知っていたと認識していたことすら分解するのだからキリがないのはたしか。とはいえ、何もしていないとはまた違う。人に対しては何もできないだろうだのはあるけど、それとも別。

 

認識の更新は結局僕が生きやすくなるだけでなく、もっと人のことを見られることになる訳で。僕の芯は、おそらく僕を規定しようとしない限り穏やかである。規定しないことはすなわち、どうでも良いとも等しい。

 

さておき。

 

引き続ききゅうりの昆布茶漬け。ハマってしまった。しかし、ちょっと味が薄い気がした。調理工程も変わらず、一緒に食べているおかずの味の濃さもそこまで変わらない。違うとしたら、値段か。

 

ここで食材の値段を1円単位で気にする問題についてちょっと分かったこと。食材に対しては最低限の相場が生まれているから、その相場を前提として味を判断している説。もっと細かく言うと、食べ物って効用がほとんどないんよね、食べてしまったら終わり。だから、味とか栄養素で判断しようとするけど、これだと明確な基準にはならない。ということは結局お金ということになる。なるべく安くてお腹に溜まればいいし、この一過性で見れば、より味が濃くて安いものが至上。だからカップ麺に需要がある。お金がかからないもの程調理しなければいけないという行動を強いられるかというと、そんなことはなく。

 

消えていくだけのものに、どれだけ課金と行動をしようとできるかは個人の問題。ちょっとした調理なんて、1年くらい毎日続ければ時短でなんとでもなるようにはなるけれど、この準備期間すら課金で良いというものさしもありうる。例えば、料理ができるパートナーとか。

 

ここのポイントは、食材の価値は食材ごとに金銭で算定しているという説。だから底値というのが気になる。僕はそこまで気にしないけど、30円のきゅうりと80円のきゅうりは同じ味だろうなとは思う。高くて美味しいのではなく、生産者の都合で高くなっているだけ。

 

食材が自分の体にどういう効果があるのかが感知できないからこういうことになる。物の購入は自分に対する効果と直結しているから値段よりも効果が重い。

 

ついでに調理の付加価値は金銭換算できない。ほんまムカムカしたから何回も書くけど、前の前の職場の時に、僕が弁当のおかずを同僚に振る舞ったときの話。別に自発的に振る舞ったわけでなく、食べたいと言われたから。スイートポテトとか酢豚とかハンバーグとか、複数人に。ボランティアかよ。

 

美味しいと言われたのは良かったけど、その後が不味かった。僕とパートナーになる人は大変だって決めつけられて、思い出す度にムカムカする。僕が積み上げたものを、相手に求めると思われているのがとても不快。誰かが僕の為に作ってくれたご飯はその労力だけで美味しいから非売品なのに。僕が文句付けるものだと前提して語られる場で、とても浅いと思った。たぶん与えられることが当たり前に生きてきた人なのだろうとか。

 

文句は付けないけど、どうやったらもっと美味しくなるかを探求したい人だったらアドバイスはするかもくらい。むしろ僕のために美味しく作ろうとしてくれた結果として失敗してくれた方が嬉しいわ。その試行錯誤が愛しいだろうよ。

 

僕もかつては当たり前の文脈を生きていた人だから、なかなか幼さが恥ずかしいエピソードではあるのだけど。自分ができないことで過剰にパートナーに要求するってお客様かよって。でもお客様としての課金が一般的なパートナー感な気もしないでもない。

 

でも、近ければ課金が安く済むというは微妙におかしい気もする。この違和感については言語化できていないので省略。

 

こうなってくると料理と言葉はとても近くなる。どちらも僕の中では食べ物だし。食べ物の厳密な定義って難しいと思うかどうか。

 

あと、感情の流用性の話。

 

ある対象に対して感情が起こった時、それが固有なのかと考察してみたとき、本当に固有だということはあり得ない。何故なら、感情は学習したものだから。これが喜怒哀楽なんだよって言われなくても、空気として学習されているもの。

 

感情には原典があるということ。この人に対する悲しさと、あの人に対する悲しさをちゃんと分けられるのであれば友達になれる気がする。

 

 

要は、自分の感情を突き詰めていくと、どこかに源泉がある訳。出自がある。でも、出自がない感情もある。この出自がないところを見ている。

 

連休ジャーなので、まだ続きがあるかも。

 

僕の文章を読んでいても誰も自分のことを開示してくれないのはまぁまぁずるいとは思っている。まぁずるいのが人だから別にそれで構わない。

 

では、皆ずるくありますように。