おなじことばかり
大寒波らしいけども皆さん暖かく過ごしていますように。
寒いは痛い。しかし、暖かいことに感謝できるメリットがある。感謝は精神界において最上級に軽い階層らしいのもなんとなく分かる。有難いものは使うことができない。受け入れるだけ。
朝ごはんはおうどん。めんつゆちっくに醤油と砂糖を入れずに、うどんスープとほんだしだけで味付けして、具材は溶き卵、鰹節、九条ネギ。ここに感想わかめがあれば最強だったが、無くても足りている。九条ネギほんとに美味い。なにこの甘味。硫化アリルどこにいった。
昼ご飯は食べなくても良いかなと思ったが、胃が食物を欲しているから、冷凍ごはんを解答してゆかりを混ぜた。中学校の給食でゆかりご飯が出ると当たりの日だったことを思い出す。あとわかめご飯も好きだった。ふりかけ的にまぶすのと混ぜるので味が変わるのはゆかりと納豆に共通項がある。
そうしてお出かけ。防寒用のタイツは洗濯して干して居たから使えない。インナーにTシャツをもう1枚重ねるだけで問題なかった。まだ寒くなったら、アウターのチェスターコート内側にウルトラライトダウンを着れば良い。気温如きに一喜一憂してられない。ちゃんと寒さは体感して良いが、寒いことで運動が制限されるのは宜しくない。
本日も本日とてギャンブラーだった。成果は-500円。それにしても運試し場は読書が捗る。Kindle読み放題で3冊ちょっと読んだから、寧ろプラスか?
そもそも人生劇場を損得勘定で測ること自体が場違いなのだが、ここには分かりやすくて許容しやすい魅力があるのも確か。
本日のKindle読書のラインナップ。
著名な脳科学者の茂木さんが書いた脳科学から見た無意識の話と、お金が集まって来るためにはという若干スピリチュアルな話と、数学者が書いた数学者の視点の話と、確変が終わって途中になってしまった、人の意思決定の最先端の理論。自由エネルギー理論だっけ?
いやはや、時間は有限であるという当たり前から離れて、いくらでもあって使い放題という説が持ち上がるほどの読書量。時間が足りないという指標はあくまで相対的関係の中にあるものさし。
全部面白かった。演出入って途切れることもあったが、途切れたところで繋ぎ合わせれば良いし。
無意識の話は、人はそれほど自分を把握できていないという魅力的なフレーズから始まる。鏡を見れば自分の顔だと分かるが、人は自分の顔を盛った自分として2、3割増しで把握しているとか。僕は自分が盛った顔というのを把握していないから、自己認知として顔は含まれていないのかもしれない。満月さんに僕は画像移りが悪くて(ここには自己認知はある)、画像で紹介してもピンと来られないと言われる。たしかに目を見開いたら面積が大き過ぎてプリクラみたいになるし、良い貌しているという自己認知は静的な像というよりは表情の移ろいの話であって瞬間の映えではない。僕の顔は静的に映えがない。ここは本日の伏線。
あと、無意識の方が主導権を持っているというのは、僕がずっと想っていたこと。権威的な学者さんがそれを言ってくれたことでやっぱりそうなのかという安心もない。だってそんなの当たり前じゃんという感じ。言語化されているのは面白いけども。
動きの決定を細分化すれば、それこそ一日何万とかになるし、そんなことがいちいち意識されていたら、顕在意識は持たない。言語化が顕在意識化とすれば、人はそれほど世界を顕在せずに生きているとも言える。言葉にできることが当人の世界の限度というのは、ヴィトゲンシュタインさんも書いていた。
個性とはすなわち無意識という話もそうと想う。
個性は出すものではなく、持ち合わせているものだから、顕在意識が奇をてらって個性を出そうとしても無為とのこと。そりゃあそうだ。
面白いのが、無意識を鍛えるパート。だいたい既に実践しているという。
物理的に歩くこと、本を読むこと、続ける為にやる気は要らねぇこと。ドーパミン満載で生きているから、メモで記録する必要もない。
記憶力って無意識から顕在意識が上手く情報を引き出せる能力なのか。無理矢理意識化させるために努力とか苦労が必要だという世界観。
無意識を鍛えるのは、経験と体感とのこと。これって色んな世界に触れる前に、自分の世界を調えることなのでは。味覚の引き直しの為にレーズンを15分かけて咀嚼するとか。ご飯が美味しいなんて当たり前なのに、そこにホコリがかぶさられている。満月さんが作ってくれたレンチン春菊のお浸しをちょっとアレンジした。満月さんの料理はとても美味しい。ありがたや。ただ、ちょっと鋭いというか、味を濃厚にするという方向性があるのかもしれない。薄味だと言われた経験があったのかは知らないし、自分が美味しいと感じるのが濃い目なのかも。食戟のソーマが好きとのことだから、自分の料理が再構成されることにも受容があるから、あのお浸しには胡麻を加えるとマイルドになるでって言ったところで、自分の料理が否定されたとはならないはず。
お金の話は、お金が好きなのは汚いことだという潜在意識はオカシイよねということだった。財布が重くなるとか想っていてすまんやでという感じ。もう少し仲良くしようとなった。誰かに集まったところで無くなるようなものだったらそもそも資本主義社会は成り立っていない。
数学者さんの本は省略。
だから、読んでいる本で数学が増えているという感じ。
最後の本。
人が存在するプロセスを理論化しているような本で、僕のいまをもってもあんまり理解できていないのだが、人の動きは事前的確率と事後的確率で循環しながら世界を把握しているという話。
だから、一方通行のアルゴリズム(AI)では人の認知を把握できない。
入力と出力が混同している道程をコンピュータでは今のところ再現できないが、そのうちできるようになるかもしれない。
人は世界を自分の信念にもっとも適合的な世界を選ぶという意志決定論の次の方向性。
肉体的な反応と、精神界における選択が統一であるというのも面白くて。
もともと人は肉体を前提としている世界だが、精神界では肉体から離れているように見える。にも拘わらず、やっぱり肉体の駆動性が世界を決めている模様。
ちょっと想って試行してみたのだが、人が過去を掘り返すとき、基本的に言葉として再現されるシーンは、静的。写真を描写しているように語られる。動いている過去をイメージできるってなかなかなさそう。イメージしていたとしても言語化は難しい。数学で言えば運動を捉える微積分。
とりあえず、過去のシーンを動画的にとらえ直そうと想う次第。
言葉でないのに言葉化しても良い領域。
だから、僕が良い貌をできるようになったとか、因果関係的に迷子過ぎる。
ここまで。
おやすみなさい。
暖かく寝ていますように。
ついでに、よい夢を。
おしまい。