考え過ぎ

 

 

桜が散って、躑躅が栄える。街路に植わっているのは季節感で都市生活に時間の感覚を失わせない為なのかもしれない。彩だけであればカラフルに配色すればいい。微々たる時間の移ろいは建造物では表現できない。

 

古参の先輩がしんみりと「あと1日か」と言ってくるものだから感傷的な気分になる。具体的にそれぞれ挨拶するなら何を語ろうかと妄想する帰り道。古株の人にはお世話になりました以外に特にない模様。後輩さん達には1言ずつあるみたい。有能な新人さんはそのままでええぞーとか、生真面目な男性には僕も随分お叱り受けてきたからあんまりメンタルに影響受けさせないようにしましょうなとか、営業マン上がりの女性にはあんまり細々考え過ぎてキャオーバーにならないようにとか。もう2人居て、1人は僕の後に今月いっぱいで辞めるみたいだから言うことはない。お先ですくらい。あともう1人は、たぶんモチベーションをそれほど仕事に持って来ていないように読み取れるからもうそのままで良きでしょうという感じで、印象が無い。何も持って来ていないし、持って帰らないのだろうなって。

 

 

今週ほんと短かった。最遅番って同じ勤務時間でも永さを感じるのだが、もうあと1日しかない。名残惜しい訳でもないが、干渉が時間の感覚を凝縮している説。別にスキルを習得する必要ないのに、本日また1つPhotoshopの技術を得たりして。面白い。

 

 

少し時間に対する哲学。

 

人って時自体を認識できない。時間が均一に過ぎるというのは現象の移ろいを測る時計があることによるフィクションであって、過ぎている時を認識している訳ではなく、時点と時点の間を都度意識することによって、その距離みたいなものを把握しているだけ。時間という言葉を考案した人は凄い。人間もそう。

 

だからなんだという話だが、この哲学は時計から離れた人の時間の把握の仕方がそれぞれであるという認識に至れるところ。これが合わない人はお互い妥協しつつ調律するしかないし、自分の時間に他人が合わすべきみたいな人と過ごしていくのは他がどれだけ完璧でも世界がズレているのだと思う。

 

進んでいくと、素朴な世界において時の感覚は無いのではないかと思っている。何かに没入しているときには時間は無関係だし、でもここの世界でしか生きられないのは、社会生活上では障がいとみなされているのだろうな。社会において時計時間も大事。自分時間のほうがもっと大事。

 

古参の先輩について少々。

○○氏のコピーを置いて去ってくれると言われる。今読んでいる村上さんでいうところの本体と影の話めいていて面白い。別にこの先輩の仕事を具体的に減らしている訳でもないし。

 

ただ、明日送別会に誘ったら来てくれるのかとは分からない。あくまで仕事時間の世界の話であって、私的な硯には特に興味が無く、来週の仕事のために体を休める方に天秤が傾くという説。分からんものは聞いてみるという方向になるのか。最後に僕と話したいことがあるのであればどうぞ、みたいな。

 

送別会は年下上司がキリン一番搾りがあるチェーン店を見繕ってくれた模様。同じビルの中にダーツバーもあるからそっちにも行けるという次第。この前(3年前くらい)の忘年会の時に行ったのが面白かったらしい。そういう世界線になったらマイダーツはたしか満月さん家(我が家にもなる)に置いていったからハウスダーツでハッスルしよう。

 

先生はどうやら不参加っぽい。

残念だがそういう人だろうなという感じもあって全然問題ない。関係って時空とはあんまり連動していない。語り合えないことがあるのが当たり前なのが人生劇場。どうもお世話になりましたという感じだけで良い感じ。

 

この人生観は、僕が父親と対等に話せる立場になる前に父親が退場してしまったというのがあるのだが、言葉で交換できたところで父親の退場を回避できたのかというと微妙なところ。いまタイムスリップできたらなんとかできそうな気もしないでもない。

 

 

感傷はこれくらいにして。

 

 

1時間早めに起きる。だいたいアラーム無関係で早めに目覚めて何度寝かしているから、どのタイミングで起き上がるか。本だけで5箱詰めた。全然部屋が掘削されていないから、あと15箱に収まりきらないのではないかと不安がよぎったが、専門書ゾーンが終わったら収まり切るのではという気もしてくる。満月さんは古書店に売るように促すが、古書店にさえ売れるような保存状態を保持していないのだよなー。

 

本日は初めてだったからおそるおそる試行して5箱だったが、明日は要領を得ているからもっと早くいっぱい詰められると思われる。時間がほんとうに存在するとすれば、経過が認識されるだけではなく、より改良されていくということにありそうな感じなのだが、あんまりそこを意識して時間を語る人は居ない。

 

誰かに証明できる自意識というか存在ってあんまりよく分からない。

相対的な認証って全然栄養になっていない気がするのだが、食物みたいなイメージなのだろうか。

 

僕の引っ越し実況文章にどれだけ需要があるか分からないけども、そもそも需要を考えていたらここの文章は成り立たない。

 

何も養分にしなくて継続している人格は単なるヤバイ奴でしかない。

特に世の中に訴えたいこともないし。

 

ここまで。

 

明日に備えて寝ましょう。

 

おやすみなさい。

 

良い夢を。