四角い死角

 

 

 

自分がしないだろうこと、起こらないだろうことについていちいち理由というラベルを貼っていく思考は建設的ではない。本日の朝の月は斜めの半月だった。何か名前が付いているだろうか。

 

夢の話。

 

前半は、母親とカーチェイスをして車ごと崖から突き落とし、母親に助けられたと言われるカオス。そのあと母親を乗せて運転していたらマラソン大会だから通行止めで、脇道、脇道にそれて民家に入り込んでしまい、その民家に居たのが高校1年の時の同級生だった。全くなんの深い印象も残っていない人。

 

後半。劇場の受付に謎の人が居ない。体調不良で残念だと言っていましたとのこと。そうかと思い、ぼーっと待機していたら、小学生の頃通学路が同じだった1つ下の女の子とたまたま再開し、なにやら話している。「私結婚したんだよ。」まぁそりゃそうだよな。田舎は早い。こんなこと言いそうな人物ではなかったが。話しながら中に入ったところ、入り口とは違ってまったく別物だった。床が平らな講堂のようなところで、パイプ椅子や丸椅子が並んでいる。「指定席です」とアナウンスがあり、よく見ると、椅子にテプラで名前が貼ってある。再会した女の子とおのおの席を探すために離れ、探索していると僕の席は最前列にあった。女の子のところに行き、「最前列だったわ」って雑談をしているうちに開演。演劇というよりは歌劇で10人くらいが踊っている。うわ自席に戻らなきゃと戻ろうとするけど、踊っている出演者は前列辺りに侵食しているものだから戻れない。出演者が引けて、戻れるかと想ったら、壇上に僕の席だった丸椅子が載せられて歌劇の構成物になっている。戻れないわと途方に暮れて目が覚めた。

 

目覚めてふと気づく。そうか、現実的にも居ないことは当然ありうるよなと。なんとなく当たり前に居ることが前提とされていたけど、別にそうとは限らないんだよな。ということに思い至り、寂しくなってしまう。いつもはすぐ起きるのに3分くらい床でぐずる。

 

普通に考えて、約束があるわけでもないしそうなのかどうかは分からないし、約束を交わすような間柄でもないし、と考えていくと、この関係は砂の上に建てた城みたいなものでしかなく、どちらかが離れたら終わりだ。僕に主導権がある訳でもなく、相手にだって当然ある。

 

この当たり前に気付いた本日、思いの外謎の人の存在が欠けることは空虚になるのだなと想う。この空虚さは中身に係るだけで、居なくなっても僕の現実生活というか現実的な僕が他の人達にどう見えるかは微塵も変わらない。ただ足し算的存在。

 

だから、今度の土曜日も居ないことを前提として組み立てようと思った。帰り路に梅の花が咲いているのを見たところから、早めに行って御苑がどうなっているかを散歩し、観劇後に丸善に寄って帰る。これだけで十分非現実的に楽しい。

 

森さんの小説もそろそろ終わりで、穏やかに進んできた話が一気に血なまぐさくなった。ハロウィンの雑踏の中で無差別殺傷みたいな。ハロウィンという非日常の中で楽しんでいる群衆に対して主人公が日常が楽しくないとされているのがおかしいみたいなことを考えていて、たしかにそうよなと思う。僕は誰が居なくてもたぶん面白く生きられる。

 

夢の考察として、高校の同級生も、小学校の1つ下の女の子も別に腹を割って話したことはないただの風景みたいな人であって僕の根を刺激したということもないのに出てくるということは、自分にとっての意味の有無で世界を収集していない。女の子の名前も今更思い出すとは思わなかった。

 

フロムさん界隈からすると、自分が想っている水準で相手も想っているという話があるけれど、僕はそこまで自分を信じられんな。こういうのは他人の話ではなく、自分のこと。

 

謎の人については謎過ぎるけど、もしかしたらこれで共通項なのか、よく分からない。

 

まぁ厳密的に考えて、僕が謎の人の現実を変化させてまで自分に引き付けるという欲動がある訳でもないし、相手にとってもこれは然りだろう。あくまで生活の外に居る人。

 

「当日券でお願いします」と現実化してみたら面白いかもなとか、本当に1対1で飲むようなことがあれば、「初めましてですね」って言うだろうなと想像してみたりしたのだが、これが現実化されたところで、より何かの欲動が起きるでもない。少なくとも一回会えば諦められそうだという予感はある。知らんけど。

 

冒頭文はここに繋がる。

 

ともあれ。

 

観劇までに「こころ」と「ロミオとジュリエット」は読んでからにしたいと思う主観はある。集中すればすぐ終わるが、たぶん読み切らないだろうな。電車の中では謎の人が書いた小説のどれかを読みたいし。

 

ただ、なんだか読み過ぎてしまったかなという感もなくはなく。

僕は存在としておかしいと思う。

 

 

「こころ」のKは、「強い人」になりたいらしい。意志に基づいた自分として確立するみたいなことをしようとしていたからこじれて自殺してしまう。「意志」だけで確立した自分はさぞかし強いだろうけど、そもそも意志は人の一部の描写でしかない。呼吸を24時間死ぬまで意志で続けることはできないし。

 

僕がどういう人になりたいかと考えると、なるべく最小限で良いなと思う。本は全然捨てていないからミニマリストでもなく、中身の話。肉体的にも最小限の肉しか搭載されていない。肉を食べるために肉を食べるように胃を鍛えないといけないみたいな意味で肉体に負荷をかける気がない。

 

ここまでかな。

 

おやすみなさい。