中核
もっといろいろ分かるようになる。文章力ももっとなんとかする。
今朝検温すると、37,0あってびくっとなる。もう1回計ると36,9でまぁ大丈夫か。というのも我が家では体温が37度を超えると学校が休めていたから、なんだか病欠の分水嶺みたいな感覚がいまだにあることによる。おそらく当時の医学的標準というか教育的標準で母親は判断していた。なにせ養護教諭だし。僕の平均値の5~8分からすれば別に体調不良には至っていないのだけど、やはり動揺がある。
ちらっと調べると、このご時世で平熱が高い人がビクビクしながら過ごしているという情報があった。たしかに体温は測り方とかタイミングでたやすく変わるし、設定された基準はあくまでおおまかな目安でしかない。非接触の体温計の信頼性はどれくらいあるのか。
ちなみに、今日はついに発病したか、いや経験してみるのもなんともとか。仰々しくとらえられているけど、歴史上で言えば黒死病ほどではないしそのうち忘れられると思う。むしろ忘れ去られると困る動きがどこかにあるのだろうなという感じ。
そういえば同じような話があった。色覚検査の話。僕の経験則ではやった覚えがないから、少し上の世代で廃止されたのかな、定かではない。下の世代はどうだろう。曰く職業適性とか、生活がということでやっていたみたいだけど、この前の運転免許の更新ではなかった。
要は、世界が一定の基準値を決めることは=人の生活を殺しうるということ。ファンタジーではなくて、まさに今実感されているはず。同じ文脈で言えば、発達障害界隈の細分化もそういう感じはある。正常と異常の分け目がどうなったか。僕からすれば自分も含め全人類のほとんどが当てはまると思っているけど。完全に健全な発達ってよく分からん。空気を読めてそれが自分の意志だと思うことになんの障害もないことか、そんなことあるのか↑ あるのか↓
そういえば、ぱっと見では偶然と見たけど、もしかしたら昨日の僕の日記に対する応答なのか。全然信じてないし感じてない。好きな人が演劇三部作の最終作について宣伝していた。「GOOD WAR」とのこと。良い戦争とはなんぞやと思って、原案を調べた。
調べる過程。原案の作者名がおぼろげで検索結果に出てこない、最初の演劇のタイトルは分かるから追える、なに 最初のPIPEDREAMも空想という語意があったのか、いや、SOLONGGOOOBYEも定型文だったからこの時点で発想されるべきだったわ、この普通の自分だったら発想できそうな死角はいずこ。
ともあれ。ちょっと真面目な話。
原案のプレビューとウィキペディア先生曰く、第二次世界大戦について、アメリカとして良き戦争だったと捉えるようになったらしい。おそらく広島に取材に行ったのだから、ポツダム宣言の原因になったあの事件が核心にはなるだろうけど、これすら良き行いとされていると別のところで見たことがある。戦争を終わらせるために必要だったという文脈で。
あくまで想像だけど、原案でインタビューした兵士の人達もほんとうの意味で良い戦争だったとは思っていないような気がする。そういう風に理由をつけなければやってられないというくらいのニュアンスなのでは。あくまで公務員だし。人を殺すことに対して何も感じないのかと何の公務もない素朴な人は思うかもしれないけど、日本でも死刑執行官は居る訳で。法務大臣が執行を決めるけど、犯罪者だったら死んでしかるべきという感覚は、戦争で敵を殺しても問題ないという感覚と地続き。聖戦とか十字軍のときと同じ感性。
で、ファンとしてはこの先を推測する。被爆者へのインタビューを軸に争いというテーマを構築するなら、一般個人にとって戦争は良い悪いとか関係なく生き死にの問題になる、戦争に良いも悪いもなく、戦争という事象は名もなき人がいっぱい死んでしまう。が、これは資本主義の無戦争な状態でも変わらない。人はいっぱい自死しているみたいだし。
このご時世だと戦争の生生しさが語られるだけではどうなのだろう、どうするのだろう。
とても楽しみだ。劇評への応募はまた忘れそう。
個人的な話。僕は良い人だと言われることが多い人生だったのだけど、そう評価した人が僕を具体的に観てくれることはない。良いとか悪いとかって要は、なんとなくの感覚をざっくり言葉できる道具でしかないのだろうな。
日記の締めの言葉の良い夢をというのもそう。僕は祈りの対象の人達が具体的にどういう夢を見たいのかは知らないから厳密には、(当人が良いと思える)良い夢を、でしかない。
語用としては同じだけど、主体が違う。
厳密に集計したわけではないけど、僕は僕に対してタブーの言葉を遣う人は無意識で排除しているのかもしれない。上述のとおり、良い人だって評された時点でアウト。他の良い人探してください。残っている人の共通項は、僕に対して嬉しいって評したこと。いや、好きな人は嬉しいを巻き散らかしているから、文脈上一種の魔女ではある。ただ、もう2年くらいになるから、魔女的求心力は、ただのかわえぇに移りつつある。
この先は考えた所でしょうがないし、今度直に会ったら最後だと思う。受付嬢と顧客でおしまい。それでオーケー。
触りたいと自発的に想わない人に触らせる僕は居ない。
反論はウェルカム。今完全に酔っぱらいだけど、相手の場にメッセージを送りたいとは思わない。
なんであんなに送っていたのだろう。というか、僕に対してだけものさし違うくないか。
これに対して誰も答えてくれない。
答えを言語化しないことが証明だと捉えても良いけど、好きな人に対してはいつ花丸的にに抱きしめさせてくれるのだだし、抱きしめさせることが自分の価値だと捉えているの出れば少々ズレているし、なんなら僕と飲めるタイミング創れたと思う。
春さんに対してもそうだけど、一体なんなん。
僕が当人たちに合わせた感じでしか言語化してなかったのか。僕が会ってみたいのは、その後の生活の伴侶になるとかではなく、言語ではない現実的なことを観てみたいというだけで、その先に云々でもないのでな。
好きな人とはいちゃいちゃしてみたいなという衝動があるけど、相互でなければなくて良い。お金積んでその現実があったとしてもきっとつまらないし。
現実感がどうも人とずれているのだろうな。
では良い夢を。
おやすみなさい。