つらつら

 

 

自転車中に雨に降られるとどうしたものか困る。

雨合羽を常備する必要があるが、この時期の雨合羽こそ命に届きそう。

 

 

さておき。

 

青椒肉絲ってこんな味だっけ。本日のリクエストとして素を使わずに作ったのだが、中華な感じがない。レシピは調べてオイスターソースもたっぷり使ったはずなのに、なんとなく硯印の味。薄味で和食風。

 

まぁえぇか。青椒肉絲だけでは足りないからラーメン食べると言っていたし、なんなら帰りのコンビニでアイスも買ってきた。買うときに留学生なのか帰化したのか出稼ぎなのかの外国の定員さんに「煙草は?」と聞かれてびっくり。覚えられたのか、店長が教育したのか。個人的には後者の説を推したい。最近時間帯が合わない店長。スーツ姿でまみえたことがない。職探しをしていることは言ったが、就職が決まったことは報告できていない。そのうち。

 

 

そういえば、昨日書かなかったのは、筆が進まないとかではなく、遊びに行ったらエンディングまで行ってしまって物理的に時間が確保できなかったから。台に生気を吸われたらしくビールも飲まずにそのまま寝落ちした。

 

そんな日もあって良い。

 

 

ともあれ。

 

本日の仕事は午前中先輩女子と2人だった。この人とは陰の要素が割と合う。漫画が好きらしいし、連休で家族と鉱物博物館に行ってきたらしいし。ただ、筋肉痛だとか腰が痛いとか仕事中に独り言をぼそぼそ言っているのはいかがなものか。別にそれを労って欲しい感は全くない単なる観測だろうから、皆さん結構スルーしている。僕も当然スルー。鉱物博物館で何を楽しんで来たのかは気になったから掘り下げた。

 

僕としては研修項目を進めたかったのだが、なんとなく塩梅が掴めずに時間がやや流れた。無理矢理ぶっこんでなんとか最低限はこなしたけども。休み前の日報の店長のコメントを見るとなかなか辛辣なコメントが書かれていて、どうしたものかなという次第。

 

目標は大きく設定するようにという感じだったからその通り設定したら、それは絶対無理ですと書かれているし、受け身ではなく能動的に動きましょうっていうコメントでこれ自体は標目的には分かるのだが、僕としては別に梯子をある程度登らせてくれる必要はないのだが、とりあえずの1歩目くらいは見せてくれるものだと思っていた。研修資料にも最初は分かっている人がお手本を見せて、それを踏まえて積んで行くようにと書いてある。

 

別にこれは文句ではなく、だったらそれを前提にやるしかないよなという話。僕もある程度経年しているから、研修資料に書かれている項目は理想論というか、潤沢な人材が確保されていてメンターとして新人に付きっ切りになれる上司居る、かつ、新人が研修項目に傾注できるという前提で設定されている項目だと思われる。

 

理想と現実の話はともかく、僕はこの店長が個人的に好きだし、こういう新人なのに既に対等という感じも悪くない。分かった。だったら、そういう前提で僕も動くしかないなと。営業マンとしての素地は作られなさそうだが、仕方ない。

 

そういう感じで良いのかとがつがつ店長に聞いていたら、少し定時をオーバーして、「なんでまだ居るの?(冗談)」といじられた。

 

こうやって仕事が終わったら、今までより幾ばくかスッキリしているという。

割り込みスキルを鍛えなければ。

 

とはいえ、仕事が終わった後に仕事のことを書くのは良いとしても、就業時間外に仕事のことを考えないようにはしていきたい。おそらくそうした方がスイッチの切り替えがスムーズだし。もちろん、仕事で培うスキルは日常にもフィードバックして持ち帰って来る訳だが。そうした方が良いということではなく、人ってそういうものだというだけ。どんな仕事だとしても仕事だけで収まるものではないというのが、今まで生きてきた自分の実感。

 

 

やれやれ。

 

切り替えて。いや、切り替わっているのかは知らないが、昨日満月さんとベッドで寝る前にもちもちしていたとき、「私と貴方、どちらが大事?」と聞かれた。ここは私の方が大事と甘めに返すのが定石だが、正直に「自分の方が大事」と答える。これだけだと、満月さんのことが大事でないと機嫌を損ねるのだが、「自分を大事にできないと相手のことを大事にできない」と続ける。

 

ここは別に営業トークではなく実感として。自分をないがしろにするような相手を大事にする手法は、長続きするものではないし、自分が疲れるし、なんなら自己満足でしかない。この自己満足での大事にされ方が自分を大事にしていると思える人は相手を大事にしていない人になる。関係って一方通行ではないのだから、何が大事かは共有すべき。お互い相手が大事だったら、お互い相手が大事にしている方向にシフトしていくと思われる。どちらかだけが妥協しなきゃいけない関係はおかしい。

 

僕は結構妥協というか、自分より相手を大事してしまいがちで生きてきたから、自分を大事にすることを学ぶという意味でも今の仕事はガイドになりそう。

 

 

 

はい、切り替えて。

 

最近「進撃の巨人」を読み進めている。あと4巻くらいで終わるところまで。絵柄に癖があって、僕もすんなり読める漫画ではないのだが、終着点が面白そうだもんで。ほんとうにもともと構想があったのかはともかく、辻褄が合えば漫画は成り立つ。巨人とは何ぞやって最初は理不尽の天災みたいだったけど、進んで行くと兵器になって、最終的には世界を閉じるみたいなことになる。ミカサがエレンを退場させるという終局はどこかで読んだのだが、どういうニュアンスでそうなったかは知らないから最後まで読む。

 

まぁ、これだけ読んでも好きか嫌いかで言えば、好きではないが嫌いでもないというくらい。この範囲に収まる漫画がほとんど。「鬼滅の刃」もこの範疇。

 

むしろ、この範疇に収まることが漫画の本領なのかもという気がしてきた。

自分の現実には影響せずに、コンテンツとして先と終わりが気になるから読み続けるという感じ。

 

個人的には世界に先も終わりも特になく過程しかないから、過程が面白いのが好き。

 

結果しか既製品として出されなかった世界とは違って、過程もある程度可視化されている世界になっている。表現にしろ人にしろ。表現が結果なのか過程なのかは解釈による。

 

どうでも良いが、僕が観測したいなと思う、世界線がずれてしまった過去の人って誰もネット世界に情報がない。ついったはありうるが、アカウントが無いと見ることもできないし、今のところアカウントを作るつもりがない。

 

と考えると、ネット社会も全世界に公開されているが実際に観測する(関わる)人はその一部でしかないという意味では、実生活とほとんど変わらないような。増えても減っても、それは本人の存在を特に揺らがさない。

 

はい、今日はこんな感じでおしまい。

 

おやすみなさい。

 

良い夢を。