移動

写真

 

 

 

頭の中がやたらとすっきりした。物がなくなったから。

ほんとうに何もないし、たぶん、これからも何もない。

 

 

下世話なことを考えようとした。思い付くのは運動会ではなく、誰か(x)が左手の腕枕の中にいてすやすや眠っている像。そういう世界線があれば嬉しいのだろう。ただ、熱望はない。ただ、ういう余白があるというだけ。1人で寝た方がよく眠れると思うし。もちろん欲はあるが、メインはそこではない。

 

別に孤独だと感覚している訳でもない。そもそも繋がってないと宇宙に存在できてないから、具体的な人は縁にある。先程しばらく非常ベルが鳴り響いて、消防車もやってきていた。誤作動だったらしく撤収したが、ここで退場でも良いかなとふと思ってしまう。「満足な死」とは、いつ終わっても良いと思って動いていること。

 

現実界でメタ的なことを語ることができる人と縁があるためには、もっと世界線を移動しないといけないはず。世界線の移動とか大げさに書いているが、なんてことはない、行動を変えるだけ。いや、行動を変えるって難しいのか。

 

お絵描きもやってみたが、いきなり色鉛筆で書くのは宜しくなかった。鉛筆でデッサンの訓練をすべき。見えるように描けるようになってから自由がある(のでは)。思考の試行としては、任意に絞ることができるのが自在性なのではとやってみていた。関心事について考えるのは考えさせられているようなって。

 

エックハルトさん曰く、精神は外に向かう素朴な関心を止めて、内側に向かうことで初めて安らうとのこと。たしかに、外に対する関心はなくなってきた。無関心な適意は際限なしだが。ブラックホールみたい。

 

集中的思考は僕には合ってないらしい。並行的にうん十冊ちまちま読み進めているのだから当たり前か。これは能力ではなく性質だと思われる。特に得しないと思う。

 

本日施行してみたのが画像にある並行読みというか同時読み。頭が動き疲れる。荒療治的に法律学を物ではなくするようにやってみると、思いの外捗る。ついでにパソコンでnoteの記事をつまみ食いし、スマホでは漫画も読むという散漫性。もっと机が広ければ冊数も増えるし、モニターも複数あればという感じで、なるほど、もう少しお金がある方が良いらしい。

 

同時に複数のことは読めないし、考えられない。

人が同時に心に在ると思っているのは、切り替えの早さというか、断続的にそれに戻っているからだと思われる。だからずっとある物だとできる。

 

画像にあるのは行政法と刑法と憲法と六法。分野ごとで重きが違うから面白い。とりあえず同じ分野でまとめてみたが、今後は別ジャンルでもやっても楽しそう。

 

自分と人を見たときそこには関係は無く、在るのは縁だけだとしているのが素朴。

縁にする意味は、勝手に継続されるような物理現象ではなくて、続けたいなら意識ないし意志で繋げること。これを関係と呼ぶことには触りはないが、関係とすると物っぽくなるから、やめとこうかなと。

 

この視点から見た法律学は、社会的な関係を学問する分野になる。民法は社会的な私生活だし、刑法・行政法憲法は社会的な公生活だし。ここにおける関係って、具体的な現実を切り捨てた、その関係において重要とされる類型的な事実でしかない。でしかないとか言っているが、これは証拠にできるという意味もあり、なんだか強固な感じがある。

 

でも、外に向けた証拠に何の意味があるのだろうというのが素朴の素朴。社会生活上の関係の極致って家族だと思っているのだが、僕はここにちっとも近さを感じない。ネグレクトとか愛情不足とかではなく、単に自発的に形成したものではないから。近くで過ごしていることが長いから芽生える快は、本能的な安全感からきていると思われるが、これは私的な私生活上の関係とは言えない。

 

僕が宵顔さんを好きだった(いや、もはや殿堂入り)のはこの辺りだが、そっちの方がきっと楽だと思う。

 

私的な私生活上の関係は、違法にならない限りの縁であって、維持される為の原動力は意思しかないから。同時に気楽でもあるが安心でも安全でもない。

 

本日いままで読めてなかった部分が読めるようになった。専門用語は書かないようにしているため省くが、読めるようになる前の自分がなんで読めなかったのかもよく分からない。高IQの人はコミュニケーションに不自由するという本があるらしいが、僕のIQは普通だと思う。なんでそんなことが大事なのだろうとは思わなくもないが。

 

とりあえず、自分がどこまで使えるのかというのは突き詰めてみたい。

自分を使うというのは、自分に対して無関心で試行錯誤してみること。まだまだ余地はありそう。

 

人生の残り時間で間に合うかな。

 

 

そういう感じで、他人には他人の宇宙があるし、抱き締めたいと思っても世界線が交わらないと無理だが、別にそういうことがありそうだから好感を持っている訳でもないし、自分にとって発見が多い人が価値高いとかでもない。

 

ただ人は人として存在しているだけ。

 

構っている時間的余白はなさそう。

 

着いて来られる人と、僕が付いていける人と。

 

 

おやすみなさい。

 

良い夢を。