このまま

 

 

 

1日目の出勤により追加で買った方が良いものを買いに行った。シャチハタと100均イヤホンはイオンで見つかったのだが、手帳が無かった。イオンモールに入っている本屋さんにもイオンブランドのお店にも無く。おそらくモールに本屋が入っているからイオンブランドの方には文具系を置かないような調整があるような。

 

で、ちょっと考えたのだが、おそらく手帳を入れ替えるシーズンではないから置いていないのだろうなと。常備している人は1月とか4月の年区切り、年度区切りで新しく買うしカレンダーと同じ感じで入荷するのだろうなと想像。東急ハンズとかロフトにはあるかもしれないから、また探そう。4月始まりでも3ヵ月以上が無駄になるが、未來に有用だと思ったから途中からでも問題ない。

 

スケジュールはあんまり忘れないから記憶の外付けというよりは、なんとなくできるビジネスマン風の装いのためと、年齢早見表で自分の生まれの西暦が分からなくなった人をアシストするためと。まぁスケジュールが過密になっていけば覚えきれないこともあるかもしれない。

 

腕時計はあった方が良いのかなと思ったが、店長は付けていないような気がする。イマドキはスマホで時間を確認しても失礼には当たらないのだろうか。要観察。

 

 

ついでに1階スーパーで食材とビールのお買い物。

 

だいたい水2リットルは毎日買い足している。あとカルピス原液とかお母様印の梅酒のための炭酸水。イオンブランドの炭酸水は安いが、個人的にはサンガリアがお好み。サンガリアが無くてウィルキンソンがあったのは、サンガリアだと値段帯が近いけどもウィルキンソンだとイオンの炭酸水の安さが際立つからなのではと妄想。あとの常備の補給としては、鰹節と卵と牛乳で割るコーヒーと。

 

晩御飯のリクエストはネギトロ丼。しかしながらネギトロは売っていなかった。そこでキハダマグロの短冊を買って自作することにした。細かく切り刻んでマヨネーズと顆粒だしを混ぜてとろみが出るまで混ぜれば完成するらしい。ちょっと味見したが、これがネギトロなのかはともかく、美味しいのは確か。たれもみりんをレンチンしてアルコール分を飛ばして醤油を混ぜて作った。あとはわさびを加えてかければきちんとネギトロ丼風になるはず。

 

 

昨日は休みだった満月さんが作ってくれた。シューファルシごぼうのキッシュ。食戟のソーマの四宮シェフのレシピを再現したレシピを調べてさらにアレンジするというシェフ。無茶苦茶美味しい。フランス料理は時間がかかるみたいだから日常で作れるようなものではなさそうだが、僕の日常和食とバランスが取れている。

 

和食でなくても上手くなってきたと褒めてくれる。これは舌が1つではなく2つになったことによる当然の作用だと思う。自分で作って自分が食べるだけであれば栄養バランスとか飽きが来ないように調理すれば良いだけだが、舌が2つになるとそうはいかなくて、世界の次元が1つ上がる。

 

ここでぶっこむのもアレなのだが、本日流れてきて眺めた記事について。

事務情報としては22歳の文学部卒の実家暮らしの公務員の女性。結婚して育児をしたいから結婚する気がないのであれば長く過ごす必要が無いみたいなことを現パートナーに話したという文章。別に価値観はそれぞれだし齟齬も当然だから問題ない。

 

ただ、眼前のパートナーより理想的な将来の方が大事なのは、なんというかあんまり他人が人生に存在していない劇場感よなぁと。自分が社会的に正常とされているレールに乗ることが大事なのは分かるけれど、レールに乗ったあとも人生劇場は続く訳で、今のパートナーを価値観の条件で測るのであれば、子供が理想的で無かったらどうするのだろうとか思ってしまった。

 

いや、別に良い。こういう人の方が良さげな人生劇場を演じられるに違いない。

ただ、読んでいると何かがもやもやする。自分の価値が外付けな読み味だからだろうか。別に結婚して子供を授かって育てていくという価値観が悪いと思っている訳ではなく、このレールに乗ることを危機感として駆け込み乗車するのはちと違うかなぁというだけ。

 

我が母は、そうやって駆け込みで乗車させられたという意識で自分の人生劇場が外に支配されたと思っていて、なんとなく他責にしている。子育て失敗したって折に触れて言うのだが、これって実子からすれば人格否定でしかない。僕としては誰から否定されようが関係なくはなって来ているからここはもう少しうまく朗らかにやって行きたいところなのだが、たぶん営業成績を積み上げていくより難しい。僕の中にある母の印象も母の中にある僕の印象も決まりきっているところから動かすのは第一印象に気を付けるより遥かにハードルが高い。

 

苦言ではないから、たまたま流れてきたこの女の子も幸せになったら良いと祈る。

自分が理想としているレールに乗ることがほんとに幸せなのかはともかく。

 

幸せは状況ではなく状態であって、安心は幸せの前提でしかない。

個人的には自分が幸せかどうかではなく楽しんでいるかどうかで生きていて、楽しみには安心も幸せも前提として必要ない。

 

なんだか抽象的になってきた風だが、○○だから楽しいという図式は幸せも安心も当てはまるが、「だから」が「だけど」でもなんなら前後が特に繋がっていなくてもいけるのが楽しいという概念。理由要らず。

 

とはいえ、その間を繋げないと意味が伝わらない。

ここを繋げるように本があるのかもな。

 

 

やれやれ。

 

あんまり大げさなことを語りたくはないのだが、また自分の殻がはぎ取られるのかも。

観測しているだけではなく観測したことを運用しながら動くという。この動きって人に波及するからあんまりやりたくなかったのだが、そろそろ眼をもっと開いて楽しさを全開にしていくべき。

 

実際どうなるかは未開なところ。

やらない方がリスク低くて安心できるのだが、自分に制限をかけていると楽しくない。

 

具体性がないビジョンはよろしくないのだが、まぁ良いや。

 

本日はここまでにしておく。

 

おやすみなさい。

 

良い夢を。