哲学者でもない
アラームで設定されたギリギリの起床時間より早く起きるのが楽しくなってきた。むかーし学校に行く前に起きてスーパーファミコンのRPGをやっていた感じと同じ。ドラクエⅥと天蓋魔境ZEROだったか。
二度寝(三度寝)をする代わりに朝から尾道ラーメン。米も好きだが、卵かけごはんやら納豆かけごはんで続いて行くのもなぁとなった。冷蔵庫に残っているのが思い浮かぶ起き抜け。ゆっくり食べて、食後に本と記事を食べる。
終末的な思想感があるブログで、某予防接種についてネガティブなニュースが消えないのは、次の絶望に浸られせる目論見なのではないかという説だった。ほんとにテレビとかネットニュースに流れているレベルなのかね。僕はニュースも見ないし1回もブーストしていないから他人事的ではあるのだが、世の中があんまり不安に苛まれないと良いな。身体においても精神においても不安感は鎖だし。
世間の話題についていけなくても楽しく生きておりまする。そこしか雑談できないのもつまらない気もするが、話しやすいことで埋めるのも1つの退屈を紛らわす手段ではある。
関東圏がなかなかの雪模様らしいが大丈夫だろうか。
不謹慎だがそれより。
柄谷行人さんの「世界史の構造」はやばい。1次情報ってほんと読みやすい。参照されたり論考されたりするとそれは筆者の文体になって、最初が読みにくくなる。これはこれで筆者の文体を味わえるから良い。ほんとに原典を知りたいとなると方法が違うけども。日本語圏の人だからなんとかなるが、外国語圏の原典を読む為にはその言語を習得しないといけない。先は永い。やっぱドイツ語か。
読んでいてぞくぞくする。物理的に鳥肌が立つ。思想の越境が半端ない。マルクス、ヘーゲル、カントが見ていた世界観の整理が秀逸。資本、国家、ネーションの知恵の輪みたいな構造をどう捉えて居たのかという分析から始まる。もちろん分析って分類のための分類で終わるのではなく、自分の考えというオリジナルに至るための前準備だから、このあともっと面白くなってくるだろうな。リアルタイムでの感想もあるが、書けたら書く。
時間を進める。
お仕事。
先生が健康診断でお休みの場の緊迫感に当てられて結構しんどい気分で仕事をしていた。場の空気感に影響されるのはHSP気質。ただ、そのうちなぜだか面白くなってくる。しんどい感じは変わらないが、場に流されずにやや越境できているのが楽しい。おせっかいだとか、気にし過ぎと見られないようなギリギリの境界で暇を潰しつつ、年下上司やら同期の仕事を減らす。仕事量が増えても成果として対価が返って来る労働契約ではないから、年下上司としては去って欲しくない人材だろうな。もちろん僕は左手で文字の練習をするくらいの意味合いで暇つぶしに越境しているだけだから、特に評価を求めてない。次の職場は求めても良いところにするかも。
同期にもお礼は言われたのだが、ニュアンスが感謝というより、自分の仕事が減ってありがたやという感じだった。この違いを書くって難しいのだが伝わるだろうか。古参の先輩も僕を結構ありがってくれるのだが、この人のは全体の仕事を減らすというニュアンスだから、感謝をてらいなく受け取れる。属人的でないにも関わらず、挨拶としてのありがとうでもないという感じ。
契約上やらなくても良い危ない橋を渡っている。辞めるまでにどれだけ仕事を減らせるだろうな。経営とか場の仕組みみたいなところまで口を出す気はない。僕が想っているのは歯車として消費されるだけではなくて、持ち帰れる知見を得ようというくらいの人達が構成員になっている構想だし。これだとするとオリジナルに意味が無く、皆が同じ知見で更新できる。個別な存在感はその上の次元の話。
そういえば、HSPの地獄というランキングの5位と4位だけ聞いた。5位は環境が雑多だと処理落ちして集中できないとのこと。これは処理落ちしないように内部の世界に余裕を作ればなんとかなりそう。4位は話す環境。相手に対してこれを言って良いのかとかなって結局口をつぐんでしまうと、相手からすると楽しくなかったのではないかとか想われるとか。分かりみ。これを言ったらどうなるかは常に想定している感じがある。まぁ特にそこに対して重きは置いていないのだけど。ここで書いているように話したら人と雑談はできないし、別に僕の中の話を誰かに直に伝達したいという気分もない。
まぁ、もうちょっと語彙数増やさないと満月さんがやきもきするという説はある。
自分のことで伝えたい情報が特にないというのが根本的なズレなのだろうな。
自己主張って、結局は外界に居る人を統御というか制御の文脈になる。僕はそういう文脈で人と関わる気はなくて、言葉が足りないから離れるみたいなことでも良い。
満月さんは汲み取りが半端ないし、あんまり自己主張もない。
この前食器棚に収容する器の分類がてきとー過ぎると言われたが、特に文句でもない。要は同じような形の食器は同じ段に収めれば良いと学習した。
本日の出勤道中の思索。
いつもの梅が満開になりつつ、雨露を帯びていて艶。
柄谷さんを読んだ発想。性善説とか性悪説とか二元論があるけど、人の本質は性欲説なのだうなって。字面がアレだが、欲の構造として社会がデザインされている。この辺りを考察したのがマルクスさんやらヘーゲルさんやらカントさん。人の欲、言い換えると衝動は無軌道だから、それが社会の共同生活上不都合かどうかの縛りに、道徳やら法律やら倫理がある。
ほんまかいな。
個人的にはこういう世界観という縛りによってなんとなく人が不協和音でしか関係できないのではという説なのだが、特に証拠もないから感じでしかない。外でどれだけ足りなくても、内が充足していれば人を蔑ろにするようなことは起こり得ない気がする。
今後の義務教育は世界観を拡げる感じになるのだろうな。
ここまで。
おやすみなさい。
良い夢を。