もくもく
朝から風びゅーびゅー。そして満月さんの鼻づまりもぐーぐー。寝てしまっていたら気にならないのだが、起きてしまうとそのまま寝るには忍べない。鼻孔を拡げてみるのだが通りが良くなるときとならないときがある。お盆の繁忙期で疲労が溜まっている節もあるのだろうな。個人的にはそのうちおさまるものだと思っている。特に根拠はない。
僕も寝ている最中はぐーすか鳴ったり、歯ぎしりというか何か食べている様子があるらしいからお互い様。気にせず寝られるようになればどんな音が鳴っていても関係ないから、僕の問題とも言える。
浅い眠りには夢が付きまとう。場面が転々したが面白かったのは、車で移動する古書店で掘り出し物を見つけるシーン。アーサーコナンドイルの本の形をしていない本があった。手に収まるくらいのサイズで、上にアーチ状の持ち手があるという架空の本。結局他を吟味するために回っていたら時間切れになって手に入らなかった模様。そういえば、最近古書店に行っていない。
どうでも良い朝の話。
朝ごはんを食べないと頭が働かないという話があるが、個人的には朝は食べなくて良い派。頭が働かないという説は、血糖値が日中常に上がっている状態だと朝一で頭が起き上がらないという習慣によるものだと勝手に想っている。妄想だと、国民が食べる回数増えた方が食料産業は潤うよなとか。この辺も好きに選択すれば良い。
個人的な感覚として、1度目に目覚めたときはやたらと空腹感がある。ただ、それをスルーして二度寝をすると空腹は収まっている。これがどういうメカニズかは知ったことではないが、だから朝ごはんはスルーして問題ないというのが日常。
でも、本日は2度寝がなかなかできなかったから、その前に空腹に任せて昨日残ったカレーを食べてしまった。その後にうとうとして目覚めたら案の定、胃もたれ。空腹感の罠にかかってしまった。
もっとどうでも良い朝の生理現象の話もあるのだが、書くと変なことになるので省略。
ほんとどうでも良い話だったな。僕の文章は全部どうでも良い話で構成されている。
さておき。
満月さんを送り出したあと、昼前までぐだぐだした。明日はちょっとした試験だからお勉強をしなといけなかったのだが、漫画が気になって読んだりとかなかなか始めない。従来であれば夕方まで始めないというのはざらだったが、今回はやや早くなっている。意志と行動の誤差が減っているのは日常で負荷がかからないところでちまちまやっている生活の賜物。素晴らしい。褒めなくても動くのが自分だが、たまには自画自賛しておく。
休憩入れつつ5時間くらい。今回の試験はだいたい受かるらしいから、もうちょっと時間を減らした方が効率的だったかもしれない。長くかければ良いのは高校までの勉強時間がモニタリングされている環境であって、他にすることがあるオトナはお勉強にそんなに時間をかけるべきではない。時間をかけるより、毎日することによって日常に割り込ませることが大事だと思っている。
2科目あって、1科目はテキスト持ち込みなし、もう1つはテキストがモニターに表示されているらしい。これだと重視すべきはもちろん前者。テキストをざっくり読んで巻末も練習問題を解いて、何が外れていたか確認して、模擬試験①を解いたら50問中47問正解だったから大丈夫かなと。1問2点で70点が合格点らしいから、よほど変な問題でない限りたぶんいける。
練習問題だと1問につき3つとか2つの問題文の正誤を選ぶから、これで50問を40分で解くとなるとなかなかボリュームがあるなぁと思っていたが、模擬試験の方では1問につき1文章ですっきりしていた。変なひっかけもないし、常識的に違和感がある文章が誤りとしたら良いという感じ。
まぁ、僕の常識の範疇にはちろっと法律の専門知識が含まれているからやや優位である。例えば、不法行為責任だと被害者が損害を立証しないといけないとか、失火責任法は不法行為に適用されるが債務不履行責任には適用されないとか。相続の問題は間違えて原文を復習した。
もう1つのテキストあり科目はさらにざっくりとしてしかやっていない。練習問題の7割くらいをテキスト調べながらこなした。1問2分で検索すれば良いのだろうと考えると、検索の仕方をこれ以上練習する必要はなさげだなと。たぶんテキストを語句検索する機能はないと想像するが、実際の業務での検索能力を想定しているのであればそういうのもあるかもしれない。
実際に今日お勉強したことを書けるのかというと難しい。コピペで良いのであれば結構ありそうではあるのだが、それを書くと腑に落ちていないからあんまり面白くないというだけ。
ずっと勉強していた法律の資格試験のマーク試験で、正解も間違いも全部根拠まで覚えて吐き出せるようにするみたいな方法論があったのだが、僕にはそれが合わなかった模様。理由を考えている言語化って限界があるから、なんとなくの直感で選んだ方が良かったのかもしれない。問題を解きながら非言語の直感を調整していった方が。直感が調整できていれば言語は後から付いてくるのではという感じ。
という感じでお勉強を終えて本日の晩御飯。
僕の方が圧倒的に晩御飯を作る頻度が高いと気付いたのだが、気付いたところで不公平ともしない。公平を気にするのは岡田さんが分類している性質の中で物事を数量化しないと気が済まない人。僕もやや数量化とか定義できれば良いなぁと思う質ではあるのだが、そんなことはどれだけ言葉とか計算を駆使しても無理なことだとしている。
僕はやや与え気味な感じがちょうど良い。これに公平に返そうと思ってくれる人だときっと無理が生じる。やや語弊がある気がしないでもないが、与えた分が全部公平に返ってきた良いという感覚ではないし、返ってこないことが怒りの感情を生じさせるものでもない。満月さんの元カレさんは自分がやったことが等しく返って来ないことを怒って良い根拠としていたみたいだが、割と普通の感覚だと思われる。
でも、そういう打算で生きる関係ってそもそも結構しんどくないか。
自分にとって利益になるから関係できるという関係は、今日お勉強していた保険の概念と構造的に近い気がする。リスクがあるから保険制度ができたのか、保険制度によってリスクが創設されたのかって、鶏と卵問題。
人を量で捉えるのであれば、一定の傾向を定義することは可能だと思う。これがきっと統計学とか行動心理学が研究対象にしている範疇。
台湾ラーメンの冷やしを所望される。台湾ラーメンがなんぞやというが分かっていない僕にはやや難題。たまたまスーパーに寿がきやの袋ラーメンがあって、これを使うことにした。合いびき肉とニラともやしを炒めて、スープを冷やしている。
副菜が楽しみということ。豆苗のサラダかひじきのサラダかと2択だったから、なんとなくいっしょくたにしてみた。乾燥芽ひじきって一回熱を通しているから、水で戻したらそのまま使えるらしい。生の豆苗と、マヨネーズと白だしとチューブ梅肉で和えてみた。しゃきしゃきしている。
やれやれ。
ダイバーシティ(多様性)って、当人が通常からずれている性質を受け入れて欲しい、そういう性質も受け入れるべきだみたいな話になっているけども、もう少し俯瞰で見れば閾値の話な気がする。
閾値って広辞苑的には「感覚や反応や興奮を起こさせるのに必要な、最小の強度や刺激などの(物理)量。」
らしい。個人的に解釈するとそうであるという違いに気付ける鋭敏さ。性同一性障害が金八先生の第6シーズンでスポットライトを浴びているが、素朴に考えれば、精神と肉体は乖離しているのだから一致しないことも当たり前にありうると気付ける。たぶん親世代には無い感覚だろうけども、それは当たり前の土壌が違うからその感覚の違いも当たり前。
「リリィシュシュのすべて」で、文章のやり取りだけで恋をするという感覚が出てくるのだが、これも個人的には分りみ。文章に恋する質だし、文章と物理的な身体の違いは、色んな周りの視点から客観的に認識されうるかどうかだと思う。いや、ここが大事だというのも分かるのだが、判断を客観に依存している感じがしてなんとも。いやいや、客観情報しか認識対象にできないという説もある。僕は内部ではずっとそういう風に生きていなか
多様性がまかり通る世界って、個人的には歓迎だが、それほど全員が安穏とできる世界ではないのだよな。ただその世界で良いと過ごしてきた人達に価値観の転換を迫る世界。ほんとにその覚悟があって奨励しているのだろうか。基準が無秩序になるとそうとう神経使うと思うのだが。自分のずれた基準が正常の当たり前になるとは話が違う。全部が当たり前になるから基準が無くなるのでは。
色々考えいくと面白くなってくる。
面白さを諦めることが一生ないというのはそれだけで多発的に退場するまで生きていく醍醐味がある。惰性でただ生きるということがもはやできなさそう。
この文章が温感としてどうなっているか定かではないけども、特に誰にも刺さらなければ良き。
はい、こんな感じでおしまい。
おやすみなさい。
良い夢を。