単なる楽しい1日

 

 

1人では決して起こらないことが発生するのが2人。11時出勤で7時半に起きたのに遅刻するという事態。全然堪えていないというか優先順位的に、満月さんに責任を感じさせない方が遥かに大事。

 

寝起き+若干の焦りで頭が回らないときに言語上の指示の強制力は凄いな。満月さんも自分の言語の矛盾に普通なら気付いただろうし、僕もそう。僕しか鍵を持ち出してなくてなおかつそのまま大阪に行くのに、カギ閉めてって。警戒心0の頭を使わないモードだから閉めてしまった。その直後にちゃんと私は鍵持ってないって発言していたのに。

 

言語の強制力を感じたというエピソードであって、満月さんが鍵閉めてって言ったことによって遅刻してしまったという話ではない。この基準で言うなら違和感に気付けなかった僕の自責の話にもなる。頭を使っていないときは無意識が活性化していて、指示があったらこれをしておけば良いみたいな道具になる。でもやったのは自分なのだから、世界のせいにすべくではない。

 

正直、状況を楽しんでいた。

職場に対する迷惑も繁忙期ではないから微々たるものだし、遅刻のリスクって職場への迷惑ではなく、自己の職場上の信頼が落ちるということであって、この点はきっと揺らがない。だって来月には去るし、それまでは安泰。

 

結局調子が悪いと世界が悪く解釈されるし、良かったらなんでも楽しめる。これは楽しい解釈から調子を改ざんするという逆流もできるかもしれない。

 

 

そういえば、愛知に出発する直前にシャツにアイロンをかけたのだが、新幹線に乗ったときに、「あれ、きちんとコンセント抜いたっけ」という不安が生じる。こいうのは強迫神経症的な人なら分かると思うが、過去に対する不安でいまが手に付かなくなる。

 

そういうのを取り除くために、きちんと全部意識で確認しておくということをやっているはずだったのだが、このコンセントについては、ぽっかり意識の死角になっていた。特にうわの空だったわけでもないし、その後の準備でも視界には入っているはずだから、ささったままだったら違和感に気付くだろうと、自分への信用で乗り越える。実際帰って見たら抜けていた。

 

心配事の9割は起こらないという有名なタイトルがある。読んでいない。これって、調子が悪いと、でも1割は起こりうるだろうなという解釈になるし、統計的・経験的な確率なぞ全く当てにならない。結局最終的には自分しか当てにならないのでは。

 

 

お仕事。

少し現実的な話。

 

あるお客さんが、僕の説明が分かりやすいと言ってくれた。声と名前ですぐ憶えましたって。正直なところそこまで有難くはない。僕ではなくこの人が僕に当たることですっきりするのであれば、それはそれで良いことだとは思うという微妙なニュアンス。

 

無限の知識を参照できない人間の限界上、相手を知識で安心させることはできない。説明の分かり易さのコツなんてものも分かってはいないが、実例としては、土俵を間に置いて相手の理解に合わせること。これを言っておけば誰にでも理解されるほど言葉は万能ではないし、言いたいことを言うだけで説明が済む訳でもない。ほんとはその情報要らないよっていうことでも相手のターンは遮らないとか、人と対話をしているという場を作るという感じ。

 

こういう文脈で言えば、お洒落な先輩は通話のみの対話は向いていないのかもとか思う。

結構他責にしている。断言するのはそれができなかったときにクレームになるから悪手だだが、システムとか権限がそういう風になっているとか言うと、人と話している気がしなくなってしまう。まぁそういう風に話さないといけない職場もあるだろうけども。

 

予備校的なところで先生するのもいけるかもしれない。

いや、これは1Q84 の天悟氏の影響でしかないのだが、相手がどこに引っかかっているのかは気付けるような。

 

プライベートでは特に自分を説明する必要を感じないからやっていないだけ。

ここでは特に誰かに承認される意味がない。どちらかと言うと、言葉よりも特に義務が無いのに関係が継続することだと思う。関係の定義が広いから、僕に観測できない範疇で僕の文章を読んでいる人も関係に含まれている。人に出逢うってそういうもの。

 

 

帰って来て。

 

とりあえず、今日のうちにしないといけないことだけして、当日で良いことは明日に回すことにした。お弁当のメインは当日で良いし、アイロンがけもできる。当日にすべきは晩酌のための副菜とサラダとか。満月さんが買っていたオリーブベースの塩味のドレッシングが美味しかったからこちらでもあるかと思ったら無かった。ピエトロにする。

 

副菜はおつとめ品のセロリの浅漬け。タンパク質は、納豆とちくわで補給。ちくわとゆかりって案外合う。

 

1Q84が我が家にもあるかなと思ったら、文庫本のbook3と2しか見つけられない。たんぶん一括で買ったから同じブックカバーなのだろうなと思うが、続きは愛知でということなのかもしれない。ここに憤りもない。読みたいけどそこまで待ち遠しくもない。

 

 

というのが今日の1日。

 

昔の僕だったら遅刻になったらいちいちあくせくして居る気がする。1人で居るときは遅刻しないし。いちいち他人の評価を気にするのがやっとこさ辞められてきたらしい。この人格めっちゃ楽で楽しい。

 

人は要らないが、居ることで余計に楽しくなるのが関係で良いでよい。

自分を確証するために他人を使わない存在観。

 

ここまで。

 

おやすみなさい。

 

良い夢を。