環世界

 

 

なんだか反応が遅いぞ。調子が悪いのか?

そうでもなくて、物語の展開に反応が付いていけてないのだけなのかも。

 

 

自分がHSPであることを特に信じていない。例の地獄の第1位は自分の内側から出てくる感じとか思考に囚われて体が鈍くなるという事象だった。たしかに10代とか20代とかなんなら最近までそんな感じがなくもないが、なんというか、ここは悪い性質ではなくて、性質と肉体を切り離せば良いのだよなという感。感じることや考えることはどれだけやってもええで、楽しもうやい。

 

結局傾向の呼び名でしかないところに囚われるのがいかにもという感じ。どんな性質だって人は持っているだろうに。まったく持っていない性質には嫌悪感すら抱けないはず。「MIX」というあだち充さんの漫画の感想の中で(義理だけど)妹とくっつくみたいな気持ち悪い展開はよして欲しいから他人である登場人物とくっついて欲しいみたいなのがあって、レヴィストロースさんの「近親相姦」に対する考察っぽいなと思った。世界観というか社会観としてインスト―ルされている気持ち悪さ。

 

ちょっと生生しい話。ヒロインの2人のうちの人が体操部員で、練習中に男子がいっぱい見物に来る。そのシーンの感想で、自分がおかずとされていると思うとぞっとするという投稿があった。分かるようで分からない話。別に何を気持ち悪く感じるかは自由だから問題ないが、おそらくここが性的消費とかの下りだと思われる。実体ではない像を消費するというのは誰もがやっていて、テレビのイケメンの偶像を消費することとあんまり変わらないような。この消費って実体を何にも毀損していない。もちろんしつこかったりストーカーになったり現実的に性的自由を侵害するのはアウト(犯罪になりうる)が、そうでない限り、どれだけ誰をおかずにしても問題ないような。

 

このおかずは性的対象とは限らない。理想像だったり、なんだったり。

実際のところ誰だって下世話なことはしているし、その中身をいちいり気持ち悪いから排除するというのは魔女裁判みたいになる。

 

だから表現物に対する規制論は嫌い。

文字の官能表現のがやばいのに、影響力を気にする層が視覚的メディアとか単なる言葉(単語)しか見ていないのもなかなか。僕は高校生くらいの時に父親が買っていた雑誌の文章で、いや、別にこれ以上書かなくても良い。

 

片付けないといけないところを避けるように書いて居たら変なことになっている。

僕は具体的な人物との現実のエロはあんまり聞きたくない(現実的な雑談にコレが入るような関係はどうも)が、抽象的な官能なら問題ない。むしろ。

 

 

やれやれ。

 

僕がHSP傾向だと思いながらたぶん違うだろうなと思うところ。

人の存在は確かに無茶苦茶影響される。ただ、自分がその人に影響されていることが煩わしいというより、その人をきちんと自己と別個の自己と等価の存在としてみてしまうから、基準が曖昧になるという影響値。たぶん敏感な人ってきちんと自己存在が在るのだろうなと思っているから、ちと違う。

 

人の存在感が重いから、てきとーに捉えられるとしんどくなるというか。

暗黒時代というか、僕は場の関係であるだけの人を全部衝動的に切ってしまった。自分の所作に対しては信頼しているから問題ない。縁って場を起因とするけども、継続するのは意志の話。場から居なくなっても自分の場に居て欲しいと引き止められるかどうか。

 

昨日日記が終わったあとに、携帯を見たら3年前くらいにぶっち切りした大学時代の友人から着信。満月さんに相談したら折り返せということだったから折り返してみた。3年振りの3分間。

 

生存確認を全無視していて、当時の感じだと怒られそうだなと思ったのだが、「生きていれば良いわ」という言葉。特に僕の近況も聞かないし、僕も聞かない。僕も正味ウェイ系のこの人と世界線が致することはもうないだろうなと思っていたのだが、ここまで気にしてくれているのであれば、もう一回呑むこともあるかもなとなった。

 

もちろん僕は世界線が離れた人でも居た人は残っている。もう1回逢いたいというのは別の重さで。

 

テンション低かったな。

この人との縁の馴れ初め。愛媛の田舎から大阪に出てきたおのぼりさんに声をかけたのはこの人ではなくて、もっとパリピみたいな人だった。この人は僕のことを脳内に残す容量は無かろうな。この人を媒介にして関わった、地頭は良いけど浪人しても繰り返せなかった人の層と関わる大学時代。大学時代は暗黒期ではなかった。解放感しかないと思わせつつ、人を下に見たい人は多かったか。人をヒエラルキーで見る機能は生得的なものではない。

 

 

自分の人生劇場に登場した人達は、学習にならない人材だとしても重い。きちんと内部事情を持った生肉の存在。経験ではなく登場。

 

どうでも良い世界線。結婚式は開催する予定はないのだが、仮にするとしたら、祝って欲しいからお金を払いに来てくださいではなく、結婚式を開催するので祝いたい人(僕と再会したい人)は来てくださいになる。開示はできないし、誰も来なくてもぶっちゃけ問題ない。別に自身がある訳でもなく、それでも来てくれる人は貴重よなというだけ。逆にいっぱい振る舞いたい。

 

儀礼ではない宴的な結婚式は在りうるのか?

開示したら何人かは来てくれそうな気がしないでもない。

 

というのが人への甘さだと思われそう。

たしかに、僕は別に発話とか行動で存在を開示したことはあんまりないかも。理想像として消費されていたことはあるかも。

 

自分の暗部に辿り着いていない人にとっては一般通行人間なのか。一般通行優しげな人。

何かしていれば自分の暗部に気付かないで良いという意識高い系の人は置いてけぼりの自分から後々逆襲されそうな。

 

僕はお酒を飲んでも離脱できない自分を拾って気分が悪そうだが、この悪さは置いてけぼりにしてはいけない自分の要素だから、小躍りしながら観測しようと思う。自分の内部だっら沈んでいるところでどれだけ小躍りしても不謹慎にはならないという発見。

 

ここまで。

 

おやすみんさい。

 

良い夢を。