文体

 

 

ひじき美味しい。完全に常備食にしても良いな。

 

なんとなくBGMはむかーしアルバム買ってまで聞いていたポルノグラフィティ。ふと思い出しただけ。今はグァバジュース。個人的に好きなのは、センチュリラバーズと、オオカミだっけ(タイトルは定かではない)。あぁ空想科学少年も好き。

 

 

朝活しているうちにもう明日が週末。最遅番だと1日が長めのはずだが、なかなかの一瞬具合。たまたまテーブルから手に取れる距離に商業登記法の本があって読んだのだが、昔より随分読める気がする。こういうのって意識的な知識ではなく無意識の拡張という解釈。どれだけ考えたって暗記したって壁というか枠は越えられない。ふと飛び越えたと感じるためには訓練しかない。

 

本日は23時に書き終わる予定なのだが、現在22時17分。やっぱり仕事が終わってから3時間で諸々終わるというのはなかなかの縛りなのかもしれない。こういう自主的な負荷は大事だし、別に予定通りいかなくても僕も満月さんも何も思わない。

 

満月さんと言えば、遂に父親に僕の存在を開示したらしい。半笑いで酔っぱらいの画像も見せたとか。僕の顔は変で、見る角度とか人によって随分変わる模様。満月さんは良い顔で撮ってくれているらしく、母親にはハンサムだと言われたとか。父親からダークサイドに落ちそうという評価。慧眼。別に刑法規範は破るつもりはないが、道徳規範上の善悪とは無関係に生きているから、見る角度によって悪墜ちしうると思う。絶賛不健康生活を送っているし。

 

不健康というよりは不健全なのか。食生活はかなり質素だし、草と良質なたんぱく質をいっぱい摂って、炭水化物は1日1食か2食。朝ごはんは胃がちょっと張っている感じがあったからスルーした。食生活って家族で生きているときちんと決まった時間に食べないといけないから不自由。もちろん子供時分は成長の為に定期的に栄養を摂るのは合理的だが、成長が終わって維持の段階になったら体の調子と希求に合わせて減らしたり増やしたりするのが合理的。

 

いっぱい食べる人が元気とは限らない。

 

 

さておき。

 

お仕事。なんだかもう余生みたいな雰囲気だが、僕は明日寿命を終えるとしても新しい発見希求する人だから問題ない。雑談で年下上司に職場の雰囲気とか気になったことを発言するし、先生が他の人に教えていることも暇だったら聞き耳立ててふむふむしている。

 

送別会の日程も決まりそう。同期と年下上司とワンチャン先生が参加してくれるかもしれない。次の日休業日だから、他の人も来てくれたらそれぞれ個別に雑談してみたいところだが、そんなに僕に興味はなかろうな。卑下ではなく、そんな暇はなかろうなというだけ。僕が勝手に興味津々ではある。ただ、一般的にいうと興味があるという表現って何らかの利害というか報恩というか、モースの贈与論みたいなところがありそうだから、あんまりおおっぴらに開示できない。得になったり楽になったりするためだけの関係はつまらない。

 

 

興味って何なのかというと、枠とか壁の外への視界であって無目的。興味があることをするという目的というのもありうるけども、若干不純な感じ。タスク化すると一挙にげんなりがやってくるのは僕だけではないはず。興味と義務のブレンディは美味しくない。

 

 

どうでも良い話を差し込む。

 

左手文字の訓練がなんとなく捗ってきて、むしろ右手の文字が綺麗になってきたような感じ。使えるものは使う精神でやっているだけだが、バランスが取れてきている。職場で僕を観察している人が居るとすれば、左利きなのではと思われていそう。これを聞かれたら、暇だから訓練しているだけですと答えるしかないのだが、この答えって一般的にはドン引きされそう。引かれたところで自分の存在は装えない。このどうでも良さげな訓練が現実を拓くことに繋がっているのだから、人生劇場もむつかしい。

 

 

 

やれやれ。

あと9分。

 

文学理論で文体論が出てきた。文体の定義は語の並びの中で否応なく読み手に引っかかる形式みたいな話。どういうことを言っているかという意味ではなく、どこにつっかかるかという文章の中の固有性。たしかに、意味だけ読んでいると誰の文章でも同じだし、そういう意味で書かれた文章には特徴的な文体がない。

 

意味的な特徴はそりゃあ書いている人が違うのだから無限にある。ただ、きちんと自分の文体が独立していると思われる人はほとんど居ない。いや、文章って伝達するものだから伝達できるように言葉を調えるべきというのが普通。強い言葉を使えばそういうのはいくらでもできる。

 

個人的には、書かれた言葉の本質は伝播だから、整った文章に対してはなんとも思わない。その中にある微々たる文体が美味しい。

 

もう時間オーバーだから省くけども、読み物としての文体しか人に影響しない可能性がある。小説の効用は逃避ではなく、自分外で書かれたことを持ち帰られるかどうか。童話とかおとぎ話はきちんと持ち帰っているような。

 

ここまで。

 

おしまい。

 

おやすみなさい。

 

 

良い夢を。