厳密

 

 

じんわりした筋肉痛と日焼け跡。器も生きている。

不安も希望も過去か未来にしかない。そういえばそういう語彙も削除されている。

 

さておき。

 

どん兵衛やらレトルトカレーなどを食べ、kindle本や専門書を読み漁り、音楽を聴き、動画を観た。「いま在ること」というのは、表層的には「いま」自分が何をしているのかを意識することだが、最終的には、時間と空間の観念が自分の中になくなる所なのだろうな。

 

忘我とか無我の境地だから、単なる楽しく生きているとの自覚とも違う。時間とも空間とも形態とも属性とも離れた誰かへの想いに浸るとか。これは、ほんと凄い。他がどうでも良くなる。

 

ところで、kindle読み放題のAIが僕の読書歴を収集しておすすめを決めつけてくる。こういう広告もAI。しかし、しばらく悟りとか高次とかは読まない。この捉え方も単なる1つの視点であって人生上の道具だし。自分の立場を決めないとアイデンティティが成り立たないというのも1種のフィクションよな。人自身はそんなところに在らない。

 

ということで、ハリーポッターが全巻読み放題だったため、読み返そうかとなり、本日はとりあえず「賢者の石」を読んだ。集中したら3巻ぐらいは1日で読めそうだが、1巻ずつゆっくり。いや、1日1巻ってゆっくりなのか? なんだか色々物語とは別に示唆的よな。金貨と銀貨と銅貨の単位は何進数なんだとか、魔法のエネルギー源はなんなのだろうとか。感情を源泉としている感じか。何かを現象化する意志的感情と呪文のセット。あと呪いの感情はもっと強いが、愛には勝てないとか。ハリーが箒にすんなり乗れたのって、ずっと閉じ込められて生活してきたことに対する反発心なのだろうか。

 

最初に読んだのは高校生の時だったか、そうして映画に衝撃を受けたのがその何年後か。それにしても随分と自分の中に残っているお話。いちいち映画のシーンとセットで再現される。

 

もう物語の筋は知っている(最後らへんは曖昧)が、それでも読み返す意味というのは「いま」で通すとより鮮明に世界観を感じられるということ。物語の結末が知りたいから読むみたいな衝動は僕にはない。物語は読んでいる間しか存在してないし。

 

そうして読んでいるうち、スマホの画面では小さくて読む速度が追い付かないなとなってくる。Kindle端末を探しに電車に乗って家電量販店へ。スマホとかタブレットのところにあるんだろうと思っていたが無かった。分類上どのカテゴリーなのかと、ネットで探ってみると、電子辞書とかと同じだったが、お店にはなかった。通販であればすぐ買えるし、ぽちっとでも良い。いちおう自分が欲しい型は決めているし。ただ、ここで見つからないのであれば、そんなに必要なものではないのだろうなという感じもある。

 

欲しいという衝動は、別にそれを求めて手に入れても良いし、入れなくても良いようなもの。

あと、本屋にも寄った。労働法制と情報法が気になっていたから。昔読んだ時さっぱり分からなかった専門書の改定版をぱらぱらめくると、割とすんなり入ってくる。随分読めるようになったものだと思ったが、すんなり読めそうな本を買う意味はないよな。なくないか。

 

情報法もそれなりに退き付けてくるものはあったが、それなりまでハードルを落とすのも宜しくない。共時性による導きも、別にそこに流されてしまわなくてはならない義務ではなく、導きがあってもそれを選らばないこともできる。これが選択というもの。

 

という感じでなんにも買わずに帰るという収穫。

 

僕が自然以外で特に不存在なものに感じないのは、それが必要ないからだろうな。言葉としてメッセージが送られてくるってうさんくせぇ。いやでもこういう翻訳機能を持った存在が予言者とかなのか。知らんけど、もう知っている。

 

「モモ」、めっちゃ美味しい。モモは外見描写だととても美とは言えない感じで、財産と呼べるような物は何も持ち合わせていない。現代風に言うと、ホームレス少女。ただ、周りの人達はモモを無くてはならない存在にする。「ほんとに人の話を聞ける人はほとんど居ない」。うむ、確かに。自分のものさしと照合せず、ただ相手の話を傾聴することは人にはなかなかできない。アイデンティティが自己防衛したくなる。他人への尊重より、自分のものさしを守ることの方が大事。きちんと耳を傾けるって何もしていないようで、誰かに対して何かをしてあげるより遥かに希少な尊重の方法。

 

(ここで好きな人がイメージされたが、なんだか失礼な感じもするから秘密である)

ハリーポッター曰く、「秘密ということは皆知っていること」

 

僕も実生活だと人が話したそうな相槌的な発話ばかりしていた。これだけ人を感動させらるのはずるいって評したのが、かつての友人。発話で人を感動させることは難しいが、自分の話を聞いてくれるという感動は容易い。いや、容易くないからずるいって言ったのだろうが。技術でもある程度なんとかなる領域だろうが、最終的には人格というギフトの話。自分に還元せずに人の話を聞けるのは才能の領域。人の話を聞くだけのことなんて簡単だろうと思う人は、ちゃんと傾聴したことがない人。

 

今はちょっと違う。発話して場をコントロールすることもできるよなとしている。

あんまりやって面白いことではないからしないだけ。発話もギフトの領域があるだろうが、これはカリスマ的演説とかで、普通の会話だったらほぼ技術の領域だと思われる。その人が本音でほんとに話しているのか、ってノンバーバルのことだし。

 

ここで、僕の語彙の話。

 

読みやすいように時制のような言葉を遣っているが、この区切りは素朴な区切りではない。昨日とか今日とか何年前とかはほんとどうでも良いこと。共時性は過去から未来からの導きみたいなことだが、結局のとこ「いまのこの自分」がそれをとっかかりにできなければ価値はないもので、全部今の話でしかない。

 

あと、ポジティブとかネガティブとかも、僕は人生において楽しそうな感情だけ拾って書いているというわけではない。感情の表現として言葉を扱っていないということだが、感情を問題にするなら、ポジティブな表現しか起こらないということは在りえないから、いい話だけ書かれているのはとてもフィクション臭がする。

 

感情と感じって完全に別の領域のもの。

 

まぁ前向きに偽ってみるというのは人生上の演技としては在り得るところ。今や写真って加工して良く見せられるし、日記という言語上の歴史も、別に綺麗に残していくという手法はあっても良い。歴史の改ざんみたいな話だが、改ざんしたところで誰も損しない。顧みると大事に想えるのかもしれない。

 

時間が発明品なのも、まともに考えれば当たり前なことなのだが誰も教えてはくれない。

チャイムで区切られた客観時間が最初の当たり前だし、共通の話題としては時間がなくてはならないし。

 

ただ、時計ももともと存在していたものではなく人間が創った物でしかない。

で、もっと根っこの時間性の観念がどうしてできたのかとなると、同じ時間の中で生きているという共同のフィクションを構築することで連帯感をもたらしたかったのだろうなという感じ。だから肉体年齢を気にする人が多い。インナーボディは年を取らないというエックハルトさんの観念は当人の中の時間性のこと。

 

で、この共通の時間性という発明品が、過去と未来への感情をもたらすことになった。これもとてもフィクション。現実は物語より奇なりだわ。このフィクションを前提に、相続制度とか保険制度とか、投機売買とかが生まれたんよな。エックハルトさん曰く、思考は道具だから、思考するときは全身を使ってするようにというのは割と至言で、思考はこういうフィクションの中でしか成り立たない。時空がないところに思考は無い。

 

人は結局1人で死ぬというブッダさんの言は本質を捉えているな。

あと、ハイデガー、いやデカルトさんだっけ、人間は死に対する気晴らしのために他者に配慮する存在だとか。道徳とか人生の意味とか目的とかそういうことだよな。

 

わりとこの辺りがどうでもなくなっているのだが、その分何かを読んだり捉えたりするときの鳥肌率は高くなってきている。そろそろ詩の味も分かってきそう。

 

あと、当たり前というか、社会常識としての人の定義もめちゃくちゃ雑でしかないというところに至る。マジでてきとなー固定観念、いや漠然観念の建前に振り回されていたわ。ここにはちょっとおこ。

 

まぁ、こういう「人観」って、無意識が学習してきた経験則上の定義に従っているから、教育上の不備みたいなところなのだろうが、教育をする側も特に人がなんであるかは気にしていないはず。あまりに当たり前だから。

 

個人の尊重という理念は法的な世界で承認するだから良いけれど、素朴な感覚としての人って、内輪でしか個人でない。その外の人なんてそれほど人でないのに建前上は人とする。そもそも、人には肉体があり精神もあり意識もある。内輪しか人でないという定義は精神に寄っているようで、肉体寄りなんよな。自分の生活圏の物理空間にある人っぽいカタチの存在が人であるということ。

 

これをベースにしたら、たしかにインターネット世界における人物なぞ、砂上の楼閣みたいな存在でしかない。僕の中における人は、もっと非実在的なところに在る。いや、実際そういうもの。肉体でもなく行動でもなく、或る存在。インナーボディと近い。

 

ここは語彙ではなく世界観の話。言葉の定義なんてどうでもよく、どういう風に世界を見ているのか。

 

最後。エックハルトさんは、空間を自体を見るとか、音と音の間にある沈黙を捉えるとか言っていた。僕も人が僕の為に語彙を選ぶ沈黙の間がとてもほんとに好き。

 

でもなく、この観念は、最新の宇宙理論とも似ていて感慨深い。

ダークマターとかダークエネルギーという非物質が宇宙のほとんどを占めているとかなんとか。

 

やっぱり、世界と人間の意識って対応しているのだろうなという感じ。

 

では。

 

おやすみなさい。

 

良い夢(現実)を。