迷惑

 

 

 

概念を頭の中で視覚化するってどうやるのだろう。

 

 

月始めの忙しい1日をさばいて明日は休み。言葉の一意性を疑っていたからか1個だけ凡ミス。うむ、悔しい。やはり時間の表現の調律はおろそかにしてはいけない。割と分単位で調律しているのに、他のタスクに気を取られるのはいけない。朝から頭が良く回っているの逆に良くなかった。

 

なんかこう、人と話すのって面白いよなぁ。自分の空気感の醸し出しで説得力が違う。動揺して早口になったり淀んだりすると相手は不安になるし、同じ言葉でも随分違う。嬉しそうに見せるということは大事だ。ナチュラルだけど。ただ、醸し出す虚構にとらわれ過ぎると相手の視点がおろそかになるからいけない。完全な正解もないし。

 

 

あぁ、そういえば、好きな人を好きな理由は今読んでいる新刊枠からの受け売り。確かにどうでも良いのに許容されている感は今まで味わったことがないなと。色々ムカッときたり傷つけるような言葉も投げているような気がするのだけど。まぁ言葉だしな。

 

 

僕の世界はいつも外にあったという評価は、特に自我について悶々する必要がなかったということで、自分がなかった訳ではないのだろうな。外に出すときには前例に倣うくらいな意味合い。

 

傷付いてきたのはあくまで相対的な人格。誰にとっても価値がないんだもんな。困ったものだ。厳密ではそうでもないけど、まぁ欠落しているのは確か。大事にすることは自分を消費することだという価値観には合わなくて、源泉には興味があってしかるべく。ずっと届かない本質に対する興味。僕は留めないと思うのだけど、今までの人って届めようとした。いや、僕がもっとはっちゃければ良かったのだろうけど、はっちゃけ方が良く分からなかった。

 

最後の友人に対しては、高速バスの到着時刻を言って実は新幹線でいって三時間くらいそのあたりを徒歩散策するくらいははっちゃけたが。静岡のどこかの池が幻想的だった。

 

 

 

知覚力の話は所々、こういう人が成功したみたいな釣り針的言説が余計だけど面白いと思う。IKEA創始者の話が出てきて(おぅと思った)、当人ディスクレシアだったとか。なるほど、識字障がいだったのかと、説明図見た記録情報の解読した経験の想起。恋人さんの弟からソファーを譲られたとのことで、一から組み立て直した。成し遂げたけど解読は確かに難しかったなと。三次元の設計図みたいなやつ。文字も読めないし。

 

あぁ別に恋人がいっぱい居た訳ではなく、1人1人のエピソードが濃厚なだけ。映像記憶の再現だとシーンはいくらでもある。いちゃいちゃしているシーンがあまり残っていないのは、その時僕は観てないからという説。質感とか味覚とか生々しいな。

 

ともあれ、識字能力って、文字と意味を結び付けることだろうな。これができないと言葉は形にしか見えない。生粋の日本人からした英語とかラテン語とかと同じ。

 

ただ、この識字をしている時の視界って無茶苦茶絞られる。文字に焦点が勝手に絞られて脳内世界の方が優位になるというか。文字は情報でしかないと切り離している人ならあんまり思わないと思うけど、なんだ、僕もある意味識字障がいなのか。

 

物語は文字情報としては収納されなくて、風景だから台詞がどうのとかタイトルがどうのとかは関係ない。意味をいちいち読み取っている訳でもない。だからかどうかは知らないけど、言葉ってそんなに大事なのかって想う。

 

絵として世界を見るという知覚力の話は文章も似たところがある。細かい言い回しでなく、全体として観た後のイメージ。物語には風景が在る。で、これを創るのが言葉。

 

フロムさんの「生きるということ」を少し立ち読みしてみた。買うのかどうかは微妙なところだけど、面白い。持つ様式の人とある様式の人は生き方が違うらしい。分かる。僕が接した人達は持つ様式で、好きな人もそっち寄りなのに、僕からはある様式に見える。

 

(迷惑っぽいから恋文はやめよう)

 

 

世界が鏡であるというのはまぁまぁ真理だと思う。

 

気に食わないことがあるのであれば、その水準で世界からも気に食わないと思われている。

 

貴方は何が気に食わないですか。

 

 

僕はずっと自分が気に食わなかった。というのは清純過ぎるけど、人に自分を出せない自分のこと。ただこれって、あえて自分に興味関心がない人に出す必要もないよなって。僕は自分を開示したことで自己充足感はないし。

 

出さなくても自分があるということで良い。本質が誰かを求めるであればどうしようもないけど、僕は好きな人すら現実的に求めていることが充足することなんて知らない。好きな人に問いたいのは、なんでそれを言ったのですかということだけど、現実的に優先順位低いのも分かるから。

 

本当に欲しい人だったら問答無用で奪いに行くような気もするし、僕の生活資源的に、ここで居ることでは保護できないからもあるし、自分のありようはいくらでもある。

 

なんでも楽しいけど、同じ次元で楽しめるかどうか。

 

 

ほんと、てきとーな関係性なのに強い言葉を遣ってしまった好き人は罪深いと思う。言葉が理性だとしたらここは説明すべきなのにスルーする狡さ。ほんとてきーに気が向いた時だけに観測するだけなら過剰評価的な言

そうじゃないと思わされるから、まだ分かるけど、そろそろ限界なのでは。ほんとに誰でも良かったら僕は鏡だからとっくに諦めている。

 

 

僕は人を誰でも良いとしている人が僕もそう評されるならば、じゃあ他の誰でもに向かえば良いだけ。好きな人に対してもそうだったと評価するのは悲し寂しだけど、自分から予定を作ってくれたことがないからそういうこ

 

ほんと、てきとーな意志で僕を見るのはやめてくれ。

 

では、おやすみなさい。