みそこない

 

 

 

ぎりぎり起床時間の1時間半前に起床。眠かったがミステリ風の殺人事件の夢が続きそうだから起きる。朝ごはんを作りながらアイロンがけをしつつ。ぽっかり空く1時間半ってなんでもできる。明日は会社法でも読むか。

 

今週は帰ってから30分以内にお風呂に漕ぎつけるということをしているが、この30分でも結構長い。副菜作りながら宝探しできるし。本日1Q84のbook1を見つけてフィーバーしたが、前後編の後編だったというオチ。まぁ全編はまた満月さんので埋めれば良いし、読み返しで1から読むということを気にしていない。なんなら初読みでも結末から読んでも読めるかもしれない。だって、読んだ後に残るものって別に順を追っていないし無茶苦茶に収納されるところに1から入れていくってなんとなく不合理。もっと自由に読んで良い。(あくまで個人的な世界観です)

 

 

 

お仕事。

 

年下上司との面談があった。もう退職が決まっているからスルーされるかなと思ったがそんなことはなく。最終的には自己都合でもなく会社都合でもないところになるらしい。これってハローワーク的にどう扱われるのだろう。とはいえここはそれほど気にしていない。きちんと自分を開示すれば次の職場はすぐ見つかるだろうなという予勘がある。そんなに甘くないのかもしれないが、あんまり関係ない。どんな力関係があっても選ぶのはこちらだし。

 

 

選ぶといえば、ミニマリストというかシンプリストみたいな人の文章が人の条件を滅茶苦茶求めているなという矛盾の味。自分を受け入れてくれる人って選んだから現れるものではないし。たしかに人間関係って無茶苦茶容量喰うから最優先の断捨離項目にはなると思われる。僕も日常的に暖を取るような友達は居ない。連絡取れなくてもかってに友達だと思っている人は居る。再会が楽しみ。

 

ちょっと脱線したから戻して。

年下上司曰く、同期が僕の動向を凄く気にしてくれているらしい。雑談するような職場でもないし休憩時間も被らないしプライベートの事情を語るのが職場でもないから何も言わないが、だからっと言って不義理に去るつもりもない。義理システムはろくでもないという思想なのに不義理ではないってなかなかのちぐはぐ。

 

年下上司が送別会をしないかと言ってくれる。参加するのはおそらく同期だけだと思うが、この区切りに色々語って美味しくお酒飲んで去るのも楽しい。どこまで自分が開示されるのかは不明だが。口だけのはなむけではなく行動で示してくれる年下上司は良い人。まぁ、年下上司がこの場を統括するようになった初めての新人2人という個人的な感慨深さもある模様だが、ここもあんまり関係ない。

 

個人的には古参の先輩とも少し話してみたいところだが、愚痴大会になりそうでもある。

個人的には不満はないが、古参の先輩は穢れを蓄積していそうな感じもなくはないし。でもその穢れもやや聞いてみたかったところではある。

 

さらに面白いのが、最終仕事日のシフトが最遅番というところ。

早番だったら、お菓子を手渡ししながら挨拶して颯爽と去るみたいなイメージだったが、遅番になるとそうもいかない。休憩終わりにお菓子を置いておいて、付箋にお世話になりましたと書いて貼っておくくらいか。僕に声をかけておきたい人だけが声をかけてくれて退勤していくのは、これはこれで楽しい。結婚式に来たい人だけやって来いというのと近い。

 

何様なのだという感じだが、僕の劇場の中では影響の有無とか関係の深さとか無関係に人は残るから、バランスは保たれている。お菓子はカヌレが良いかなと思っているのだが、日持ちの関係でどうなのかは検討中。

 

自分の影響が関係ないところの方が自由に動けるのかもしれない。

この性質ってあんまり自分を守らないから、他人がどうでも良いエナジードレインする人とかに対すると不利ではある。それが不利益と思わないから泥沼。だから断捨離。

 

ちなみに満月さんに対してはしてあげているという対価的な想念がない。ついでに思想的なルールに従っている訳でもない。返って来る為にしていないのに返って来るという塩梅なだけ。対価を考えないといけない関係はあくまで義理システムなんだよな。無形の気遣いには何かが返って来るべきという報恩のシステム。言葉で返しておけば良いでしょって。

 

言葉はたしかに大事。ただ、行動というエネルギー消費に代替するものでもない。

いや、言葉を発するのにもエネルギーが消費されるというのは分かりみだが、自然と出てくる言葉は溢れ出しているだけだから、当人の存在の範疇の外ではないし、カロリー外のエネルギー。

 

人が摩耗するという観念もなんだかおかしい気もする。

 

 

やれやれ。

 

凄くどうでも良い話だが、人って生きている上で色んな人を相対的に眺めることになる。この中で、自分が実感として自分で在って良かったって感じることはあるのだろうか。存在は自分が選んでそうなっている訳でもないから、「生まれ」についてのガチャは気にされている。ここで気にされているのは環境であって、当人の存在自体ではない。

 

いまの環境とかを度外視して、自分で在ることが仕方ないと思うのか、自己存在に感謝できるのかで随分世界の見え方が変わると思う。

 

僕がこの自分で在って良かったなって思うのは、日本社会に生きていても年功序列が浸透していないところ。敬語はどうでも良いが、なんで年下を自分より劣っていると認定できるのかが分からない。僕に対して扱いが敬っている人が、新人さんに対して雑になっているのはなんだかなぁって。

 

年上だから、勤続年数が多いからというだけで下位の人を雑に扱える人はさよならバイバイで良い。こういう意味で若さだけを武器にしている人もアウトになる。

 

なんの話だろう。

 

眠くなってきたのでここまで。

 

おやすみなさい。

 

損なわれていませんように。

 

良い夢を。