アンチ共感

 

 

 

文章が長すぎるとのお母様のクレームが弟勇者経由でもやってきた。

もっとポイントを絞って分かり易く書くようにとは直に言われたが、そんな方向性の文章だったら漂流させる意味がないのだよな。報告書みたいなことであれば、手紙とかLINEで良い。

 

文章自体もそれほど長くない気がする。特に最近。昨日は遊び過ぎた上に帰って来てから桃鉄をやっていて書く時間も気力もなかった。長い文章が読みにくい、の反対側の極致にあるのは文章を読まないというか、文章を読まずに済むのが安泰なのでは。

 

個人的にはこれでもかなり抑えている方だと思われる。ほんとうはもっと長い文章を書きたい意志があるのかというと、そうでもない。例えば日記を書く前後に1000文字ずつとか公開せずにちゃちゃっと継続して、1か月後に30000文字の大作を披露するというはやってみても良いかもしれない。誰が読むんじゃろ。

 

という感じで、おそらくお母様が読みにくいのは、文章の長さではなく、何が意図されているのかが分からないからだと思われる。

 

毎日長々と文章を書いているということは、何らか自身を表現したいという動機があるだろうから、その筋で読めるのではという読み手脳だと、何が書かれているか分からない。いや、継続して書いている人はだいたい自身を伝えたいところがあるから大筋としては間違いない。僕が読んでいる文章も流れてくる文章もだいたいそんな感じがあって、読み手脳からするとなんとなく人となりが分かって良きではある。

 

(良きという語彙を使う人は生理的に受け付けないという人の文章が流れてきたが、別にその人に好かれたくもないので問題ない)

 

たぶん僕の文章を継続して読んでいる、むしろ読めるような人は、文学畑なのではないかという説が浮上してきた。僕が書いているのは、言語化するまなざしとしての自分が見ている世界と内心の描写であって、厳密な自分自身と一致している訳でもない。いや、書いているということは自分自身の証拠ではないかと思うのは、文学以外の畑の人だと思う。

 

この話は掘り下げていくとややこしくなるので省略。ただ、昔は自分が書いている文章を現実に関係している人に公開するのって何かしら嫌だなと思っていた。悪口を書いているとかではなく、なんとなく、現実で見えている僕と文章の僕がずれているから、認識が面倒だろうなって。

 

もうそんなことはしないが、文章から出逢う人は僕の認識にそんなに齟齬がないという不思議があった。まぁ、現実だと人自身の前に役割とか年齢とか性別とかのペルソナがあるし、ベルソナを自身と誤解している節もあるから、完全な自分の話をする土壌ではないとも言える。

 

なんだか、あえてややこしく書いているような感じがある。

 

ここでの終局は、いまや実の母親にこの文章を教えても問題ないと思えるくらい、それほど実と文が癒着していないなとなっている。これを読んだ母親が何を読み取るかなんて僕の知ったことではないし、母親としても全然連絡よこさない息子の生存確認になるとも言える。

 

なるほど、現実化してみようか。たぶんお母様と同じように、長いから読み切れないとなりそう。母親との関係には全然遊びがないから、息子で居ないといけないのだよな。ポジションを譲らないというか、その立ち位置でないと関係がないと思い込まれているというか。たしかにその位置だと僕が遊べる領域はほとんどないから連絡がし辛い。これは僕があえてハードルを高くしている説もあるし、向こうもそうなのかもしれないし、微妙なところ。

 

なんなら、仕事場の人が読んだとしても特に問題ないくらいには書いているはず。

悪いかどうかなんて知ったことではないし、たぶん教えたとこで読めないと思う。店長はそんな時間がねぇだろうし、先輩男子も先輩女子も、そこまで同僚に興味がねぇだと思う。

 

それが良い。

 

 

さておき。

 

本日は散髪に行って来た。若干体育会系な感じでツーブロックにしてもらう。美容師さんのセンスが好きだからほとんどお任せ。

 

雑談は、雨の話が多い。散髪タイミング4分の3で雨だから、雨男認定される。そんなことも覚えていてくれているというのはなかなか人間的にも好きかもしれない。カット以外に全くお金を落とさないから内心は良い客だと思われていない説もありつつ、稼げるようになったら色々オプション付けようかという感じはある。ただ、この人の給料に影響せずにお店の売上に吸収されるだけであればやめとこう。僕がこのお店を続けているのはこの美容師さんを選んでいるだけで、美容師さんに反映しない商品を買うつもりはない。

 

個人的にずっと散髪具合が合う人なかなか無かった。髪の刈り方だけが問題で、その人に合うのかを気にしている感じがないというか。この美容師さんの刈り方は満月さんも絶賛なので良き。

 

という感じで、全然影響ない人で好き嫌いを観測している。

前の理容師さんとも合いそうだったが、縁が切れた。いや、ゲーム界隈でまた繋がる可能性はなくもない。

 

 

やれやれ。

 

世界に酔って楽しくなっているから、この先の文章に若干責任を持てない可能性はあるが、苦情は素面の僕が受けもちます。

 

文学脳の人がどれほど自己と言葉を乖離しているか分からない。ヲタク脳で漫画やアニメを読みまくっている人が作品と現実の乖離で変な気分がしてしまうとか。岡田さんの動画で、次元が煙草をポイ捨てするシーンに違和感を抱いてしまったとか。

 

僕としては現実のアップデートにおいて違和感を抱くべきはあくまで現実世界であって、創作にその価値観を持ち込むべきではないと思う。昨日満月さんの助手席でドライブしていた時に、業者のトラックから何か落ちたなと思ったら、煙草の箱だったという。そういうことするのはマジでやべぇ人。なんなら犯罪よりやばい。犯罪は法律違反であって、事情によっては違反はありうる。殺人は完全な違反だけど、子供を退場させた犯人だけを退場させた人は、法律的にはアウトだが、全然悪い人ではない。むしろ常識人の範疇。

 

僕がそれをするかと言うと、そんなことで退場させられた子供は帰って来ないから、むしろそうならないように気にする次第。でも、気にしだすとキリがなくて、子供の可動的自由を奪って囲った方が安全だと思うのも分かる。そんな抑圧をして上手く人格が形成されるかはさておき、正しくはある。ただ、個人的には、子供も他人なのだからある程度不安はいたしかたない上で、きちんと貴方のことを心配して気にしているという関係性があれば子供はそんなに無茶しないような。

 

僕自身はあんまり心配されていなかった。それを覆してしまって母親には申し訳なさはあるが、やんわり自業自得だとも思っている。実の子供なのに姉と妹が懐かないというのはそういうこと。まぁ、僕はたぶんそれなりには返せるような気がしないでもない。

 

人がやってこないというか、やってくる人が自分の劇場でしかない人って、結局は他人のことをどうでも良い人なのだが、そういうのも当たり前。

 

自分と同じように把握できないという意味では須らく他人はどうでも良い人であるというという文脈でのどうでも良さでもない。

 

母親との和解パートもそろそろ書きたいところだが、交信することにエネルギー消費があるから大変。これを直に読んで貰っても問題ないのは、そんなことは当然気付いていると思っているから。

 

眠くなって来たのでここまで。

 

おやすみなさい。

 

良い夢を。