狂気

 

 

21:18から、地ビールとともに。

 

昨日再配達依頼をするときに備考欄に入れた、19時半以降だとありがたいに応えてもらって、シーフードカレーの準備をしている最中に届けてくれた。ほんとありがてぇ。

 

地ビールも常温で届くかと思ったら、冷え冷えで届いてそのまま飲める状態。本日3本中2本いただくつもり。今は御殿場高原(ヴァイツェン)ビールを飲んでいる。飲んだことがあるものではなかった。とても美味しい。次は御殿場高原ビール(ピルス)。こちらの方がやや味が濃いかも。これも美味い。もちろんその分、いつもの一番搾りは減らします。

 

 

シーフードカレーの完成度もなかなか。ニンニクと生姜のみじん切りをバターで炒めて香りを出したあと、玉ねぎのみじん切りを加えて透明にしたあと、シーフードミックスとパプリカ(黄・赤)と水を加えて煮込んでそのあとにルーを加えるというちょっとした手を加えている。

 

副菜は冷蔵庫を開けると悪くなりそうな大根があったから、塩もみして絞って塩昆布を加えたもの。ついでに昨日作ったアスパラと玉ねぎのマリネもあるから、箸休め要員はばっちり。さらに、本日早めに出発して疲れて帰って来る満月さんは糖分を欲するだろうから、「控え目にいってクリームが多すぎるシュークリーム」(商品)も買っておいた。

 

 

 

さておき。

 

本日のお仕事。

 

先輩男子があと2日しかないから、外に出ることはしなかった。研修項目をこなすより遥かに為になる。雑談だが、かなり僕のことが分析されているなぁと思ったシーン。先輩男子が退職で配ったお菓子がバックヤードにあった。バターサンド。プレーンが8つ、あまおうとメロンが2つずつ。休憩中に1つだけ食べたのだが、僕が何を選ぶのか。

 

硯さんは絶対プレーンを食べると思いましたと言われた。正解。詳しくは聞いていないけども、あえて少ない物を選ぶと他の人の選択肢が減っちゃうから、無難な物を選択するという分析かもしれない。これでだいたい合っている。深層にはどうでも良い物を選択する際には誰かに譲りがちという性質があって、他に人が存在するときは素の自分がどうかより周りを考えるということなのだが、ここまでバレているのかは不明。

 

たまたま一瞬忙しくなって、初めて接客することになった。

お客様が優しい方だったから結構うまくいった感はあったのだが、あとから先輩男子に結構駄目出しをされた。たしかに聴き取りは我ながら結構できていると思うのだが、問題は、それが営業に繋がっていないというところ。営業の定義はまだよく分かっていないが、ごりごり自分が推している商品を呈示するのではなく、相手の決意の芽に水をかけて花を咲かせるかどうか。同じ立場ではないし、同調も大事だが、それだけでもない。

 

質問に対して曖昧にしないというのも、予防線ではありつつも要は相手に対して根拠を作ってあげることの伏線の為。自分が選んだのだと納得できる理由の1つになれるかどうか。もちろん、良いことばかり言うのとも違うから、要修練。

 

この空間で言うと、たしかに目的意識ありきで思考が動き出すというのはありうる。

目印があるのが仕事だし、日常みたいに無目的でやっていると、仕事がやらされている義務だという勘違いが起こってしまう。結婚もそうだと勝手に想っているが、あくまで契約なのだから、義務だけがある訳ではないんだよな。義務あるところには権利が当然セットになっている。

 

まぁ、僕は目印なく散歩することに特に苦が無いからあんまり目的意識をもった思考ということには馴染まないきもする。散歩で遠目に見えた山に向かうみたいなのが仕事な感じ。

 

 

 

やれやれ。

 

今はなんとなくフジファブリックのライブ動画を見ているのだが、ちょっと前まで(仕事上で)頭が良い人とはなんぞやという動画が流れていた。相手の話を妨げずに全部聞いて何が大事かを言語化できるのが頭の良い人だとか。話したいことを話すのではなく、相手が求めていることを話す。自分が何を求めているかというのを言語化できない人が多いというのは仕事に持って行けそうな知見。

 

逆に持って帰った知見でもないのだが、お土産を送ってくれたお母様に対して、満月さんを通さずにお礼のLINEを送っておいた。レスポンスの時間間隔が大事。お母様界隈ではもしかしたら、何故硯から受け取ったLINEが届くのだろうとざわついているかもしれないが、これは悪くないざわつきだろうから問題ない。営業職に就いてまともに応答できるようになってきたという評価かも。

 

 

どうあがいても人と無関係ではいられないのが現在の人生劇場であって、その中で自分をどう生きるのかの話になってくる。

 

誰にも影響されない自分の領域が大事なのかどうかって、人によりけりであってあんまり気にしない人の方が多いかもしれない。アウトドアでソロキャンプとかだったら1人だが、誰かと外で何かすることだったら、自分の領域ではなくてあくまで趣味の領域だし、インドアでアニメやら漫画を読んでいる人でも、匿名的な誰かとその楽しみを共有したいと思っている人が多いから漫画アプリにコメント欄が付いているのだろうし。

 

僕は、1人お風呂読書が誰にも影響されない独りの時間として大事。ここの文章もまぁ割とそうなのだが、読むことは制限ないけど、書くことは言葉に制限される。言葉って完全な自由でない顕しだから面白いのが醍醐味な訳で、言葉の中で自分で在ろうとし出すと、太宰さんとか三島さんとかの後を追いそう。

 

お風呂読書は結構維持するのが大変な時空なのだが、満月さんが理解ある人だからなんとか継続できている。

 

ところで、マンガワンというアプリの新連載で、小説家の狂気が描かれているのがあった。こういうの大好物。「ハチミツとクローバー」も恋愛模様ではなく芸術家の狂気がスキだし、「三月のライオン」も棋士の狂気が面白い。

 

ここで、狂気とはなんぞやだが、日常が歪むほどに何かに没頭してしまうとしておきたい。僕のお風呂読書は日常を歪めない時間でやっているだけで、空間は歪んでいると思われるから、ぷち狂気とは思う。毎日自分のキャリアアップとか知識アップとか無関係の本ばかり読んでいるのは、控えめに言ってだいぶヤバイ。

 

満月さんは僕と違ってきちんとした表現者であって、表現者としての狂気もあるらしい。鬼気として書いているシーンは見たことがないから定かでない。書きたいかどうかも知らないけど、書く対象はあるらしい。書くことにかかずらっていないと生きて行けないという人でもない。

 

書き出すと没頭して生活がおろそかになるから、と言うのだが、仕事はともかく、生活領域であれば別に僕がやるけどなと思う。いまの状態でこの人が何を書くのだろうというのが楽しみだし。

 

ここを制限する存在にはなりとうない。

 

僕は読むことに対しては狂気がありそうだが、書くことに対してはそんなにない。

何故かというと、書くことは言葉の不自由性の上で成り立つ世界であって、どうあっても読み手が居る。自分が書く言葉が読者を無視しても一定数の個人に響くというのであれば、死ぬまでに何かしら創作しても良いなとは思うのだが、僕の文章は技術体系の上に成り立っているものではないしなぁ。

 

時間があれば書くみたいな話ではない。ほんとに書きたければ日記時間を宛てれば良いだけだし、それほど熱量がある訳でもない。いや、熱量についてはやや不明。自分がしたいことがよく分かっていない節もあるし。

 

人生の終着点に満足を置くって割と変な話だと思っている。いまを満足できていない人がどうして未來に満足できるのだろうって。個人的には、全然何にも分からなかったなぁって肉体が朽ちる予感なのだが、別にそれに不満がないんだよな。

 

とりあえずは、今の仕事でどれだけできるかというところ。

発話のお仕事で発話的語彙が増えていくことを期待している。固有名詞はやっていたら勝手に増えるだろうけども、そうじゃないクッション的なところ。

 

 

地ビールで筆が捗っている本日。送ってくれたお母様からすれば文字数がさらに増えて読みにくいとなるかもしれない。文字数が多くてもするすると読みやすい文章ってあるのかな。ツチノコくらいの希少価値っぽいが、もしかしたらあるいは。

 

 

本の話全然していないけども、読んだ本が僕の書き言葉上の語彙を産出しているとしてみれば、読んだ本の文が文章化されているということで良かろう。食べログみたいに本の感想を書くって割と苦手。やってみようと思ったことはあっていくつか書いたのだが、結局そこの領域のみに留まれない不自由さがある。

 

うへぇ。割といっぱい書いてしまった。

ここまでにしておこう。

 

 

おやすみなさい。

 

良い夢を。