はざま

 

 

他人の世界から退場したい願望ってなんだろうな。別に退場して欲しいと言われた訳でもなく、何か不具合をもたらしていることも読み取れないのに。

 

某所で見た、自己肯定感が低い人が自分が世界から退場すればすべてうまくいくと感じているという発言に対して、これは逆に自分に価値を置きすぎではと思ったけど、これこそブーメラン。自分が他人に与える影響値を過大評価している。と、自己の無意識を工事。

 

境界面において何かがない限り人はあくまで僕の世界の人。相手の世界の中での自分については特に気にする必要はない。せいぜい常識から当たりを付けるくらいしかできないのであれば考えるのは無駄だ。自分が楽しく嬉しく在れば良き。を突き詰めるとどうなるのだろう。

 

完全に酔っぱらっている時の方が誤字少ないってやや怖さ。

 

さておき。

 

アプリはやらないだろうなと思っていたけど、なんとなくハマってしまった。生命の進化を追うもので、システム自体は時間経過とか広告でポイントがたまって先に進めるのだけど、エントロピーというのが面白いなと。今宇宙は中世くらいで、それとは別に恐竜の世界があって、もう9回小惑星の衝突で絶滅させている。そうしないと先に進めないから。

 

こういう進化を見ると、人間はほんとに進んでいるのか何か高次の存在にコントロールされているという陰謀論みたいなのもちょっと分からないでもない。

 

あくまでシステムは人間が作るものだというのは皮膚の本で出てきたのだけど、やや気になる。人が秩序を求めるのは、自分の肉体が秩序を保っているという無意識によるのかもしれないけど、その秩序の中身を知らないから、結局他人に対してしか求めることができないのではとか。

 

 

本日は朝昼兼用でたっぷり雑炊を作った。塩昆布入れると美味しくなるけど見栄えが悪くなる。味が濃そう。どちらを選ぶか。

 

動画見ながらちょくちょくお勉強していた。自分の知識を解体する作業。

 

どうでも良いけどバンプのプレゼントがとても好き。YouTubeで聞けるようになっていてびっくりした。

 

僕は論理が全くできてないという1例。

 

問題。未成年は養親になれない。〇か×か。

 

これにはちゃんと条文がある。成年者は養親になれる、すなわち未成年はなれない×が正解。これだけだったら僕も正解に辿りつけるのだけど、もう1つ条文があって。曰く、未成年者が婚姻をしたら成年者とみなすとのこと。

 

未成年者は成年ではないけど、潜在的には成年者になれるのだから、可能という意味では〇になるのではとの理屈も成り立つ。僕はこっちを推してしまったのだけど、これで不正解になる。

 

これって、論理的にはどちらもありうる。未成年には婚姻で成年にみなされうる人も入るとするか、いや結婚した未成年は成年の集合に含まれるから未成年の概念には入らないか。

 

論理は前提が定義付けられてないと何の話か分からないし、僕としても正解にたどり着けないのは困る。

 

だから、「この瞬間には」という前提を加えることにする。この瞬間にも条件によってはという切り分けなのかこの世界という意味。未成年はこの瞬間では養親になれない。〇

 

ちなみに、未成年の概念も改正されるので、知識としてはあんまり意味がないのだけど、考え方として個人的に大事だった。時系列での可能性は加味してはいけない。

 

僕は好きな人と恋人にはなれない。〇

 

素朴な僕は論理も倫理もないダメ人間なのだけど、自分が論理的に物事を考えていると思い込める人には、ちょっと毒づきたくもなる。現実化はしないけど。

 

現実世界の論理は、自分の正当化のためにあるものではなく、防御方法としてのもの。でも、相手が信仰している前提を崩して良いのかも分からないところではある。普通はそうだろうという前提も良いし、そこから構築される論理も良いけれど、それが他人(僕)の論理でもあるとされると、冷静に反論したくもなりうる。自分を決めてくる人以外にはやらないけど、酔っぱらった方が論理的になるのやめた方が良いと思う。

 

 

そういえば、どう論理的に捉えるかというのが分からないなという小泉八雲さんの話。(この名前の字面とても好き)

 

昔あるところに夫婦が居て、奥さんが夢を見た。亡くなった舅が出てきて、明日自分が危険になるから助けてくれと。で、最終的にこの舅は雉に転生していて、猟師に追われたところを奥さんがかくまって助けたのだけど、それを夫に話したら、夫は、猟師に食べられるのが嫌だから、息子夫婦に食べられたいと解釈して、この雉を縊り殺してしまう。

 

結末は、この夫は追放されて奥さんの方はのちに良い夫を得たということだけど、いったい何が正解だったのかは僕には分からない。

 

危険は息子に殺されることだったのかなんなのか。素朴な僕はちょっとこの嫁を怖く感じてしまう。

 

 

理屈って結局直感の論理化でしないのかも。

 

僕は直感を言語化しているけど、これが他人に適用できるようなものではないのは自覚している。僕が捉える直感は僕が知識として収納している常識と違うからややこしい。

 

他人を決めないその人の中での理屈をとても好き。

 

 

あと、次の演劇の考察。

 

広島に行ってきたというのを見て、争い=戦争の線なのかと推論する。

 

ただ、これを普通の人の戦争観とか、実体験がある人のインタビューにしたところで、素朴な僕でも分かる。天災と変わらない。突き詰めれば為政者の外交の1つの手法だし。

 

これをどう演劇に落とし込んでくれるのかは楽しみ。

こういう機会でしか現実的にも好きな人と会えない世界線も良いことだと思う。

 

絶賛更新中。

 

では。

 

おやすみなさい。