内々

 

 

 

なんとなく精神的引きこもり感があった1日。遅番の良いところは月を見ながら帰れるところ。満月の光に何かが補充されたような気がした。どうしたら輪郭を撫でられるのだろう。

 

 

さておき。

 

未来の現実化はなかなか困難。二度寝してしまっても寝坊にはならずすっきりするからどちらに転んでも問題ないが、このシフトであれば仕事前に2時間使えるのがベスト。今日は20分くらいしか使えなかった。朝一はその日の情報が全くないから吸収率高いんだけどな。そうしてGWは6時起きに統一したいところ。本番の起床時間に合わせて。

 

今週、月、火、水は料理時間が短縮できるように昨日副菜を多めに作っておいた。ブロッコリーとワカメの辛子醤油和え。調べるとすぐ出てくるし、簡単で美味しいから気になる方は作ってみるといいかも。帰宅して着替えて手を洗った流れで主菜とサラダを作ってレンチン目玉焼きと、ご飯をレンジで温め、諸々して今に至る。精神的にバランス悪くても連動していないから稼働はするんだよな。

 

なにやら緩みが足りない気がする。しかし、何をしたら緩むのかも微妙なところ。映画鑑賞で緩ませるのであれば前倒して水曜日にするかーとか思うが、ほんとの緩みは自分だけでできるものではないのかもしれない。

 

最近の手の動きの試行としては、キーボードをなるべくかちゃかちゃ鳴らさない、手もなるべく動かないように、エンターキーをなるべく使わないようなことをしている。手が早く動いても間違ったキー押していたらその分時間がかかるし。職場と家のキーボードの大きさが違うからなかなか大変。

 

やれやれ。

 

平衡が取れてないと考え事が言語化されにくい。引きこもり状態とはこのこと。法律学のことは考えるが日記で書くようなことではない。というか、専門用語が多すぎて分解が面倒である。

 

引きこもっていると、自分の無価値性が顕在化するのもよろしくない。これは1人でいるときが上限いっぱいとも通じることで、平常の場合は問題ない。自分の日々の行動に価値を媒介させないことにして、あとの「するかしないか」というシンプルな基準で生きる。だから関係になると相手の方に合わせてしまうという弊害もあるから、特に使い勝手が良い自己満足ルールとも言えないが、僕には合っているというだけ。

 

他人にとって自分に価値がないことともセットだなと思ったが、これってむしろ他人に認められることに価値を置かないということが本質だから、どこまでいっても自責の観念だよな。別にあなたには価値がないと言われ続けて生きてきたわけでも無く。

 

「あなたがぼろぼろになれば良いのに。そしたら愛することができる。」みたいなことは言われたことあったな。今想うと別に特にひどいことでもない。そういう観念は理解できるし、自分が入り込める隙(間)というか、自分の為の余白みたいなものは一種の「媚態」かもしれない。ぼろぼろの人は見つかったかしら。ともあれ幸せであれば良い。

 

こういうのも、自分が善良な人物だからということではなく、他人事だからなのかもしれない。自分事だと自分の無価値性も加味しないといけなくて、これが人の中の場所を取ってはいけない、取るべきでないという強迫観念に繋がっている。一方的に存在を撫でられればそれで良いのか。誰かに想われること自体は心地良いことだが、それはいつか終わらせるべきものみたいな感覚が拭えない。いつか終わるよりずっと強く。

 

引きこもり精神はとても内省的だが、別に勝手知ったる自分事だから特に凹みはない。そんなものだというだけ。行動とか生き方とかをまともにしようとしているのは、自分の中身のポンコツ具合と平衡を保つためにはこれくらいしないといけないということなのかと納得してしまった。まだまだ足りてない。

 

これだと生き急いでいるみたいだが、時間を自発的に使うって人生の最大限の遅延行為よな。本を読めば読むほど単位時間で読める量が増えるし、文章だって書くのが早くなれば他に時間を当てられる。この意味では前向きとも言える矛盾。現実も内部も自分の問題だとすれば、よりよく生きるためには自分をマシにし続けていくしかない。

 

読んだ本の話でも書こうと思ったが、抽象的な言語しか浮かばない。全部繋がっているのだなという感じで、本を読むというのはその繋がりを見つけていくことである。

 

凄いどうでも良い現実のことを思い出した。職場のある女性のストッキングが伝線しているのを見つけてしまい目を逸らしたこと、ではなくマスクについて。

 

僕はマスクをファッションとして扱っている人がどうも好きではなく、これは実は直感的な印象と相関しているということ。好きな上司とか先輩は衛生用品として付けている。ファッションとして扱うことが受け入れられないとまでは言わないが、なんというかポリシーを感じない。まぁ顔の装いの一部だという考え方も理解はできるが。例外はヒールを履いた先輩で、だったらマスクもそうなるわなっていう感じ。別にお洒落という感じでもない。ただ、自分で決めているという印象がとても良い。

 

機能と装飾を混在させるのは一般的なことだと思うが、衛生用品は機能重視で良いのではというか、「ついで」感が駄目なのかな。

 

どうでも良いがどうしようもなく動かしがたい言語化しにくい感じの話で締め。

 

それではおやすみなさい。

 

良い夢を。