かどう

 

 

天気が良いから迷子になることにした。

 

 

2人しての焼肉の脂に胃腸をやられている目覚め。満月さんの遅めの仕事の出発に合わせて特定記録で郵送したい物があったため出発。コンビニの店長さんにご挨拶。このコンビニは話好きの店員さんが集まって来る模様。暦の感覚がなくて郵便局に着く直前に祝日なのに送れるのかと不安になったが、ゆうゆう窓口がやってくれた。

 

夜ご飯のリクエストはいただいてその食材の買い物も一緒に行ってきているから予定が空きっぱなし。そのまま直進して、どこに着くかをやってみる。方向性としては分かっているから、意図的な迷子。少し進むと川があって、草ぼーぼーの河川敷に獣道というか誰かが通っているだろう剥き出しの土の道があったから、どこまで行けるか迷ってみることにする。先月お花見した川。ピンクだった桜は緑になっていて河川敷もほとんど緑。ぽつぽつと紫やら白やらの花とか、雀やらカラスやらの鳥とか迷彩色の亀やら鯉やらの色がある。

 

何処まで歩くか分からない足裏にとってはアスファルトより土の方が優しい。歩いていると橋の上からヘルメットをかぶった男子中学生だか女子中学生の群れが僕の方向に手を振って来て、応えないのは失礼かと振り返したらたまたま方向が同じだけの川に沿って向かって合流しに来ている人に向けて振っていただけだった。恥ずかしいし変質者ちっくでもある。まったくそんな意図はなく、一期一会的な意味合いしかなかったのだが、外れると恥ずかしい。

 

ただ、僕はもっと恥ずかしいことを恥ずかしがらずにした方が良いのかもなとも思う。いや、やらためったら他人に越境するという意味ではなく、「恥」の観念って要は一定の社会規範から外れたことに対して起こる感情であって、この社会的に外れないようにする規範って自分でそこからずれないようにしたいと思う意志の前に、育ってきた環境の当たり前だから。もちろんどれだけ自給自足しているつもりであっても社会とは連鎖している訳で、他人と自分は切り離せないけど、それがもともとの当たり前なのか、自分が決めた当たり前なのかは随分と違う。結果としての現象が変動しなくても、内部の世界観の彩が鮮やかになる。

 

そんなこんな川を下ること5、6キロ。目的地が近い様相。迷子の面白さはここが何処なのかという情報を能動的に収集して位置を把握できること。グーグル先生に聞けば一発なのだが、自発的迷子の時間を問題にしないときに文明の利器は不要。新幹線の沿線が見えてきて、目的地である豊橋駅の方向性が分かる。新幹線だとぴゅーんただ、歩くとなると道がない。新幹線に沿って道ができていない合理的理由はいくつかあるだろうが、線路が低いから、何か石が置いてあって跳ねてきて頭にでも当たったら、一発でこの世から退場だからという理由を考えた。沿線に住んでいる人は潜在的に退場の可能性が高い。そんなこと起こったら大問題だが、高速で走り抜けていく新幹線を間近に見ると危険だとしか感じない。

 

なんとか新幹線の沿線沿いに歩こうとしていると、農業ゾーンに入った。牛とか田んぼとか。お花を摘みに行きたい気分になってきたが、コンビニが一切ない。遠目に赤い鳥居が見えてそっちに行ける道路があって、いや、これ通り抜けできるのかとなりつつ歩いて早々に左の畑に蛇がいた。1時間くらい前の河川敷と畑の間のゾーンで看板に夏から秋にかけてマムシに注意というのがあったから、刺激しないように引き返した。蛇には自然の畏怖がある。鳴き声みたいなのもしていていたし。

 

 

そうやって、畑ゾーンと川を2つほど越えて、脚が疲れてきた。流石に経年で体力落ちてきたのかとがっかりしつつ、少し座って休む。スマホで時計を見たところかれこれ3時間半くらい歩きっぱなしらしいということに気付く。そりゃあ疲れる。無理もない。

 

でも、この前満月さんと弟さん(これから「勇者」というあだ名で書く)と難波から心斎橋界隈を歩いた時の方が遥かに疲れている。前日に送別会でしこたま飲んだというのを差し引いても、人混みで歩くのって自分のペースでは歩けないから速度調整にエネルギーが遣われる。視覚情報も多い。疲れの本質って、この自他における差異ではなかろうか。

 

そうして目的に着いて、社会的にあんまり推奨されていない場所で稼いでくるという遊び人。帰りはバスで帰ったし、特に何か稼いだからいつもと違う行動をしようという感じはない。楽しく生きて良いのか。でも、たしかに、僕の人生上、苦労が返って来るという劇場は無かった。苦労をしたというチップで交換できる物事がない。1週間もやしでしか生きられないという生活はやったことあるが、それも苦労とは想っていないという。

 

満月さん帰って来たな。

(音で分かる)

 

僕の経験則は誰かが辿ったら良いということではない。4時間ほど徒歩するなんて正気の沙汰ではないし、明日は山方面に歩こうとしているし。ただ、体を動かしていない思想だけの話の薄さは然るべく。思想って大事だけど、説得できる合理的理由なんてところで人は動いていない。

 

 

やらやれ。

 

解釈が開かれていない文章はだいたいやばいという説。村上さんとかエドガー・アラン・ポーさんとか安部公房さんとか、やっぱりすごい。よく分からなさが半端ない。

 

 

とりあえず、ここまで。

 

 

おやすみなさい。

 

良い夢を。