当たり前

 

透き通った真っ白なお月様の光。黄みがかる時との違いはどこにあるのだろう。

 

と、自然美に感嘆しながら、醤油を買い忘れたという俗っぽいことを思い出す。一瞬コンビニで小さい醤油を買おうかと迷う。竹輪と厚揚げときのこを買って、レンチン煮物を副菜にしようと予定していたから。思索。冷蔵庫の調味料を計算してなんとかなるかと思いそのまま帰宅。

 

レンチン煮物はほんだしとポン酢にした。メインは鶏肩肉とキャベツ。塩、中華だし、ポッカレモン。この肩肉、から揚げ用とのことだけど大きさがまちまちで実際作るとしたら大変だと思う。

 

本日はちょっとだけ虚無。

だから何かができなかったみたいなことはないけれど。

 

スマホを引き取りに行くときの白い曼殊沙華の群生地はまだ咲き切っていないけれど楽しみだし、日中アプリで漫画を読む代わりに青空プロバイダと縦書きビューアで青空文庫を読み漁ったのも美味しかった。まぁ太宰さんに近さを感じることも虚無性の要素だったのかもしれないけれど。

 

携帯ショップで観測して、微妙に嫌だなぁと思ったこと。修理に出した時は女性、引き取りの時は男性が、同じ席で店員さんと話していた。おそらく同年代くらいなのだろうな、どうも敬語ではないことが耳に障る。親しみだったらたぶんそんなに気にならなかったはずだけど、どうもそうでもない。ただ、敬意を欠いているように観測されるのは時代がズレているからでしかない。きっとそれが当たり前であって、別に顧みるようなことではないのだろうなという気もする。

 

時代と言えば、古代ゲルマン人、パンもビールも作っていたらしいということを読んで、すげーなゲルマン人と思った。

 

自分を構築した時代から価値観が離れられないのはその時系列に自分の本質があると思っているからだろうか。と、考えると、自分が決めている常識なんぞ人生上では大した正当性はないような気もしてくる。だとすれば自分とはいずこか。

 

そんな携帯ショップの会話を聞きながら、間違えて持ってきた中上さんの小説でオリュウノオバが女盛りの頃に15歳の男とまぐわうシーンを読んでいた。子供を愛するように男を抱いて何が悪いとかなんとか。なんとなく分かるような気がしないでもない。母性と性愛はきっとそんなに離れていない。父性を求めるとは別のベクトルで。

 

やっぱりこの小説時間の流れがおかしいな。

 

真夜中の波さんの本を全部読み返し終えてしまった。非公開になっている習作類公開されたら良いなと願いつつ、一昨日いまどきの本を追加した。肉体的には男だけど性自認が女よりの小学生の章なのだけど、なんとなく分からなくもないなと。今回のスマホ、前が黒だったから白にしたけど、ピンクでも良かったなと思うくらいには。こういうどうでも良いところで常識を壊していくと試めば良かった。ピンクは嫌いな色ではない。

 

ジェンダーロール論はほんとくだらないと思うのだけど、まだ、男はこうだ女はこうだみたいなところが主流だからなんとも言えない。生理的な差があるのは確かだから属性を取っ払った抽象的な人なぞ居ないのは確かだけど、自分の属性の不利なところだけを語ろうとするのはどちらの立場からしても不公正だとは思う。

 

なんの話だということになってきたけど、要はこういうのも常識の話でしかなさそうだということ。あまり詳しくないけど、今やいろんな性自認があるみたいだし。僕は肉体と自認は一致しているけど、同じ属性としても雄々しさは苦手。女性特有の媚びもあんまり好きではない。

 

ほんと何の話なのかだけど、徒然草を書いた兼好法師さんでもその時代の人だったのだのだなぁとか。いい男の条件とか書いている。教養があってうんたらかんたら。きっとこの人が生きていればもっと違うことを書いているのだろうけど、やはり歴史の力には抗えない。容姿は優れていた方が良いのは普遍かもしれないけど。その時代に合った容姿に生まれるなぞガチャよな。

 

今の時代、有名人の退場多くないかと思ったけど、総量が多いのかもしれない。社会的繋がりがなくなるのは鬱になりやすくなるらしいし。

 

時間と言えば世界線

 

某CDから精製したモンスターを育てるゲームの実況を見ていたら、2019年に一番聴かれてたJPOPが出てきたものだから1回聴いてみた。関係上もっといい世界線があったかもしれないという恋愛ソングだと聴いた。

 

これを自分に引き直してみると、例えば僕が京都の大学に進学してそのまま京都に住んでいたらもしかしたら恋人になる世界線もあったかもしれない。可能性ならなんとでもできるから。ただ、これだととっくに通り過ぎた人で終わっていると思われる。

 

この時系列でないとこの関係はなかったという意味ではタイミングがばっちりである。物理的なタイミングが合わないことがかえって時空とは関係なくなった、みたいな。

 

なんじゃろな。

 

 

僕は過去でもいまでももっと良い世界線があったとはしていない。戻ってこないものを悔いるくらいなら、この先に思いを馳せた方が効率的だし、過去の自分が今の自分を恨んでいるとか今から過去を恨むとかセルフ呪詛はやめた方が良いし。

 

そういえば、携帯メールを見返してみたらなかなか残っていた。もうLINEに移行していたからほとんど残っていないのだけど、4年前くらいの日記を本の師匠に送ったやつとか当時の自分の状況とか。

 

自分で読んでみて、なかなか情緒マックスだなと。割と精神ボロボロだったから仕方ないとは思う。最低限読み物になっているのはまともからズレられないのだろうとか。

 

どうでも良いことはいっぱい思い出せるけど、この日記を書いていた時期のことはほとんど思い出せない。ちゃんと仕事にも行っていたはずだけど。だから、自分とは分断された記憶みたいなところがある。別にそこまで自分に興味ないから読みこんで分析するとかはないが。頑なに思い出さないようにしている精神性はちょっと気にならんでもない。

 

別にヒステリックにはならないけど、情緒不安定性はあるから、安定しているのが強さだとは思わない。この強さは、なんというか、自分を外から抑圧してたどり着く境地だろう。でも、それを保つために他人を使わないといけない。

 

どうでも良いけど当時の自分も存在を許されなかったと書いていたな。僕の存在関係の根っこはここにあって、満たしてくれる存在がやっといたという。その人と会わないと関係欲が満たされないという普遍的飢餓の更新。

 

僕の歴代デートで最高だったのが、大阪長野で、それぞれ最寄りの図書館に行って同じ本を空間は隔てているけど同じ時間で読んだこと。梶井基次郎さんの檸檬だった。

 

こちらは一応恋人関係だっただけど、非公式では先日更新された感はある。

 

 

常識ないし当たり前ってなんだろうな。

 

 

おしまい。

 

おやすみなさい。