取りこぼし

 

 

 

本屋で次の体験を購入し、スーパーで体の素材を購入。後は帰り路というここでしかないタイミングでにわか雨のシャワー。一粒一粒がとても大きく痛気持ち良い。家に着いた時には完全なぬれねずみ。自分を動物で例えたらなんだろう。洗濯していてど雨で干せなかったから明日また回さないといけないという不都合もある。が、そんなのとは無関係で楽しかった。買った小説も財布も携帯も後ろポケットに入れていたから被害はない。移動している限り背面に当たる雨はほとんどなかった。

 

楽しさと後処理の面倒さは連動していない。

 

さておき。

 

お風呂から上がっていつものごとく日記を書こうとしていたら、母親から着信があったことに気づき、折り返した。通話に対する苦手意識が仕事で解消されているからか全くダメージを受けない。むしろ主導権を握っていたのではという感。僕の意図通りコントロールするという意味ではなく、相手の願いに合わせつつ収めるみたいな。最後に「頑張りましょう」と言って笑わせて終わった。発話疎通のコツってきっと相手のことを慮ることではなくて自分の場にもってくることなのだろうな。そういうのはしたくないが。だって、自分の中身を伝えることに意義がない。これがあるのだったらこの場はないから。

 

自分で自分の発話を聞いていて、そんなこと考えたこともなかったという言葉が出てきたのはなんというか不思議な感じ。人格が乖離しているという意味ではない、念のため。自分の中にないことは発話できないから、非言語で考えているところではあるのだろうなと。

 

発話コミュケーションの意義をここで捉えるのであれば、この個人にしか話せないことという領域はある。これが素の当人なのかとは別にして。この言えるかどうかで他人の価値を測るというのはありうる天秤。まぁ母親に対しては安心感を与える必要があったからであって、素ではない。楽しんで生きているのは確かだけど、別に共有したいわけでもない。あくまで邪魔されないようにという文脈。

 

でも、この内心は僕が母親に与えた安心感を阻害するものなのか。結局のところ、人は結果なのか過程なのかという話。結果とはすなわち言動である訳だけど、これをその人だとするのはちょっと疑義がある。

 

ここで現代刑法観が出てくる。犯罪行為は認識と客観的行為が一致して成立するもの。ほーほー。これが最低限として、人とはということを考えると、結果寄りなのか認識寄りなのにはグラデーションがある。

 

僕は現実的な言動より、認識にその人の本質があると思うからこの仮想空間の当人の方が本質だと感得している質。だから変なことになる。僕はこの空間を見ている人に対しては繕う必要がないから結果も同じくなる。

 

別に言いたいことが言えないことに対して何か不都合を感じている訳でもないから、自分を発揮できないとかもどうでも良いこと。結局のところ、人は自分の世界観の中でしか他人を認識できないし。ここは何回でも書いておきたい。

 

内心の自由というのはなかなかやっかいなところ。

 

この話は省略。

 

そういえば、新刊枠。具体的な物語はしんどいからファンタジーかSFにしようと思い、満を持して手に入れた。烏に単は似あわない。しかしながら、情報量が多すぎてまだ物語には入り込めていない。映像イメージとしては展開されているのだけど、罪と罰と同じくらい文字数が多い感じ。日本人が書いたファンタジーの最高峰は十二国記

 

そうして、読書が経験だっていう話。

 

ここで読書感想文が苦手だったことが判明した。その物語の中だけでは読めないから。あと、体感だけが経験だっていう説の人が、体感を全部自分の物とはできないだろうという反駁。全部体感として残っているのであれば、記憶という概念は不要。

 

自分の時系列の中で何が言語として再現できるのかというのと、自分が読んだ本についてのこれは連動している。

 

要は、言語で再現できない自分の時系列は、なかったものとされる。

 

 

僕はだいたいの本を文字情報ではなくイメージで読んでいるから、日常の体感とあんまり変わらない。何をもって現実とするかには操作性があるから自分で決めたら良いと思うのだけど、どうしても一般的な連動があるのだろうな。

 

本も自分も過去を想起するのはイメージじゃんって思うのだけど、自分の過去は事実とするのだろうか、このねじ曲がりは不明。

 

自分の過去が事実であるとするのは、今と等価することだけど、今の為に過去を遣う人は苦手かもしれない。

 

最後にどうでも良いけど、僕は自分が一番信用できない。自分が自分であることはしょうがないし、この器であることは問題ない。ただ、人とかかわったとき、何か心理学的な手法を使っている感。これって明らかに自分と同じ水準で他人を把握していない行為だよなと。

 

別に、何か新しいことを取り入れる必要はないけど、僕は変化がある人が好き。

向上かどうかは腐敗と発酵の違いでしかない。

 

ここは言語化がどこまでなのかという文脈だし。

 

ここまでか。

 

では、皆さんちゃんと水分補給していますように。

 

良い夢を。

 

おやすみなさい。