世界線

 

 

よーく寝た。自分の瞳の色がまともなブラウンだ。いや、特に意識している訳ではないけど、鏡のぱっと見の状態で今日はどうかみたいなのない? 意識と体は必ずしも連動していないから、調子が良さそうかどうかの確認。

 

天気予報を久々に見た。台風情報も昨日仕事に行って初めて聞いたくらいに疎い。天気によって移り変わる世界は好きだけど、自分の予定を立てるための予報は必要ない。天の気分ってよくできた言葉。

 

それにしても晴れたみたいで良かった。また、何か世界が更新されたのだろうな。

 

 

さておき。

 

僕の現実世界の更新は経験とか体感に限定していない。

 

界隈では有名な学者さんが新刊の専門書を発行していたことを知って、2駅先のまぁまぁ大型書店に行った。しかし、縁がなくてさらに他に何も買わず、ただ電車に乗っただけになる。自分で決めて使った時間だから全く問題はない。

 

帰宅して、どうせ買うのだしちょうど連休だから通販でええなと思い、楽天ブックスで発注した。ポイントが1万以上貯まっていたから半分ぐらい使う。仕事をしている限りこういうの精査する時間がもったいないからほぼ放置している。あと1冊ずっと読みたかった不当利得の本を中古で、ついでに全然会ってくれないプルーストさんの「失われた時を求めて」の1巻も全部ポイントで買った。

 

本屋での出会いも好きだけど、別に便利さも使って良いよなという世界の更新。新刊小説枠も読み終わったから、またタイミングが合う本を漁りに行かねば。

 

あと、この個人的連休のどこかで髪を切るのだけど、奮発してヘッドスパも付けてみようかと思っている。ご褒美とかではない。

 

自分が自分であるって全然自明ではないのだなとやっとわかってきているところ。

 

本といえば、史学ももうちょっと専門的なものを読みたいなと思うのだけど、昔こういう文化があったというのは考古学の領域で、争いの形跡を辿るのもどうかという気もしないでもない。○○の乱とか、○○の戦いとか、確かにそこで歴史が変わったのだろうけど、僕は人の素朴な価値観の遷移の方が気になるところ。あと、経済システムとか法システムとか。

 

あと追加しようと思っているのは、インターネットの仕組み。システム管理者とかの資格本が分かり易いのかなと思ってちょっと読んでみたけど、固有名詞がさっぱり分からない。

 

新しい自分の既存の世界と異質なものを取り入れる時の障害は、結局のところ意味が分からないに尽きる。ただ、分解してみれば、その名前の定義と、意義ないし効用に尽きる。

 

何の為にそういう名前があるのか。人の名前とは違って、名前に意味が内在されている。

 

対面先輩に、理数系得意なのかと聞かれたこと思い出す。全く得意ではない。九九ならまだ全部大丈夫だけど、極限とか微分積分とか物理とかはまだこれから。理数系は名前から始まる学問っぽい。化学は現象の名前化っぽいけど。

 

システムが何かの為に在るというのはとても分かり易い区分だけど、そもそもそれを観測する個人が何かの為に生きるものではないから溝がある。他人だって自分の為に在る訳でもなかろうに。

 

この階層の言語化は、内部的にはできるけど文字にするのはまだ難しい。

 

フロムさんの話。

 

愛という単語がゲシュタルト崩壊するくらい出てきて胃もたれしてきた。

 

ただ、利己的な人は自分のことも愛せないというのはなんとなく分かる。愛って相対評価じゃないから、誰かにとっての自分とかではなく、自分がどうするかを決められるのが自己愛。

 

この文脈であれば僕は自分のことは普通に愛しているような感じはするなぁと、結局自分を生きやすくするために収集している。いや、生きやすいというか、何かの為に生きる必要がないということ。

 

要は、自分のことも他人と同じように分からないなりに掘り下げるしかないということで、どこまで行っても掴みきることはない。自分についてはセットだから一緒に生きないという選択はないけど、こと他人になるとどうなるか。

 

愛って単語を遣うから重いのであって、興味に言い換えた方が分かり易い気がする。

 

意志とか責任がセットというのも分かるけど、ここに入ってくると当人の世界の内側という条件があるような。

 

 

人は自分の価値を高める為のものではない。

 

ちゃんちゃらおかしいなって偉大な学者さんに言うのも申し訳ないけど、恋愛関係は好きな人を通して人類全体に好意がを持つようになる。それをできるなら恋愛に固執しないでしょうよ。

 

心理学的なところで納得できるのは、利己的な母親は子供に依存して子供も愛を感じられないというところ。どれだけ費用かけてもらったとしても、そんなの知らんわって思う。何が無条件だって。

 

そもそも世界には無条件なんてないと結論できれば良かったのだけど、そんなことでもなさそうな時空がある。だから好きなのだろうな。

 

結論。「愛」は一般人にはまだ早い。

 

個人的にはフロムさんのこの言語もわちゃわちゃしているとは思う。訳者さんなのかは知らんけど。何かが返ってこなくても好きで居られるというのが本筋。

 

 

では、おやすみなさい。

 

自分にとってどうかの世界線の人は一掃した方が良いかもしれない。

 

勝手に皆幸せでありますように。