自己掘削

 

 

 

 

今宵のお月様もなかなかセクシーで、また遠回り。道すがらリードが繋がっていないと見受けられる黒犬が20メートル程先に居て目が合う。何か対処した方が良いのでは、と目が合わせながら数十秒。僕の懸念とは無関係に何処かの民家の玄関に帰って行った。

 

さておき。

 

人一般への恐怖のことを考えていると自分って寂しい奴なのだなと思うのだが、何やら根深いものに突き当たった。まずは向き合わねば。好きな人に対するものとは違うのかもしれないが、通底はしているのかもしれない。

 

分析。

 

漫画を読みながら考えていたのだけど、不幸な環境に育ったキャラクターの人格の欠格にとても親和性があることに気付く。今日読んでいたのは、虐待を受けて育った14歳の少女と、捨て子でそもそも戸籍がない20いくつか(年齢不詳)の関係譚。完結していなかったから、最後までは読めていない。なんというか、そう育ったらそうなるだろうなというのが自然に納得できてしまう。精神破綻してそうな物語をいくつか思い出す。タイトルは忘れた。納得というより移入に近いような感じ。だからとてそれに倣ったりはしない。

 

僕の家庭環境はそれほどでもないとは思う。ただ、家に対して安心感があったかというと、そうでもない。今も別にない。別に衣食住に不自由したような生活をしていたわけではないのに、家から離れて滅茶苦茶貧困生活したときとか、鍵を失くして部屋から閉め出されて真冬に何日かホームレス生活したときの方がなんとなくしっくりくる不思議。

 

家族とか家に対して自然な愛着を感じないというのはまぁまぁ欠陥ではある。悪態ついていてもなんだかかんだ親密みたいなこともない。ほんとに暖かさを感じない。なんなら刹那で通り過ぎて行った恋人さん達のが温かい。いや、おばあちゃんと会話しておばあちゃんが嬉しそうにしてくれることはほっこりするか。

 

僕が人に怒れないというのもこの辺りにある。聖人ではないからイライラとか怒気とかは当然起こっているけど、世界に対して発散できない。というか、世界に怒っていた人(主に母親)を見る限り、すっきりするのは刹那の当人だけで、それは食欲みたいに解消されることがないという観測知。

 

要は、生活は当人の為にあるものであって、当人と生活している相手の為という観念は含まれないのではないかが恐怖の根底にあるのではないかという仮説。この目で見ると好きな人は随分うまく生きている。

 

刹那の具体的な人に対しては別に怖さを感じない。ほとんど知らない人の車の助手席にも乗れるし、会いにも行けるし、割と安心できる。一般的な他人に対する警戒心ではないと推論できる。

 

僕は結構人が好きだ。この好きは、自分に良い思いをさせてくれるとかではなく観測対象としての意味。僕を無駄に詮索するような人は居なくなったし。

 

で、もう1つややこしい話もあり。フロムさんの「生きるということ」で、次の人間感という話の中に、「人も物も自分の人生に意味を与えないと自覚すること」みたいなフレーズがあった。要は、自分の為以外に生きるべきではないという規範であって、何かに依存してはいけないということで、とても正しい。

 

でも、自分の人生の意味が変化する為には、人とか物とかの対象がないといけない。だとすれば、その対象に敬意を払うのは普通のことなのではというのが素朴なところ。この敬意は、普通は言語化されないけど、しても良い対象にはできる。普通はそんなこと目に留まらず、自分が変わったとされる。

 

そうして、僕が人を断捨離しないといけなかったのは、他人の顔色を窺っていたというより、他人の判断基準に移入してしまうからだとなった。僕の判断基準ははっきり言って常に言語化しない領域にある。細かくすればあるけど、別に自分の為の言葉ではない。1例で言えば、「子供が見ているときには信号無視をしない」。そういうのを見た子供は無警戒に渡ってしまうかもしれないから。徒歩だったら自己判断で無視しても罰則がないのを知っているのが大人だけど、僕は急がなくて良いくらい前準備して生きるようにした。外にだけ。

 

 

なんだろうな、僕が共同生活圏において、相手のことばかり呑んできたのは、そんなことは重要ではないということだったのだけど、相手にとっては僕が自分を主張していないと捉えられる。言葉の万能性の弊害よな。いくつかの時系列で、言葉で自分のことを主張しろよと言ってきた人が居た。僕は泣きながら物語が書きたいとか表現できる訳もなく、いや、貴方に話すことはないと、言葉を閉じてしまう。

 

結局なんのだというと、僕のメカニズムはもともとずれていたということ。構造解析しても誰かに自分を見られることより、自分で嬉しい人のことを見る。

 

恐怖の克服とは、この自分をどこまで人に対して貫徹できるかにある。たぶん見られたくない部分も読んでしまうし。

 

おしまい。