半自律

 

 

 

穏やかでいられないようにしてくる感じは、そういう波を維持したいということなのかもしれない。別に何かあったということでもないが、自分の至らなさ(取るに足らなさ)が見えてくる。全部ひっくるめて遊べるかどうか。

 

僕は遅々だとしても何処かにうろつきたいのだが、こういうのはあまり一般的ではないみたい。まぁ同じ人種もいて、そういう階層と仲良くなるようにするだけか。

 

 

時間はある。するに足りないことはない。

 

 

ゆらゆら。

 

帰り道の月がやたら近い。

 

知識体系のヒエラルキーってなんなのだろうな。素朴からするとなるべくシェアすれば世の中が発展するに違いないと想うのだが、何かせき止めて専有する精神性があるような気がしないでもない。情報量を多くしても保持できないというのはあるかもしれないが、保持できる量が増えるのが余白とか余裕ではないか。既得権とか権威とかの問題なのだろうか。

 

この辺り、そろそろ根本的な転換が必要なのでは。

 

でも、自分にテコ入れするってなかなか難しいのも分かる。

僕も人が不機嫌っぽいとすぐ反応してしまうという経験則が強い。燃料投入するくらい遊んでみても良いのに。放置していれば移ろうものを都度本質として接するのは何か違うし。

 

ちょっと内部が整ってきたから外の人に心が向いてきた。

その人柄で見られて良いのか大丈夫かとか、人が果たしてどれくらい意識的に生きているのかとか。こんなこと気にしだすとキリがないのは分かるが、読もうとしてしまうのだから、きちんと意識で取り上げて吟味しないと変な癖が付く(既に付いているから再吟味)。

 

これを逆から見れば、自分が不機嫌のポーズを取ってしまうときのセミオートみたいなのも、ほとんど学習された反応でしかないのだよな。誰に対してもできるものでないものが、内輪の親しみだとして、親しい人に不機嫌を見せることがこのポーズだったら素朴の僕は親しい人にこそそんなの見せたくない。何かアンバランス。

 

良い風に見せるという仮面を被るのも分かるが、仮面を払ったら自己本位の動物みたいになるってどうなのだろう。抑圧しているのは仮面ではなく、自分自身なのではという感じ。自分を抑圧していなかったら、怒りを外に転嫁するってたぶん起こらない。

 

ここらの話は分解してみただけの段階だから、まだどういう風にまとまるかは未定。

 

壊れたプレステを分解したことがある。直すつもりはなくただ中身を見たかっただけ。人を解剖したいといったサイコパス的な願望はない。解剖したところで人の本質には届かないし。

 

コマンドプロントとか仮想マシンとかの動きも、自分が打ち込んでいる文字列の意味がなんとなく分かってきた。本を書いている人は当たり前に沁み込んでいるから日本語なのに専門用語になっている。解読と読解と自分の言葉にしていくことと。

 

こういう試行は人生そのもの。

 

無軌道になってきた。

 

そういえば、僕の専門分野は一応法学だった。毎日の読書で一番読んでいるのはこの分野だし、書けることもいっぱいある、なんてことはない。

 

この分野、日本語でも全然作法が違うし、日常の用語や概念に落とし込むのが無茶苦茶難しい。思想背景が法律によって全然違う。英米と欧州由来の概念が多いのかなという感じ。

 

個人的には抽象世界が面白くはあるが、具体的に困った時にすぐぽんと答えが出るような道具でもないという道具としてはかなり使い勝手がわるいものだったりする。まぁ国家権力が恣意的に判断ができないように縛った結果だから然るべくという感じ。

 

 

なにやら本日は全然筆が進まなかった。

 

個人的にはかなりいい傾向な感じなのだが、読んでいる人にとっては物足りなかったかもしれない。こういう全然関係ない人のことも考える。

 

はい、おしまい。

 

おやすみなさい。

 

良い夢を。