とんとことん

 

 

本日のリクエストは冷やし坦々豆乳うどん。あとはうどんを茹でて流水で冷やすだけ。副菜にはトマトの塩昆布茗荷和えと、おつとめ品に珍しい食材があってカニカマとマスタード和えにした。春の七草で有名なセリ。三つ葉よりやや香味と苦みがあって野草みが強い。個人的には好みだが、満月さんはどうだろう。

 

昨日は日記を書いたあと、満月さんの弁当のおかずを作った。卵焼き、軽く茹でたアスパラと厚焼きベーコンの炒め物、ほうれん草のお浸し。酔いどれだから味付けは大味。

 

ここまでは良かったのだが、布団に入るとあらゆる音が気になって全然眠れなくなった。寝室の窓を開けるとドアの隙間で音が鳴る。リビングのソファーで寝ようとしたが、換気扇の音が耳に障る。最終的にソファーの下のラグで寝転ぶ。頭の中にも不快な音(言葉)が鳴り響いて、どうしようもない。こういうときは静かに目を瞑っておくしかない。たぶん3時間くらいは寝られている。

 

満月さんが起きてきて二度寝しようかとごろごろしていたら、ぎりぎりになってもお弁当の準備ができていないとのこと。世話が焼ける。昨日鍋で炊いたご飯をよそって少しレンチンで温めつつ、三種のおかずを入れる。ここにエネルギー消費はない。

 

送り出したあと、寝ようと思うのだがうとうとしかできない。

この過敏さは黒歴史の時くらい調子悪いのではないのか思ったが、やや違う。本当に調子が悪い時は身動きができないし、何も考えられないから。

 

まどろんだ頭では確認が大事。履歴書と職務経歴書と紹介状をフォルダに入れてZip化しつつパスワードを付けて、採用ご担当者様へメールで送付する。確認し過ぎて間違った可能性もあるが、返信があったから大丈夫なはず。パスワードを付けるのも、僕の個人情報を保護するのではなく、個人情報を扱う業種において、そういう感覚がありますよというアピールになるというのはとても分かる。

 

個人情報に価値があるという風潮はここ15年くらいでかなり発達したよな。もともとは情報が集まる行政とか国家とかが悪用できないようにという目的なはず。そこから個人情報自体に民事法的に保護に値するということになってきた。民間企業でも大手にはかなり個人情報が集まっているが、これが漏洩されて得る利益と個々人の不利益がアンバランス。被害を金銭換算するってなかなか難しい。だからプライバシーポリシーを守りましょうという建前になっているが、色んな登録でいちいち全部の約款を読んで納得して同意している個人はなかなか少なそう。

 

 

そうして応募した企業からの返信で適性試験をweb上で受けて下さいとのこと。納期はまだ先だから準備のためにすぐにこなすことはない。SPIみたいな正解がある処理かなと思ったら、脳科学統計学的に不適正な人を振り落とす形式らしい。拍子抜けと思わせて、僕が素直に答えて良い物かというが気になるところ。

 

Web上に公開されていた問題に、「手に取って良い卵はどれか2つ選んで下さい」というのがあった。殻を割った、割っていないゆで卵とか、生卵とかうずらの卵とか7個くらい選択肢がある。説明不足の状況でどういう回答を選ぶのかという統計的傾向があるのだろうけども、僕としてはこういう問題はめちゃくちゃ苦手な気がする。解説では普通は生卵を手には取らないって殻を割ったことが前提とされているけども、1から4の選択肢までに殻を割った、割って無い、スライスしたとかの茹で卵が出てきた以上、何の修飾もない生卵は殻を割っていないと解釈するから、これは普通に卵かけご飯を作るときに使うよねとなる。

 

別に殻を割ったゆで卵でも料理する時には掴まないと先に進めないし、どういう状況なのかを自己の当たり前にすると言っても、状況設定を分けて生きている人からすれば何を応えれば良いか分からない。まぁ、2つを矛盾せずに選べるかというところで見るのだろうなという感じ。二次元で見ればどういった傾向の人なのかは測れるのか。

 

流し見していた動画で3次元立方体と4次元立法体の話があったので。3次元の物体も二次元に投影すると視点によって図形が変わる。僕は数学的直感がある人物ではないが、この視点によって投影される像が変わるという感覚は分かる。数学に関してはこなして直感と同じような感覚を得るしかない。行列が腑に落ちるのはいつになることやら。数式を操作できるのはたぶん手を動かして演算していけばできるかもしれないけども、数学の本質は操作より形而上にあるそもそもの考え方のところ。

 

 

やれやれ。

 

 

冒頭に書いた調子が悪いというのも、基本的には投影の話。どこから見ても悪く解釈してしまう。超絶調子が悪いところを経験したことがあるところからすると、調子が悪ければ悪いほど自分の視点で自分を投影することになる。数学にわかで言えば1次元でしか物事が捉えなくなって、他人が自分を搾取する存在だということになるとか。

 

実例で言えば、一回り下の女の子がやってきたとき、調子が悪ければ僕のようなおっさんと接するのは時間の無駄遣いとなるとか。そこまでは無かったのでそこまで不調ではない。自分の空間で楽しむのであれば、相手に対してアラサーの何に危機感を抱いているのですかって聞きたくなってくるが、満月さんのお友達にそこまで越境はしない。

 

そう考えると、自分視点でしか物事を考えることができない人って不調のまま一生を過ごすのではないかと思わなくはないが、これは世の中に越境し過ぎ。

 

某真理教に入った人のインタビューを読んでいるのだが、冷静な修行者は世の中との折り合いも付けていて、当時の上層部とそこに従うしかない人達はやばかったと言っている。自分事が他人事とも繋がるという感覚はだいぶやばいと個人的には想っているが、村上さんが人々をインタビューして浮彫りしたかったのはこういう感覚なのでは。当たり前に相手と通じているという感覚は、ある次元における影の投影でしかない可能性。

 

ここで言う日向はマジョリティで、陰がマイノリティとしてみる。社会的に正当であるということを光としているから、影ができる。

 

調子が悪いと、何か正誤が決まっているような書きぶりの文章が出てくる。

性的マイノリティと利権の記事を読んでしまった。哲学カフェでそこをテーマにしていることにクレームをしたみたいな話なのだが、ここに滅茶苦茶スキが付いている。

 

個人的には哲学って形而下のことをテーマにするのだっけ、形而下の社会を問題とするのは哲学ではなく社会学ではないかという気がする。社会学であれば何かの仮説(理想)をもとに世の中を検証していくから問題はない。

 

問題は、性的マイノリティの人が、そのテーマだけで暴力だとしているところ。

いや、どんなトラウマがあったかは知らないけど、字面だけで判断するって結構やばくないか。地雷単語だったかは知らないけど、これで哲学カフェのテーマを変えさせたって、功績ではなく、むしろ性的マイノリティの評判が悪くなるだけではって。

 

ちょっと気持ち悪くなる。文面読んでも特に何も書かれていないし。

自分の属性だけが視点になっているのが、マイノリティ特有の視界なのか。僕の目線だと今や特に性的マイノリティは社会に認知されている時点で特にマイノリティではない。社会の目線とか社会制度から受け入れられていないという意味で言えば排斥されているのかもしれないが、社会制度上はノーマリティな感じがする。もちろん普通の制度上では補助は受けられないが、存在認証を社会と一致するというのはマイノリティとしてどうなのだろう。

 

個人的な年齢ではそこを受け入れられない年代だが、割と個人的なところは人それぞれというのを収集したから、それぞれどう在っても良いと思う。ただ、それと存在認証は別の話なような。

 

 

僕は見かけ上特にマイノリティでないなだけ。でも、変な話、こんなのどこまで社会に認証を求めても仕方ない。マジョリティの世界観は生物学的な種の存続に依っている。

 

こういう話はどうでも良くて、なぜ他人に自分を認証されたいのかというのがよく分からない。僕もここで生きていたのだが、これだと人からされた負の評価も気にしないといけないから、一生安寧がない。これって別にマイノリティであるかどうかに関わらないし。

 

そうじゃなくて、存在は運動でしかないよなと思うのだが、運動なので共感はされるべくはない。歩いている最中に誰かと同じ運動していると思うのは難しい。歩きとして抽象化すれば後になれば散歩仲間として一緒くたになるけども、それぞれの散歩で見える景色はそれぞれみたいな話。共有ではなくて、それぞれで観られるのが良き。

 

こんな感じでおやすみなさい。

 

 

良い夢を。