たなからぼたもち

 

 

 

自分がある物事を知らないと識ること自体が1つの発見。つまりこれだけでプラマイゼロ。

 

 

出勤パート。

 

遅番の時の方が睡眠時間長い気がする。浅い二度寝は何回も夢を見せてくれる。最後の方はなかなかホラーだった。描写するとグロいのでやめておくけど、視界が俯瞰なのが面白かった。登場人物が誰一人知り合いではない。水の出現率が多いのは何故だろう。

 

起き抜けに関わりをチェックしたら、曼殊沙華はきつねばなとも呼ぶというのを見て、ふんふんとグーグル先生に聞いてみたら、これをタイトルにした詩を見つけた。作者さんの名前を見るに、おそらくどこかで読んだことがある人。もう1つ、不吉とされているというはなんとなく聞いたことがあるけれど、何故だろうと考えた。珍しいからなのか、この花自体が咲いている時期が凄く短いからなのか。第一発見の花は今朝見たら既に枯れていた。あとは造形があんまり他の花っぽくないから彼岸の植物とされてイコールみたいな? ついでにこの花の汁って確かかぶれるのだっけか。

 

そういえば、僕が曼殊沙華を地元の方言だと思って居たのには1連の思考がある。地元の方言で、車に轢かれるとか潰されたことを「しゃがれる」と言っていたし、発音がまんじゅしゃげではなく、まんじゅうしゃげ寄りだったから、お饅頭が潰れた形みたいだからだかなぁって。どうでも良かった。

 

ともかく、きつねばなって良いネーミングだと思いながらるんるんで出勤した。

 

 

 

仕事パート。

 

出勤したら仕事歴が直近の先輩女性が髪をばっさり切っていて、とても良い感じ。席が離れているし特に会話するタイミングもなかったから何も言わなかったけど、纏う空気もなんだか軽くなっていて、とても気持ち良かった(僕が)。

 

で、それに後輩年上女性が帰り際に気付いて可愛いってひと際盛り上がっていた。まぁ別に出勤時間帯とか、ソーシャルディスタンスの座り位置とか、周りを見るような職場ではないから気付かないのは良い。

 

ただ、先生に対して、それに気づいたか、言及したかって詰めているのはなんとも。先生は当然気付いたけど、あえて突っ込まなかったって応えていて、僕どちらかというとこっち寄りである。職場における男女の微妙な感じを考えると、事実は良くても評価はセクハラになりかねないし、事実でもセクハラになりうるというくらい考えているのだと思われる。可能性としてはプライベートの地雷を踏むこともなくはなく。空気が軽くなっていたからそんなことはないと思うけども。

 

それに対して、後輩女性は絶対言わないといけないみたいなことを言っていたのだけど、この発言も正直分からなくもない。変化に気付くって興味関心以外にも、貴方のことを認識していますよという他意が見えるものだから。いや他意じゃないのか本意なのか。認識されていると認識させることはあらゆる社会で関係がスムーズにいく効用がある。

 

そうして、思ったことは全部社会関係で発言することが自分らしいことだという思想について。

 

僕はたぶん、立ち位置とかで、良い感じですねって言ったところで他意なくセクハラでもなく捉えられるだろうなとは当たりはつけている。ほんとに他意はないし。ただ、これが相手どうなるかとなると、良くわからないというブレーキもある。人の心の中身はまぐわったって分からないのだから、受け手にとってどうなるかは言ってしまった時点で制御できないし。

 

全部開示するととても相手のことを分かっていると思われるのではないという恐れなんてよく分からないだろうけど、他意なく会話しただけで惚れられた中学時代とか、好意にちょっとトラウマがある。まぁ今は大丈夫だろうけど、好意を向けられたら受容するのが義務だみたいな強迫観念があった。

 

要は、もともとの性質として特に他意がなく人を見ていたし、会話を楽しめていたということ。でも、現実的な会話を見ると、自分のことを語りたいがために他人を観測している感がとても強く入り込めない。

 

対面先輩はやはり素敵で、直近先輩が帰った後、ばっさり切ってたな、潜りやすいかもしれんな(ダイビングが趣味らしい)ってぼそっと言っていた。でも、この人にも素敵ですとは言えない。

 

恋人さんに対してさえ自分の本音は言わない傾向にあった。それが悪いことであれ良いことであれ。この相手の世界観の中でしか発言できない感よ。

 

なんなんじゃろ。

 

たぶん、他意的に捉えられるのが嫌なのだろうな。

そんなに無為に人を見ている人なんていないだろうって。

 

「人間未知なるもの」もそろそろ終わりなのだけど、恐ろしいことを書いていた。おそらく医学専攻の人が他の学問を社会生活一切せずに25年間学び続けて、そういう人が世の中を指導すべきだって。

 

仮にほんとにそんな人が居たとして、世の中が指導者として受けいれる訳がなかろうし、徒労に終わるだけでは。努力とは自分の為にするものであって、それを人類の為にする人の存在をきっと信じられない。何か裏があるはずって現代人でも思いそう。

 

 

お弁当休憩パート。

 

スマホが変わって画面が少し大きくなったから漫画を読む代わりに青空文庫にした。2重にご飯がはかどる。長文ではなくて、文豪のコラムとか童話とか。田山花袋さんの自を信ぜよは、人の本当は有るか無いか分からないという意味でぼくの今に近くて嬉しい。蒲団も読み返します。魯山人さんが味の素について書いているのはただ面白い。こういう常識も循環しているのかな。化学調味料はあまり使うべきではないとか。僕は使ったことないな。

 

童話のかえるの王子様。お姫様が金の毬を池に落としてしまって泣いていたらカエルがやってきて、拾ってあげるから友達になってください。一緒のお皿でご飯を食べて同じベットで寝ましょうって言って、お姫様は金の毬のために良いですよっていうのだけど内心は拾わせて約束は反故にしようと思っている。最終的にはかえるが王子様になってめでたしめだしだけど、物語全体に変な生々しさがある。と思ったら、以前(2年前くらいか?)読んだ、性食交という、性と食の近親性を考察する本の中で出てきた物語だったなと。この食事と寝室を共にするというのは結婚とまぐわいの暗喩であるみたいな。

 

どこで何が繋がるか分からないな。

 

 

帰宅パート。

今日のお月様は昨日よりちょっと黄みがかっていた。省略。

 

 

個人パート。

 

常識とか当たり前というか思想ないし価値観はどんなものであれメリットとデメリットを含んでいるし、別にそれを選んでいることに必然性がないとすれば、結局それを選んでいるのは、自分に慣れ親しんでいる以外に理由はないのかと考え込む。

 

ほんとに素朴な僕は健康観において特に長生きを重点化していない。自炊がまともだから健康嗜好に見られるかもしれないけど、飲酒喫煙ガンガンだから整合性はない。ただ、自分の体の重みが増えないことと、頭で考えられる限りは問題ないというスタンス。

 

ほんとに調子が悪くなるとか、幻想だけの世界で社会生活送れなくなるとかになれば考える。電車が脱線するとか車が突撃してくるとか地震が起こるとかで容易くおしまいになるのだから、気にしてもしょうがない。だいたいの人は生き残るけど、いつ自分がそっちになるかは分からない。これも外には言えないけど。

 

常識から外れていることがアイデンティティになっている人も居るかもしれないけど、これも時代に囚われているとは思う。

 

僕は僕にそんなに存在意義も感じていない。

これと、毎日楽しいのは全然関係ない。

 

兼好法師さん曰く、恋に夢中になっていても女に一目置かれているのが良い男らしい。ないなぁ。

 

解説を読むと第三者的に語っているということだけど、僕が読む限り完全に主観バリバリに読める。ほんとに第三者だったら自分の属性が含まれていることばかりを書くことはないような。なんだかあんまり女性を知らない臭がしないでもない。いや、この時代知らなくても良かったのかもしれないけど。雨月物語がそうだっていうなら分かる。

 

田山花袋さんも書いていたけど、個人主義の世の中になったとて、ほんとの自分にたどり着くのはとても大変。いま個人だと思っているものは、属性の中であって、役割がちょっと自分で選べるようになっただけという感。ただ、そこまで苦行をして自分にたどり着く必要もないのは間違いない。

 

自分も他人もよく分からないどろどろした言語化できないものであって、有用性とか都合不都合では捉えらないもの。

 

なんだかすごい文字数だな今日。

 

まだある。

 

僕が肯定より許容とか受容に弛緩を感じるのは何故か。

これは、好きな人を何故好きで居られるかという問いの答えになる。

 

自己肯定感がすなわち満足だと思える人は、どんな人であれ自分のことを褒めてくれる人に対して肯定的評価ができる。とても正常な感覚。

 

ただ、肯定的評価がなくなったらその相手はどうなるだろう。きっと否定に転換するか、その人は当人の世界に存在しない人になる。つまり、肯定的繋がりって、双方が肯定している時間軸でしか繋がらない。変な話、他意的関係とも言える。

 

では、許容、受容はどうかというと、これもまぁまぁ微妙だけど、自分の世界の中ではまぁ受け入れられるという軸もあるし、外れていても然りという軸もある。何が言いたいかというと、この軸は、自分の当たり前からは外れているというのが前提になっているということ。

 

他意がないのに受け入れられるってとても在りえない世界でない?

 

なんだか潜り過ぎたのでよく分からないことになっているかもしれないけど、しょうがない。

 

おやすみなさい。