まどろみ

 

 

休みの日は書き始めが遅くなる。こういうときは思い付きのまま流れで書くのが良き。1時間くらいで終わらす予定(22:36)。

 

 

昨日は午前中に出発。まずは満月さんの中学校からのお友達宅に遊びに行く。好き屋でドライブスルーした昼ご飯と満月さんが昔働いていたケーキ屋さんで買ったロールケーキをいただいて、その後はゲームをひたすらしていた。僕は初めて伺った癖に勝手になかなか寛いでいる。気を遣うかどうかは意志というより雰囲気が決めるもの。

 

満月さんから寛いでいるならもっと自己開示をするようにと言われたが、僕は気を許している人に自分のことをやたらと話すでもない。そのうち流れで話すことになれば話すだろうけど、そもそも自分のことを知られたいという欲求が薄いし、自分を話題しなくても良いかなという感じがある。まぁ、仕事ではもっと話すようにせねばという気はある。

 

黒の豆しば氏には懐かれず、やたらと興奮されてほとんど触れなかった。今度はもう少し遊んでもらいたい。

 

娘氏にもあまり懐かれてはいないが、なぜかさよならする時にはハイタッチをした。僕と満月さんは子供に対する接し方が微妙に似ている。子供に媚びないというか、無駄にちやほやしてあげないというか。ある意味対等に扱っているとも言えるが、ちやほやされたい人にはあまり好かれないかもしれない。

 

 

そうして、満月さんの実家に到着すると、姪っ子氏がいた。姪っ子氏からすれば僕の存在が意味不明と思われるが、特に自己紹介もしない。

 

皆でラーメンを食べ、少しまったりしつつ、ビールを飲みながら次の日の試験の勉強でぽちぽち問題を解いていた。そうすると、まさに妄想していたように「何しているの?」と聞かれる。満月さんが半笑いでやり取りを促してこなかったからもしかしかしたら本気で妄想通りに会話したかもしれないが、なんとなく答えなかった。やれやれと促されるとやらない天邪鬼。名古屋はそれほど台風がビュービューしていなかったらしいから例示を変えなきゃならなかったし。

 

姪っ子氏とはお勉強しながらぼつぼつ会話をした。ピクミンからのマリカーをswitchでしていて、ぼつぼつ話しを振ってきたので相槌程度。小学校1年生にしては、なかなか落ち着いている。

 

お勉強が終わって、「まだ結婚できない男」のドラマをお母様と鑑賞しながら、歴史のお話をした。学校に行って勉強し直したいというのは向上心が素晴らしい。天皇の起源とか日本人の起源とかの古代史に興味があるらしく、古事記の話で盛り上がった。僕もこの界隈も興味がある。実際目で見て検証できることではないからこそ、物証とその解釈が重要になってくる。

 

あと、霊感的な話。個人的に霊感は零感だが、存在しているものとして見えたり感じたりする世界も絶対無いとは言えないよなぁと思っている。人混みに行くと何かに当てられて疲れることと、それほど違いがないような。

 

そういえば、お勉強の中に消費者契約法があって、「困惑」を抱かせて契約をすることは取り消すことができる対象になるという話の例示で、霊感商法があった。たしかにそれを利用して利益を得ることは規制対象になっても良いと思うが、なんというか、ほんとうにそういうことが分かる人からしたら、言いたいことが言えなくなるということをも考えられる。まぁ、そんなことよりここで問題になっているのは情報量の格差を悪用することだから、霊感商法も情報量の多寡という意味では入ってきてしまう。

 

僕は占いとかでは自分の行動を変えないし、霊感的に何か不安を煽られても特に困惑はしないから、そもそも契約はしないのだが、あくまで一般論の話。

 

 

 

そうして本日。

 

仕事日より少し早く起きて、試験会場近くまで連れて行ってもらう。道中でテキストを3回ほど流し見して、試験は60分中20分くらいで終わった。正解か不正解か分からない問題が思ったより多くて、これはちょっとまずいかもしれないとなりつつ、考えたところで正解に至れる訳でもないから終了するしかない。このテストは即時に結果が出るタイプで、86点で合格だった。ちなみに先週受けたのは、テキストなしが88点、テキストありが100点で合格。

 

これだけ効率的にできるのに、何で国家試験の方は全然受からなかったのかが不明過ぎる。もちろん、情報の量が違うし、そのまま覚えてなんとかなるものでもないから、そこまで許容量が無かった可能性はあるのだが、なんというか、ほんとうに受かりたかったら、もっときちんとやっていたような気がしないでもない。前年より結果が上がるように10年やれば、どんな試験でも受かるような。

 

結局、昨日、それほど受かりたくない(その仕事をしたいと思っていない)ということをお母様と満月さんと雑談していた。この雑談の次の日に僕抜きのときに、お母様が「就きたくない仕事の資格試験をずっとやっていたなんて、ちょっと変な人だよね」と言っていたらしい。

 

これはたしかにその通りで、特に弁明がない。あるとすれば勉強していた期間の半分くらいはある程度なりたいと思っていた節があるということくらい。そのあとの惰性は、自分の拠り所ではなく、外に対する説明としてやっていた節がある。普通の社会人のレールから外れていることを外に説明するためにはそういう風なポーズをするしかないという思い込みがあった節。

 

別に内側に対しては外でもって何か説明できるような証拠は不要で、あくまで自分で生きれば良いのだなと気付いてしまったのが、2年前くらい。別に外への分かりやすいポーズをしなくても僕は本を読むことは一生辞めないし。

 

眠くなってきたので、とりあえずここまで。

 

明日も書けるかどうかは不明だが、まぁ寝ます。

 

 

おやすみなさい。

 

良い夢を。