なんでもいい

 

 

今日は理容院に行ってきた。明日は免許更新に行く。次に理容院に行くのは9月5日。切ってくれたのは店長さんだったのだけど、僕はもう1人の人の仕事の方が好き。実際の結果の違いは素人の僕に言語化できないけど、工程の細かさは見れば分かる。

 

なんというか人となり。この2人の仲良さは分かるけど、仕事の仕方は随分と違う。店長さんは会話を仕事としているけど、もう1人の人はちゃんと人を見て会話をしているように読める。この踏み込み具合の違いも言語化するのは難しいのだけど、分かりやすいのは、存在として認識していますよと発話すること。免許更新で写真を撮られるからさっぱりしとこうと思っていつもより早い周期で切りに行ったことを気付かれたし。あと、世界を楽しんでいる感が滲み出ているのも良き。この連休で嫁が実家に帰るから、動画見ながらゲームして漫画も読まなきゃならないという引きこもり計画を喜々として語っていた。

 

会話は媒体として言葉の力が十全に発揮できない領域。どう意味かというと、あくまで発話は自分についての指示語でしかないということ。その人がどうであるか、どうしたいか、どう認識しているかという意味では分かりやすいけど、発話の目的は中身よりも交換できているという実感に過ぎない。ここもっと説明要るかな、要らんか。

 

会話の交換性より、存在として認識されていることに重き置く物差しはありうる。

 

さておき。

 

言葉の力について。僕は付属した言葉については言葉じゃない状況が力を持っていると思うから、差別用語撤去とかの動きはちょっと分からない。例えば、姉が母親からあんたなんて産まなきゃ良かったという言葉に傷付いたのは、その言葉自体に傷付いたのではなく、その言葉が正しいと思う環境があったから。現実世界において言葉だけが意味を持つことなんてない。同じ言葉でも、例えば大事過ぎて愛しすぎて困るという現実が前提であればこのフレーズの意味は全く逆になる訳で。

 

この文脈で言葉に力があると思うのは、現実に当てはまる言葉だったということであって、言葉自体の意味ではない。僕の経験則で、浮気相手とのずっと一緒っていう書き込みがあったプリクラを見つけた後に、シャワーを浴びていた同棲相手に俺のこと好きですかって聞いて、好きだと答えられたことでバグったのだけど、これも結局のところ、好きという言葉にはこういう現実があるという付随した意味に捉えていたから。そういうことではなく、ただ現実的語彙に当てているだけなのだろうな。

 

 

発話領域で効果がある言葉は肯定的なものしかない。意識的に紡ぐことで世界が良好になるという意味合い。ありがとうは大事。

 

発話領域での言語論はもうちょっと考えたいところ。

 

さておき。

 

お月様の話。

 

さっきお風呂を溜めている間に探しに行ったのだけど見つからない。姿を見られないのが恋しいし寂しいなという感情が在る。こういう当て言葉は、人にするものだと思ったけど、何故人にだけ当てなきゃいけないのだろうと疑問。いや、むしろ逆か。世界に対する感情を個人に引き直している感じ。この一文で考えていたことがまっさらになった。

 

素朴な僕が感じたのは好きな人への想いとの類似性。月に対する恋しさは、姿が観測できないということであって、自分にとってどうかとは関係ない。月が見られたところで月との物理的距離が縮まる訳でもないし、そんなことは度外視してただ観測したいというのが好意の原型に違いないとした。好意というより、美的判断の領域なのかもしれないけど。

 

ちょっとお月様に会いに行ってくる。

 

 

逢えた。全然丸くはなかったけどとても綺麗。やっぱり最近オレンジがかって見えるのは何故だろう。変なの。でも、普通に考えて人も毎日微妙に変化しているのは確か。バイオリズムなのか更新なのかはともかく。

 

要は、感情を投げて良い対象は、自分とは別の存在であって、そこでは人でも物でも等価なのか。稼働しないエアコンも稼働しない人も一緒。逆から考えていたな。

 

自分に向けられた感情も、要は、自意識とざっくりとした自分の齟齬である。僕は自分の稼働をまぁまぁ細かくチェックしているけど、特に否定的評価はない。部屋が汚くても良いし、洗濯とか掃除とかも雑で良い。仕事だったら、いや自分ここを気付けたよねって無茶苦茶責めるけど、今の自分にできないことについて責めたりはしない。そもそも自分の意識の器はこれしかないのだから、楽しく生きるためには、ここと折り合いはつけないと。

あぁこれが大人か。でも、僕は自分の可能性を閉じてはいない。この自意識すら更新されるものと思っている。でなければここはない。

 

本の話。

 

出歩いたのに新刊枠を買い忘れてびっくり。古書店にも行ったのに。自分の至らなさに辟易したけど、あぁなるほどなと。キラキラしているビニールでカバーしていた、7つの夏の終わりを一気に読み返した。勝手に好きな人が書いた小説。

 

感想は恋文にするとして。

 

言葉の力。

 

言葉は、当人から離れたところで一番力を発揮する。匿名ではなくて、当人から切り離されたところ。おばあちゃんの知恵袋とかことわざみたいなレベルだけどこの言葉は現実的な影響があるのは確か。

 

という意味で、僕の文章を読んでいる人には影響してしまうだろうなという危惧。

それほど感度高くないというのは確かだけど、無意識には収納される訳で。

 

独立した言葉は波を持つし、まぁ人自体も波だし良いのかな。

 

 

僕の最終形は言葉を通した仕事になるんだろうけど。

 

 

ではおやすみさない。

 

お盆休みでどこにいっても良いけど免疫力低下しないように行動できますように。