なすがまま

 

 

 

ステップアップとかじゃないな、この人生劇場。

 

思慮深さとは無縁のことをした。でもその前後で自分が全く変わっていない、負けた後でも良い貌。今後どういう風に見られることになっても中身はあくまでぽえーなのだな。もっと動こう。というより、笑おう、か。笑みに因果は要らない。

 

 

さておき。

 

朝ごはんは讃岐うどんをじっくり食べた。もちもちしている。荷物が10時過ぎに届く。小柄な女性の配送者さんでこの荷物の重量はなかなか大変だったと思う。何回も持ち運んで貰ってありがとうごぜえます。早速届いた米で七草粥のお昼ご飯。味付けは伯方の塩のみ。美味しい。1合でもなかなかのボリューム。せりなずなごぎょうはこべらほとけのざすずなすずしろ。なんで覚えているのだろう。幼少期近所の山で探したからか。天然の七草粥を美味しく食べられる味覚は未発達だったが。ざっくりした味覚で美味しい物を食べて生育していく時節だから、細部はともかくまずは食べないといけない。

 

当時のご飯の調理法ではなく、味を覚えている人ってどれくらい居るのだろう。美味しかったエピソードとしての記録(言葉)はあっても、味覚の中で再現するのはなかなか難しい。O157問題だったか、生キャベツがしんなりボイルキャベツになってしまって苦行のようにもしゃもしゃしていたのが今再現された。やっつけ的なボイルだったな。

 

きちんと母親に感謝のメッセージを送った。

餅も美味しくいただこう。なんなら満月さんにもお裾分けするか。母親からの通話はなかった。割と昔だったら在りえない振る舞いをしているのだが、あんまり気にされていない模様。そんなもんか。

 

お祖母ちゃんに連絡するのはしなかった。

僕が連絡すると無茶苦茶喜んでくれるのは分かっているのだが、そういう楽しさを阻む何かがまだある模様。明日お雑煮食べてからお餅美味いという感想を追加する予定なのかもしれない。

 

 

出稼ぎのつもりが出費になってしまったが、読書が捗るからどちらの世界線でも良い。

負け惜しみではなくて、ほんとに自分はそういう指標で生きているのだなと気付く。不安とか焦燥みたいな感情が懐かしくなってきている。

 

感情が鈍麻しているとも違う。鈍麻していると良くも悪くも刺激があるときにしか自分が存在しないから、もっと世界が曖昧になる。曖昧であるというか、曖昧にしていないと生きていけないという感じ。感覚は鋭敏だが、あんまり一般論としての因果に執着していないというだけ。満月さんも僕が満月さんを満足させているから一緒に居てくれいている訳でもなく、ただの僕で良いらしいし。

 

精神的なところに至る前に、少しだけ現実の話。

 

法律学の勉強って、一昔前には参考書を買って専門職という対価を得るために行われてきたことだが、いまやkindle読み放題に条文解説本が定額で公開されている。凄い世界になったものだ。もちろん、辞書みたいなものだから参考書から入っていないとさっぱり分からないと思う。ただ、個人的に辞書を読むことはいまやそんな苦でもないらしい。昔のお勉強時代、国語辞典を引く行為は自分がそのことを知らないという惨めさとセットって読まされていたが、そもそも知らないのは当たり前なのだから、知ろうとする探索行為が惨めなはずがない。

 

人の現実的な自由は、「社会的な自由」だって、「最大多数の最大幸福」で有名なミルさんが言っているが、社会生活上の自由って、そもそも社会の枠内で個人が自由ではないという前提だから、なんだか破綻している気がする。社会の枠組みから自由になるということであれば納得できる説ではある。ただ、社会という共同の枠組みを壊す行為をすることを自由だとするのはちと違う。世界は他人を含めた存在で成り立っている訳で。

 

自分を使うという意味で言えば、満月さんに進言された司法書士の資格を取る方向もありうる。知識ではなくて運動で。宅建取って不動産会社という説もある。使い切れなかった法律情報は残っているし、お勉強ではなく楽しみな可動性としてみたら結果は変わってくる。

 

 

やれやれ。

 

最近スピリチュアル系の本をよく読んでいるのは、波長が合っているからだろうな。

自分の世界は当人でシナリオを創造できる世界だとか、波長が高いと良いことが起こるし低いと悪いことを引いてくるとか。本日の満月さんの波長は低いらしい。

 

最も良いのは、自分を許すことが最上の好転だというところ。

許すって肯定ではなくて、そのままを観測できること。放置でも譲ることでもない。

 

あと、面白いなって思った説は不具合を感じるとき、当人がそれを成長のために選んでいるのだという話。人生劇場の登場人物はガイドというのは当たり前なのだが、一般的ではないのかもしれない。

 

僕が今後加味すべきは、他人の世界線の移動を遠慮しないというところ。

僕の移動と伴ってもしょうがない。

 

どういう世界を生きているのかは当人それぞれ。

僕の世界って、なんだかむやみやたらに僕のことを褒めてくれる人がいっぱい居た。僕が褒めたから返ってきた訳でもなく、対価も特になく。

 

僕の意識がギブギブの世界に波長が合って無くて申し訳なかった。

本来そんな奴だからそういう人が出てきていたのに。

 

1回旧来の交友関係を全部切ってしまったが、そろそろ元気になってきたからもっと人と交友関係を構築しても大丈夫だろうな。友達と出逢おう。

 

おしまい。

 

おやすみなさい。

 

良い夢を。