ながた

 

 

今日も今日とて枠外し。

 

プリンの夢を見た。満月さん調べだと恋の夢らしい。

そこに疑義を挟むつもりもないが、そんななまっちょろくなかった。

 

スイーツはほとんど買わないのだが、昨日たまたま美味しそうだったから今朝食べようと買ってきた焼きプリンがモチーフなのには違いない。夢では舞台が最初の実家になっている。姉がそのプリンを食べて家を出た頃に起きた小さな頃の僕に殺意が漲る。「〇ろす、辛抱ならん」とか言っていた。

 

起きた後も感情の残滓があって、これが殺意かと浸る。人の内心は自由だからどんな気持ちになっても問題ない。問題はそれを行為に移すことと統制されますよというだけ。言語化もそろそろアウトな気がするが。タブーな言葉が増えているという意味ではなく、通常用語でも他人を傷つける言葉の話。

 

 

もう少し考察。

 

いまとなればまた買いに行けば良いのだが、なにせ実家だと近所にコンビニもなく、また食べる為には次に買い出しに行ける日までお預けになる。

 

ちなみに相手が満月さんだと仮定して、凄く貴重で行列ができる限定モノを食べられたとしたら、しれっと「満月さんが食べる用に買ってきたか大丈夫ですよ」と言いそう。ノルウェイの森のワタナベと緑の愛についての会話のようだ。

 

当時の僕は姉に奪われ続けている認識だから、「辛抱ならん」という言葉が出てきている。いまは姉もしんどかったから僕に当たるしかなかったのだろうなと思うが、姉とのエピソードってほとんど残ってない。

 

小学校低学年の頃に、どこから仕入れてきたのか奴隷契約書にサインをさせられたことがまず1つ。言うことを聞かなければならないという条項があった気がする。民法9〇条の公序良俗違反で無効なのだが、当時の僕にそんな知識はない。

 

あとは僕が顎の長さでいじられ(いじめられている)小学校高学年くらいの時に、きっと発端である姉が僕の顎を掴んで、「あんたの顎は掴めるくらい長い」と刻印してくることと、ちょっと遡って僕がブドウ狩りの絵を描いて何か賞を取った時に、「下手な絵が好まれる、偶然だ」とか。未だ絵に対しては食わず嫌いの苦手意識がある。mixiのお友達の絵の先生曰く縦にまっすぐ線を引ければ後は好きに描けば良いとのことだから、ここも動く余地であある。

 

母親も苛烈だったから、口喧嘩が絶えなかったシーンと。

 

姉弟の温かみ要素が皆無なのかというと、そうでもなく。成人後に妹も含めた3人で飲んだ時に、ちょっと本音を語り合った。わたしはめんどくさい女だって言っていたな。母親のことも人としては見ているらしかった。父親が亡くなった後に指輪が変わるのあざとく見ていて、それも父親から貰った物で、回忌となぞらえているというの綺麗な文章で書いていた。この文章どこで読んだか忘れたが、姉の文章は好きだったな。

 

退場させていないから存命のはずだが、もう会うことはないかもしれない。

 

 

回想していて思ったのが、僕がほんとに長男だったもっと上手くいったかもしれないなという世界線。少なくとも圧政は敷かない。証左になるかは知らないが、妹からは未だに年賀状が届く。返さなくても。僕が最初の子供だったらもっとのぼぼーんとする家庭の空気を創り出せたかもしれないなーって。長子の重責を無駄に姉に負わすこともなかったし。

 

かといって、僕が長子の責任を負う世界線はなさげだが。

結構遠慮しいだから、長子の姉の顔を立てるように生きていた模様だから、そこの枠が無ければもっと遊べただろうなというだけ。

 

母親が子供の出来を比べる人だったし、父方の祖父も辛辣だったらしいし、代われたら良かったなぁって。

 

たぶん、実際の姉はがつがつきちんと生きているだろうし、幸せだったら良いなと思う。

ここに書いているのは、僕の中にある小さい頃の姉の存在であって、僕の中のこと。

 

 

さておき。

 

理容院で髪を切る現実。店員さんはゲームの為に独り身になりたいと言う。妻子持ちな癖にとも思わず、その欲望は技術の発展でなんとかなりそうな気もする。メタバース界でスタイリストをしたいらしい。

 

そろそろ運試し場がワクワクしなくなってきたのかもしれない。もっとワクワクできるフィールドは外にありそう。ここに居すぎると現実的に破産手続開始宣告が起こる。空気が合わなくなってきた。たぶん勝っても同じ。もはやそういう領分のところには居ないのか。

 

 

その場で読んでいた本で、魂を磨くという話。

呼吸が大事だという章で深い息をしようとしたら肩がつった。呼吸でつるってなかなかない。帰り道のスーパーから家まで走れるかというのを試してみる。買い物袋(2キロくらい)を持ちながらというハンデもあったにしろ、2キロ弱の終盤の坂道で息が切れた。早歩きではなくて小走りで出退勤しようかな。ゆっくり歩くのも好きだが、1人ぽっちの移動ではゆっくりしていられない。

 

魂を磨いていくためには幸せを感じるようにすること、感じて行くにつれ霊感が開くとのこと。いや、僕は十分幸せに生きている。これ以上の幸せに対してワクワクしているだけで、別に神様と同一化するとか宇宙人からの啓示も特に求めていない。僕の霊感はいつ花開くのか。仏教でいうところに四苦八苦もだいたい越えているような気がするのだが。

 

0能力者なのでこの辺りは良くわからない。

ただ、魂レベルが上がってくると理解度が上がって来るというのは分かりみ。具体的に言えば読める本が増えてくるという実感がある。

 

なんなく読みこなせそうな本が読めなかったという意味で言えば、僕の魂レベルはかなり低いところからスタートしている模様なのが楽しい。低かったのか、あえて低くしたのかはともかく、他人に読解力を教えるレベルではない。

 

女の一生」があったと思われる位置を探ったら、まだ読みきっていない過去の自分が準備してくれたほんが出てきた。50円棚でよくもこれを選んできてくれた。吉行淳之介氏の植物園の話と村上さん翻訳のレイモンドなんたらの短編集と、ラディゲの「肉体の悪魔」。

 

読めるようになっている。

 

そのうち詩もきちんと読めるようになりそう。

やっぱり左川ちかさんの言葉選びは好きだ。

 

読めば読むほど世界も自分も一様ではない。どこかで自分を決められる頃が来るのだろうか。

 

なんか面白いからこのままこれで継続しよう。

 

おしまい。

 

おやすみなさい。

 

良い夢を。