稚拙

 

 

 

 

21:13から。40分で2万文字という狂気を漫画で読んだから人間の能力の限界的には僕ももう少し書けるのかもしれない。ただ文字を羅列すれば良いのかというと、やはり読み物とはなっていないといけない。ただ何かを写すよりは早いと思うが、今の書きスピードってどれくらいなのだろうな。

 

1分60文字だと40分で2400文字だから1分30文字くらいなのか。いや、時々一服したりご飯食べたりしているから、もう少し多いのか。

 

 

さておき。

 

昨日は日付が変わる頃に満月さんが帰ってきた。僕はもう眠い。カレーも副菜も食べずにシュークリームとメロンカルピス原液の強炭酸水割を摂取して就寝。疲れているのにお腹が空いていないというのは結構よろしくないかもしれない。今のお仕事に初めて不満が出てきたらしく、そこが影響しているのか。

 

今朝は12時からのお仕事で、僕が出勤する頃にカレーを食べていたけども結局食べきれなかった模様。小食になったのではなくて、ご飯が喉を通らない感じなのかも。今晩はカレーの残りを食べると言っていたが、食べられるかいな。好物の豆苗ツナ缶マヨサラダを作ったし、何かが食べられれば良い。それでも駄目ならコンビニで買ってきたクリーム白玉ぜんざいがある。

 

とりあえず、個人的には満月さんを働かせ過ぎている職場だと思っているから、万一転職となっても特に難色はない。好きに生きれば良い。まぁそろそろ繁忙期も終わるとのことだから、瞬間的な不満だけで辞めるのはもったいないかもしれないが、不満が過ぎ去っても上層部に対する不信感は拭えないだろうし、とやかくは言わないつもり。

 

 

僕のお仕事もまぁまぁ忙しくなってきた。というより、この職場におけるペースがあまり掴めていない感じ。明日も朝一で予定が入ったから早めに行くのだが、それ自体は問題ない。もっと動けるようになるに越したことはない。たぶん、もっと自己判断の領域を拡げていく感じなのだろうな。

 

ふと思いついたこの仕事場における欠点。というか、僕の人格の欠点とも言える。読む人だからなのか、言葉の物質的な側面を軽視しているところ。実際言葉は物質ではないから、そんなに残るものではないのだが、言質という言葉があるように、言葉には証拠のような御用がある。言質を取るとか言質として予防線を張るという意味の言葉の扱い方を遣っていなかったから、意識していかないとなという次第。

 

書面にしない限り情報としては残らないのだが、印象として残る。この印象値は非言語領域の相手の感じとか雰囲気に至るから、ある程度コントロールできるとも言える。

 

店長も先輩男子も言っていたのだが、貴方のためにやっているということをアピールするのが大事らしい。先輩男子にメールで駄目出しされたのが、お客様の前データを参考にして新情報を選んでいるのであればそれをきちんと言語化しないと伝わらないと。

 

実際僕は仕事の時は結構諸々考えて動いているから、言葉で繕うというより、内部をきちんと描写するという方向っぽい。でもその内部の動きを収束させるためには、相手の要望をきちんと言語化させることが必要。ここで言う言語化は意識化と同義。

 

もっと世界を言葉でスケッチしていくこと。

 

 

 

堅苦しい話は早々に終えて凄くどうでも良い話に移りたい。

 

岡田さんの動画で、彼女を作りたい人を集めて移さずに対談するというのがあった。そこで結構変だなと思うのが、女友達の延長に彼女が在るという考え方。いや、一般的にはそうかもしれないのだが、僕の中でそこは同じ括りにならないのではないかという感じがある。彼女の延長が配偶者であるとは必ずしも限らないと同じようなイメージ。

 

そもそも僕に女友達がいた時代は、高校から大学の初期にかけてくらい。この友達感覚はなんというか、同じ生活圏に居るから連絡を取り合うというだけであって、その中から彼女を選ぶみたいなことではなかった。さらにそもそも論だと、僕は「彼女」という概念がずっと馴染まないし、なんなら男友達ももはや居ない感じなので、何を言ったところで誰の為にもならない。

 

それでも、どうでも良い話として続ける。

 

僕が友達から彼女とか彼氏とかに収束するのが嫌だったのは、今想えば生活圏の人達に監視されるところ。外から色々口が出てきて、なんなら個人同士の繋がりより他者である友人の発言の方が影響力があるみたいな感じ。

 

大学時代辺りがSNS勃興期だったから、僕は誰にも監視されない個人的な関係を好んだ。こちらの方が、何も考えずに相手だけを見れば良いから。それで特に変なこともなく。直近の元恋人さんは職場繋がりだったが、これでも生活圏からだから上手くいかない。満月さんはmixiで出逢った生活圏とは無関係な人。それで生活するようになって早1年。

 

 

女友達を作って女性との会話に慣れたら彼女ができるようになるというルートの変さは、類から選別されて個に至るというところ。彼女彼氏という概念も結構「類」っぽい。時間と空間が個別であるという考え方。

 

僕は未だに一般的な女性と会話できる気がしていないし、なんなら一般男性も難しいと思うのだが、かといって、固有の関係を結べないのかというと、そうでもない気がする。

 

その証左なのか何なのか、3年くらい音信不通の友人と最近メッセージでちくちくやり取りしている。まだ僕のことを覚えていて、もしかしたらまた交友が始まる可能性がある。なにせまだ隣の隣の県に住んでいる模様。当時は大阪と中部地方の距離感だったが、流れ流れて僕が隣まで来てしまっている。

 

連絡が密なのが友達の定義だとすれば、僕はその関係は構築できない。それで繋がっているという安心を得たい人と友達で居たくない。もっと好きなときにタイミングが合えばくらいがちょうど良い。ふと面白いこととか感動したことを誰かに共有したいという衝動もないし。

 

まぁ、これだけ気にしてくれている友人には、今の僕の貌を1回見せても良いかもしれない。上から目線みたいに読まれるかもしれないが、僕は基本的に人を上から見ることはない。僕も気にしているのはたしかだが、気にしていることが実際に会えば解消されるという感覚ではないだけ。

 

 

はい、本日はここまで。

 

おやすみなさい。

 

 

良い夢を。