可変

 

 

 

明日休みだと思っていたらシフトの調整がまだされていなくて、休みではなくなった。ちょうど満月さんも明日明後日連休だということで何しようかとなったのがおじゃんになった。満月さんは理解ある店長なのでがっかりはしているだろうが、特に何もない。僕としても問題はない。

 

ただ、次の日休みの気分だけは残る。刺身の舌。ブリと太刀魚というラインナップ。上手し。ついでに常備品の卵も購入。あとは日用品のボディーソープがそろそろおしまいだったから、ここぞとばかりに牛乳石鹸(青)を買ってきた。ダヴも良いのだが、個人的には牛乳石鹸の方が好き。たしか赤ばっかり使っていた気がするが、本日は青の3個パックが安かったから選んでみた。

 

満月さんが明日休み(ただし午前中は会議)だから、洗い物とか洗濯とかをしなくてもやってくれそうだが、個人的には日常でこなせる家事作業は休日にあまり回したくない。せっかくの休みが残った家事の尻拭いから始まるのはなんか嫌だなって。これは僕1人の話ではなく共同生活としてだから満月さんが明日休みでも同じこと。まぁ、忙し過ぎて残ってしまったらそれはそれで仕方ないという臨機応変さはある。常態化するのはよろしくないだけ。なんのための休日か分からなくなる。

 

掃除機をかなり余裕がある休日に回すことは認める。埃や髪の毛は日々落ちるものだし、これを毎日清潔に保つのは、そうじゃないと気分が安定しないという自己満足か、誰かやってきた時のための体裁くらいだと思っている。もちろん、異論は認めるが、満月さんもそこまで気にしない人。

 

掃除機をかけることから始まる休日はあって良い。

 

 

さておき。

 

仕事の事務的な部分の全貌が少しずつ見えてきた。なるほど、僕が定時で帰ってからそういうことをやっているのかって。お客様を相手して長引くのなら仕方ないが、個人的には事務作業が残っているから定時で上がれないというのは嫌なので、何か効率化を全力で考えると思う。ほんとに仕事になること以外は全て時短でやる派の店長がいまこうなっているのだから物理的に不可能な可能性はある。でも、常態化するのはなんというか、仕事にスピード感がなくなるような。まずは見習いを卒業できるかなのだが、卒業できたとしたら、ここの環に入るのだから、その先についても想像しておいて損はない。

 

仕事用のPCが時々調子悪いのが気になる。「boot device no found」みたいなメッセージが出るやつ。店長に聞いても分からないし、ネットで調べたところによると最終的にWindowsを再インストールする必要がある可能性がある模様。朝一は今のところ問題ないし、強制的に電源を落としてしばらくしたら機嫌が良くなって起動する。正常起動後に不良セクタのチェックをしてみてもあまり改善しない。これ以上はシステム管理者の領分だろうが、システム管理者にどういう風に問い合わせたら良いかも分からないという。

 

エリアの人が今度巡回してきた時に聞いてみよう。

ついでに社用スマホの権限でも聞きたいこともあるし。先輩社員ができているようになっていないのか、僕の設定方法が悪いのか。特に何もいじっていないが、どちらの可能性なのかも不明。

 

ただ、エリアの人が巡回してきたときに都合良くエラーが出ない可能性もある。

 

 

この辺で思ったのは、法人のシステムについて。

ここで具体的な日常から一気に抽象的迷子。

 

法人って要は法律上人とみなす構造体であって、国家とか地方自治体も大きな人とみなされている。人というのは何かというと、権利能力という権利義務の主体になれる人という、人にしか通じない概念体みたいなもの。法人と対比される人は実生活を営む物理的な生物とは少しずれている。

 

で、法人の典型は会社、分かり易く株式会社にする。株式会社の存在理由って利益を得て、それを構成員(株主)に分配することなのだが、その為の構造として機関を分けることは効率化になるのかということがちょっと疑問になった。株主総会という意思決定をする脳と取締役という実際に業務決定する行動決定機関と、その先に手足となって動く労働者と。末端の労働者は会社法上存在しないのだけども、そのへんは労働法の領分。

 

権限を分けることでまず頭に浮かぶのが、社会科で習う国家の三権分立。これは分けたら効率的に国家が運営されるという目的ではなく、分けないと破綻するという教訓によるもの。

 

で、株式会社が機関を分けるという会社法上の区分を越えて、企業ではもっと独自の部とか課とかで細分化されている。この細分化の起こりは知らない。行政機関で批判されている縦割り行政と似ているようだけど、起源は一致しているのだろうか。

 

ともあれ、こういう区分って一般的に言って特に利益の効率化に資すものではないよなって。むしろ、企業体が継続することが目的なのではと解釈される。ノウハウとか知識を限定して、構成員が変わっても企業が継続するという意味ではとても効率的だが、存続したところで利益を出せないのであれば、存在意義自体が見失われるような。

 

もちろん、企業体って多数の個人が関わっている。株主はともかく、労働者とか債権者とか取引関係とか。だから、利益というより循環であるという本音が目的であれば、なんとなく分かる。国家からすれば経済活動上、所得税よりも法人税の方が遥かに収益だろうし、企業体は個人より守る利益がある。その利益は個々人の福祉に分配される歳入になりうるだろうし。

 

いやはや、なんの話や。

まぁ、スケールが大きいことに脳内迷子が向かうことはよき傾向。

 

 

やれやれ。

 

理性脳を毎日疲弊させた方がきっと楽しく生きられるのだろうな。

モーニングノートを公開版でやっているという。モーニングノートとはなんぞやというと岡田さんの動画参照なのだが、朝いち起き抜けでB5ノート3枚に文字をひたすら綴って誰にも見せないというやつ。

 

これを誰かに見せると信用性が無くなるとかなんとか。

僕は自分の言葉を特に信用はしていない。これを言うと不誠実な人物と思われそうだが、ある意味では正しい。いや、これって当たり前のことだと思うが、言質ってあくまでいまのことであって、未來に関しては未定だし、そうなってくると言葉より実際の動きの方が重みを持ってくる。

 

 

言葉で言ったら、今までの誰に言わなかった言葉が出てくることの方が、定型文的に愛を語るより重いのでは。

 

知らんけど。

 

個人的な中身。なんで本の話をかたくなに出そうとしないのかは不明だが、毎日読んではおります。面白いから放っておこう。

 

はい、ここまで。

 

おやすみなさい。

 

良い夢を。