彫刻

 

 

毎日遊んで暮らしている。

 

 

やっぱり満月ではなく満月の1歩前なのか。暖房器具を全く使っていないと夕方ごろに手がかじかんできて文字が綴りにくくなる。節約とかではなく忘れている。文章を書くだけならばWordが良いけど、メモ的に情報をまとめるならエクセルで罫線を非表示にして書いた方がやりやすい。今日は民事訴訟法の証拠についてまとめた。芋づる式に掘り下げることになるから全然進まない。まぁ印字して視覚化することが目的ではないから良いのだけど。

 

からくりサーカス

へぇ、リーゼのエピソード省略っぽい。というか、仲町サーカスに入るまでのエピソードもすべて省略なのかな。確かに本筋だけ抽出するなら後半の方が大事だからしょうがない。どう展開するかワクワク。

 

仕事の日には朝ごはん食べる気がしなくて昼休憩まで稼働するのに、休みの日だと朝ごはんを食べないと始まらない感じがするのは何故だろう。前の日飲み過ぎているからか、いや、酒量変わらなくても朝にはお腹が空いている。神経が休息モードだからエネルギー摂取しようとしているのか。ということで、本日はご飯1合と、昨日作った大根、豚肉、人参の煮物の余り、白菜大量消費のためにやっつけで作った浅漬け(すりごまの風味が良い感じ)、あと納豆。

 

そういえばあえて書くことでもないけれど、音楽を聴きつつ小躍りしながら毎晩料理をしている。1人でノリノリである。誰も見ていないからできること。今晩は、ブロッコリーとちくわのゆかりおかか和え、厚揚げと豚肉とキャベツの味噌炒め煮、最後の浅漬け、あと目玉焼き半分。何を楽しんでいるのかは知らないが、理由をつける必要がないのが楽しい。

 

なんだか、昨日読んだ匂いフェチの漫画で、恋人の家でお風呂に入るときにトリートメントがあって男性なのに云々と描写があったのだけど、そんなもんなのかな。と思ったら僕は女兄妹居るからあることに違和感がないのか。シャンプーだけだとキシキシするし。いち時期は洗い流さないトリートメントも使ってみていたけどあまり効果がないから不採用になった。

 

洗顔の後のケアも、化粧水、乳液、美容液と揃えて毎晩塗りたくっているし、ちょっと腕が乾燥しているっぽいから何かクリーム的なもの買おうかと自然に考えている。ただ、これが美意識なのかというと、違うだろうなと。なんというか公衆衛生に近い。肌の乾燥ってイメージ的に肌の免疫機能を阻害するのではないかという感じがあるし、ストレスで荒れたりするわけだからなんとなく整えた方が良いのではという外への抵抗値を守るための感覚。ここをちゃんとしておけば、消毒に潔癖にならなくてもなんとかなるのでは経験則。

 

シャンプーもトリートメントも都度ある程度ちゃんとしてそうなメーカーで適度な値段であれば良いくらいのこだわりしかないけど、体を洗うのは牛乳石鹸である。ついでに手で洗う。誤解を避けるために書いておくと、これは好きな人も使っていることを知る前から使っていたから、影響された訳ではない。たしか色も違う。同じものを使っていることの共通項で悦に浸る趣味もない。

 

顔のケアに関しては直近の元恋人さんが美容系の人で男もちゃんと気にしないといけないという言を採り入れたというのは掘り返せるのだけど、他は何処から採り入れたのか分からない。

 

考えると、平日毎日自分の体調とか前に食べた食材を加味してご飯を作ることも、公衆衛生的な意味合いがあるのかもしれない。潔癖的ではなくあくまでゆるーくだけど。食材に関するルールは1つだけ、同じものばかり食べないために、直前に買った食材と今買う食材を被らせない。こういうのができるのも自分に特に好き嫌いがないから、変数が増えると一気に複雑になるだろうな。

 

僕は割と人の習慣を採り入れることに違和感がない。だから啓発本でも自分が取り入れられそうなことはさくさく採用する。三時間睡眠で生きられるようになるのは不採用だったけど。だって、このためにすべての生活を費やさないといけなかった。

 

公衆衛生だという感覚は、こういう習慣とか生活とほんとの自分はあんまり関係ないという前提がある。

 

ともあれ、こういうのも暇だからできること。

 

人間は好きだけど、具体的な人間関係が広くなるのが嫌なのは、てきとーな類型論で人の生活習慣を否定してしたり顔になる人が出没すること。誰だって体に悪いことをすることは不可避なのに、自分が健全で正しいと思えてしまう人。満腹だって十分不健康なのにな。

 

さておき。

 

いくつかの本が同時に読み終わった。

 

マクベスは一昨日終わったから、今はハムレットになっている。マクベスは台詞少なかったのだけど、ハムレットは1章毎の文字数がやたらと多い。翻訳者の腕なのかもともとそういう演劇なのか判断が付かないけど面白いのは確か。でもあんまり韻をふんでくれないからリズム感はない。有名なフレーズはどう翻訳されるのだろう。生きるべきか死ぬべきかみたいな。To be or not to beで合っている? びー動詞も多義的だけど、存在にかかっているのではという推測。だから生き死にという状態ではない。やっぱり原典で読みたいな。

 

「生きるということ」も1周目終了。面白いなと思ったのは、フロムさんの構想した社会だと最終的に宗教がなくなるということ。まだ1周目だからあまり理解できていないけど、確かにそうかもなという感じ。宗教って端的に言えば自分の外に拠り所を提供してくれる道具概念であって、持つものでしかない。で、ある概念だと自分が持っていると言えるものは自分自身以外にはないから、拠り所が自分にしかなくなる。故に、世界が宗教を必要としなくなる。

 

個人的にはとてもよく分かるけど、一般的にはとてもファンタジー。僕は最終的に霞と豆とか野菜とかを食べて生きる仙人になりたいから関係ないけど、現代社会はがちがちの資本主義と相対関係で固まっているから、自分が誰かより何かを持っていないと自分が保てない。女性だと若さだったり、男性だと地位だったり。無神論者でも例えば情報信者かもしれないし、快楽信仰かもしれない。全部外にあるもの。

 

自分を大事にしないと人を大事にできないというフレーズの意味が全然分からなかったのだ。これは、甘やかして肯定して保護することが大事にするという定義だったからだけど、そうじゃなくてあるがままで良いってことなんだなと分かった。文章で言えば毎日書かなくても良いという甘やかしではなく、書きたいんだったら書いてもええんやでという感じ。

 

怠惰で居ることもあるがままだけど、怠惰が本質ではないでしょうという見方。

 

これで良いとすると一番やってきた法律学すら、世界を知るための面白い道具でしかないということに至る。やっぱり遊んでいる。

 

宮下さんの話(まだ途中)と森さんの(読了)符号は人生の変化だったから、僕の話でも何か変化が巻き起こるのかもしれない。もっと言えば、絶対的な自分を見つけること。

 

この先には、拠り所でなくても関係できる関係が生まれるのではという説。あってもなくても良いけど、あった方が良いくらいのフランクな感じ。

 

僕は人に見られてない方が稼働するということは確定した。掃除は最低限しかしないが。

 

では、良い自分を。

 

おやすみなさい。