邪気

 

 

 

なんとなく体調が悪くなっている気がしないでもない。のどの違和感は声が出ないほどでもないから問題はなさげ。昨日のつくねを少しバージョンアップした和風あんかけの準備はできている。

 

ちょっと体調が悪い感じがすると、行動が緩慢になるのが面白い。体温を計っても37度だったし、平熱から考えると全然動けない水準ではないのにあんまり動かないほうが良い気がしてくる。たしかに、外界に対して内臓が若干過敏になる風の兆候はなくもない。内臓にやってくる温度が鮮明というか。冷えたりんごジュースの温度が喉元を過ぎて胃まで残っているというか。

 

 

そういえば、離職票もろもろが元職場から届いた。仕事が早い。僕はのほほーんという人柄だが、行動は早い。無意識に任せている節はあるが、ぐーたらではなさげ。何かをしようと思った頃には行動が終わっている(ジョジョみ)。だから、むしろしないラグがある時には何かの障害があるのだろうなという感じ。それくらい自分のことは信じている。

 

満月さんの名言で、「動機が変われば物語が変わる」というのがあるが、たしかに誰かに物語る節では、説明の為に理由は必要な気がするが、個人的な感じだと人ってそれほど理由があって行動するみたいな流れで動いていないような。まぁこれだと共有というか共存できないし予測も立たないから、自他共にそういう風に生きているという社会的な時間と空間はあっても良い。

 

でも、言い訳的に○○した方が良かったって過去の理由を語られたところで、その人は行動に移せない人なのだなとなるのか、いや、内心にはそういうキモチがあるのかと解釈するか。これは物語であるというのは分からんでもない。

 

こういう現実化されていないキモチみたいな部分は、人の現実と捉えるか否かというのは絶妙に難しいところ。予測がつくところではないし。個人的には存在は不可思議だから(自己観測)、どちらも不可分な感じで、僕は動機不明なところの方が本質に近いと想って居るから、あんまり動機としての因果は気にしていない。

 

送別会で年下上司がバーベキューを開催すると言っていた日が近づいているが何の連絡もないとか。要は、その言葉を発した瞬間にはそういう気分だったということで良かろうな。誠実とか誠実でないとかの領分でもない。

 

 

この話を掘り下げるのはまぁまぁ面白そう。

 

満月さんの話。

あぁ、昨日はイチャイチャしてお互い寝不足。満月さんは自らの咳の動きと音だと思うが。

 

それはともかく。

 

満月さんって、色々元カレさんと僕を比べる節がある。もちろんあんまり気にしていないが、なんというか、好きだから残っているというより、共同生活の基準値として居残っている部分が多そう。

 

たしかに対等って難しくて、ベクトルを合わせるのはほぼ不可能。家事の回数とか家計への投資みたいなことはどうあっても半分にはできない。投資が多ければ家事をしなくて済むみたいな考え方の人と過ごしたら家事負担が半端ないし、かといって、それを求めて家庭としての場を繕おうとする人も居るし。生活って条件という面接でできるようなものでもなし。

 

マッチングアプリの界隈も刹那で一緒に過ごす条件みたいなことを問題にしている感じだが、そこにかけている費用って金銭換算されていないだけで多大な費用がかかっているような。

 

ちなみに満月さんの元カレさんは自分の方がやっているということで癇癪を起していたらしい。気持ちは分かる。満月さんは言葉と行動にラグがある。今回の体調不良はそのラグに体から逆襲されているのかもしれない。

 

 

引き換えに渡すみたいな感覚。

 

僕にはそういう感覚は一切なくて、というのは言い過ぎで、引き換えに渡すものがないとそこに居てはいけないという社会儀礼はなんとなく分かっている。

 

僕は世界に対して何にも渡していない。言葉も行動も存在までは届かない。

漂流はさせている。そもそも存在が動きだとすれば、この膨大な無駄な文章が僕の存在そのものであるとすると、どこが存在なのだとなるな。

 

なんだかこの生活で夜に書こうとすると文字数が減るから、次世代の生活方式にしないといけないのかもしれない。書かなくても生きていけられるのだが、書かないと楽しみが薄れるし、もっと書ける時間を日常的に確保することはありうる。

 

結局のところ、人生においてみたいないつ終わるか分からない時間でしたいことより、日常でしたくならないと何もできないと想う。

 

 

本日いちゃいちゃするかは分からないけどもここまで。

 

おやすみなさい。

 

良い夢を。