実体と影

 

 

段ボールが出勤時間直前に届く。ラッキー。昨日が11時8分で不在、そこから次の日午前中の再配達の希望があったからもう少し早く行けば受け取ってもらえるか、と僕が配達員なら考えるが、どうなのだろう。いちいちそんなことは考えていない気もする。

 

20箱届いた。あまりにコンパクトにまとまってやってきたもので、本と服入り切るのかという感じもある。諸々の日程は朝起きてから予約した。あとは不用品と立ち合いだが、不用品は調べていると当日対応も可能みたいな情報があり急いでいない。不用品=生活家電だから、無くなるのはぎりぎりにしておきたい。立ち合い業者から連絡ないなーと想っていたら、本日の夕方にやっときた。伝言メモにまたかけますと入っていたから待機。

 

明日の朝に1箱にどれだけ入るのか検証してみよう。1箱に文庫本が150冊くらい入るのであれば問題なさそう。専門書が多いからもしかしてぎりぎりかもしれない。なんにせよ1箱入れてみれば感覚は掴めるはず。

 

お仕事は恙なく余生。僕が居なくなるとはあまり関係なく新制度になりそうな感じでその制度がどうなるのかは気になるところ。先生と年下上司が相談しているのが聞こえてきた感じだと、最上級の上司にもっていく前の一次判断をどうにかする模様。正誤とか知識があるかないかは怖くないが、判断は怖いこと。ここに手当が付かないのであれば人は残っていかない気もするが、なんとか考えるのだろうな(主に先生が)。

 

先生はなんだかんだ仕事を楽しんでいるように見受けられる。この楽しみ方は人生全般に言えそう。自分が培った経験の外で「できるようになったこと」を見ている感じ。本日は調子が良かったらしく、自画自賛していた。自画自賛できるって良いこと。もちろん相対評価ではなく絶対評価で。

 

送別会で何かリクエストはあるかと最終確認(たぶん)される。そのときは特に馬刺しの気分ではなかったから、ビールだけリクエストしておく。ビールで予約先を選ぶというのは初体験かと思うが、年下上司は汲んでくれるらしい。素晴らしい。

 

古参の先輩には、なんでそこが引っ越し先になったのかと聞かれた。整合性がある理由を求める感覚は分からなくもない。今回はあるから説明は付けられるが、世の中って遥かに納得がいかない物事の方が多いのに、無理矢理筋道を付けようとするもなんだか変だなという気がする次第。もちろん研究家気質の人が試行錯誤しながら理由を探っていくことは素晴らしい。ただ、自分の中で相対的に納得できるがための理由を求めるだけの思考は不毛なような。

 

 

送別会がどういう会になるかは分からない。先生は来てくれるのか、それとも年下上司と同期と3人だけなのか。なんにせよ、口上があるのだったら、感謝をまき散らして去ろうかな。仕事が終わった日だから気になった点も言いやすい。僕にとってどうかではなく、単に職場としてどうかという話で、僕がそこに対してしんどい想いをしたと解釈されては困るような部分。これで良いと思ったらできることは増えていかないですよなって。

 

 

やれやれ。

 

具体的にできることが増えていくという向上心も大事。ただ、これだとなんというか他人を見下す前に過去の自分を見下してしまうのではないかという仮説。過去の自分と確執が起こると体の痛みとしてぶり返すという本があったし(「心はなぜ腰痛を選ぶのか」)。ここは何か外的条件で癒されるものではない。

 

僕は、割と和解したから問題がないところ。

個人的に人に怒らないといけないのは、自分の中に気にいらない部分があるからだと想っている。もちろん、他人に対して制御された怒の感情を表現するという表現手段は大事。危険なことをしている子供に怒って、これは駄目なのだなと学習させるという意味合い。怒の感情って本来自衛の為ではなさそうな。

 

こういう意味で、僕には怒の感情ってもともとほとんどないような感じ。

これをもって感情が薄いと解釈されるのであれば、その人とは別の世界線に生きているのだろうと思う。喜怒哀楽の怒を除いた感情はきちんとあって、だいたい小躍りしながら生きているし。

 

怒りでの衝突は相手が折れるか自分が折れるかしかないし、たしかに戦争めいている。僕がずっと追っていたインディーズの演劇(この表現合っているか?)の最終タイトルが「GOOD WAR」で、争いを問題としながら、最終的には自己との対話になっていたのが面白い。人と闘っている人はその前に自分と闘争している。

 

土俵というか世界線の階層が同じかどうか。

ここには現実的にどうするかという事務タスクが残っているのだが、なんとかなるだろうな。息子を他人に取られたという観念になるのかどうかは定かではない。色々供給が切れたところで僕には特にダメージはない。

 

 

条件的な関係って条件が満たされているうちは安心だが、条件が途切れたら縁も途切れるから不安とセットの安心感なのだよな。ここは良いか悪いとかでもなく、居たいかどうか。

 

本日の村上さんの新刊の進捗。

感想文ではなく想起文。

 

影と本体の関係。どちらがほんとうの本体なのかという話。本体を問題とすること自体がやや錯綜している気がしないでもない。どこかに本来の完璧な自分が居るということなんてないし。だって、自己像ってそもそも概念だし。

 

影が実体なのではという説寄りではある。投影された自己ではあるが、物体としての自分よりは本質に近そうという意味で。物語に寄せると、影の方が記憶を持っているのだろうなという感じ。記憶を忘れたとしても、それによって変化した実体は生身が持っているから特に影響はない。ただ、それが去っていった後に少なからずの空虚が存在しているという。

 

どちらが有能なのかという話でもないし、どちらも特に実体でもないような。

この感じで生きられるようになって随分楽しくなっている。

 

例えば、誰かの記憶に残っていて、記憶が更新されなくなった僕の像は影でしかないとも言えないし、当人にとっては実体めいている。僕の薄い現実的実体が記憶されていればだけども。

 

はい、満月さんが眠くなっているのでここまで。

 

おやすみなさい。

 

良い夢を。