今晩のリクエストは雑炊。お腹の調子が悪いとのこと。丸鶏鶏がらスープの素とほんだしの昆布、生姜チューブで胃腸に優しくして、具材はネギ、キャベツ、大根、人参、キャベツ。ついでにたんぱく質として鮭フレークで塩味、卵でまろやかさ。たぶん美味しいはず。

 

僕のご飯はサラダと鱈のムニエルと残り物のもやしとニラのツナ和え。ムニエルは少しくくらい食べられそうだから残しておく。

 

 

あと、明日の来客に備えて掃除のリクエストもあった。作業の始まりが遅すぎて他のことはできなかったが、綺麗な部屋というのは気持ちが良い。リビングとキッチンとトイレと洗面所周りだけなんとかなれば、人は呼べる。ちと気になったのが、掃除機の稼働時間。やたらと短い。待ち時間でクイックルワイパーも買ってきてふきふきした。

 

個人的には部屋は最低限の生活のところだけ循環できるようにして、あとは混沌というか、気になったときにすぐ本が取れるくらいが好き。前に住んでいた部屋は15年ほどカオスが積み重なった誰も来られない部屋だったが、調べ物はすぐできるし、発掘しようと思えば色んな本が出てくる。ここで引かなかった人は、まぁ良いか。

 

部屋をどうするかより、どう生きるかの方がきっと大事。散らかった部屋も片付いた部屋も一長一短。いざという時に人がやって来られるくらい整えておくというのはそういう可能性がある場合は大事かもしれない。

 

 

さておき。

 

どうでも良いことから。やったことある、ない問わずゲームの考察動画を見るのはなかなか楽しい。ゼノギアスはやったことあるが、ゼノサーガゼノブレイドはない。宇宙観とか精神世界の解釈が面白い。クロノクロスクロノトリガーと繋がる世界線観も楽しい。ゲームをやるのも疑似VRみたいで楽しかったけども、俯瞰するためには実際にする必要もないという。時間がないというより、その時間では楽しめないというだけ。小さい頃にするRPGは、自分の体が社会空間上動かせないことによる疑似的な現実的な冒険。だから僕はポケモンとかドラクエ6にハマった。個人的に世界観として残っているのはじゃんけんで戦闘するマダラとか、エストポリス伝記2とかなのだが、まぁ良いか。

 

 

ゲームは俯瞰すると色々きちんと繋がっているような気がする。同じ人が作っているというのもあるし、繋がりが時間的に短いし。短いのが醍醐味。

 

漫画も近いけども、連載が何十年となる長期連載になると一貫性が難しい。名探偵コナンはテレビ時代アニメで見ていたのだが、もはや特に興味がない。今はハンターハンターの解説動画を見ている。岡田さんの解説動画の面白さは無難ではないところ。解説って基本は客観に耐えうるかというのが問題になるのに、主観で話している。まぁ、別に証拠が無くても説得力があれば読めるし、面白ければ良い。

 

僕はあんまり論理的に世界を捉えて居ないから論理が繋がっている創作物が面白い訳でもない。論理的であることと社会性があることは一致しないし。この辺りは好き嫌い。自分のことを論理的に捉えられるのが苦手というのは、メカニズムが決めつけみたいだから。でも、漠然として相手を捉えるよりは、論理的に捉えた方が相手をより知ろうとしている感じはある。知ることが想いなのかというのはさらに微妙。

 

時代を越えない世界観はあくまで自分軸で捉えられるけども、最初に自分軸ではないということをお勉強したのは国語だったと思われる。評論文も小説もそう。だいたい教材にされているのは時代が前だから、どう回答すれば良いか分からない。お勉強の中では、文中に答えがあるから主観とは別問題で読めるようにするという感じ。これはこれで1つの視点だし、そういう回答ができた方が現代社会で生き残れるのも分かるのだが、ほんとうは何が書かれているかを回答できるようにした方が良いと思う。

 

いや、何が書かれているかを分かるための問答が文学なのか。

 

僕は法学という社会科学畑だから、文学理論の本を読んでびっくりした。体系性が全くない心理学も体系はないような気がする。ここでいう体系というのは、正当な定義ではないかもしれないが、歴史的に概念が発展しているという意味合い。まぁ文学が人間自体にもっとも近いとひそかに思っているから派閥が錯綜するのも必然。

 

社会科学って社会がより良くなるという目的意識が一応あるが、文学はもともとそういう意識はなくて、とにかく人間を個別化しているから、あんまり一般的に受け入れられない。

個別的なところを社会化する理論がまったく一般的に出てこないのはきっとそういうこと。

 

文学部同士の会話が何を読んだのかとなるかとか。

 

眠いのでここまで。

 

 

おやすみなさい。

 

良い夢を。